とりあえずとか認めない
藤咲 沙久
あの二人は今日も仲良し
「かっく、て何なん?」
当然知ってるような気がしてた。だからお前も参加しないか、と気軽に聞いた。ルームメイトの不在を理由に
「……楠葉、一応カクヨムユーザーだったよな?」
「
「いい加減投稿もしろよ。じゃなくて、あんだけSNSで……やってないか。Discord……やってるわけないか。とにかく、来週からだって運営が告知しまくってるだろ」
「トリさんの新規絵見れて嬉しいなぁと思うてた」
「文章力も読解力も地頭もあんのにトリ以外の情報を完全スルー出来るのなんでなんだお前」
大学で出会って、物書き仲間になって、この寮で何度も創作談義をして。楠葉が実力の高い書き手であることは俺がよく知っている。作品公開の苦手意識──あとは操作方法が覚えられない──のせいで中々投稿してくれないが、せっかくの周年イベントだ。投稿数が格段に増える時期だからこそ、どさくさ紛れに出しちまえばいい。
しかし、まさか存在も認識していないとは思わなかった。小説サイトに不慣れな楠葉をカクヨムに引っ張り込めた要因だけあって、本気でトリしか見えてないようだ。
「K・A・Cって書くから、俺らはカックって呼んでる。お題に添った小説を期間内に書く企画だ。それだけなのに毎回めちゃくちゃ難しい。まあ、トレーニングとしてはかなり役立つぞ」
「トレーニングは
少し前まで断固拒否だったことを思えば、どうやら少しずつ軟化してはいるらしい。あと一押し二押しくらいで俺の推し作家がカクデビューをしてくれる。今までは手書きノートで読むしかなかったが、そうなれば応援しまくりレビューしまくり、だ。
推しを推せる。その興奮に胸が高鳴り、ネタを打ち込んでいたノートパソコンをついに脇へ寄せた。
「聞いて驚け。全八回に参加し皆勤賞を取ると……三百リワードももらえる!!」
「りわーど、て何なん」
「うんそうだよな、そうかなとは思ったんだ、お前はそうだよチクショウ……こちとら毎月微々たるリワードに一喜一憂してんだよ…………あ、待てよ」
落とした肩をなんとか持ち上げ、サッと検索する。記憶が確かなら、今年はリワード以外にも特典があったはずだ。画像もアップされていたはずだが、楠葉のことだ、告知に興味がなくて最後までチェックせずにブラウザバックしたんだろう。
「千世くん?」
「あったあった。ほら楠葉、皆勤賞対象者から抽選で──……」
その瞬間、楠葉の顔色が変わった。長い前髪の隙間でアーモンドアイがトロリと潤む。うっとり上気する頬は乙女のごとく……なんちゅう
「トリさんの、ぬいぐるみ……? もらえ、るん? あ、あ、かわええ……書く、ボク書くわ千世くん……!」
「……おう」
楠葉がユーザーになった日と同じ。俺を最推しと言ってくれたり喜んで読んでくれたりするが、楠葉の背中を押すのは俺のプレゼンではなく
*
かくして、楠葉の初投稿はKACということになったわけだが。
「地獄や……」
「まあ、慣れてないと余計にな。いや慣れてても地獄だわKACは」
「なんなん毎度毎度、ほんま意味わからへんのやけど。読まれんの恥ずかしいとか言ってられへん。読まれてるんかも知らんし」
実際は色々評価がついているのに、やはりどうしても機能が覚えられない楠葉はピンときていない様子だ。あとシンプルにそれどころじゃない。わかる。俺も綱渡りが続いている。
春休みに突入した先日、五回目のお題が発表された。“トリあえず”、その表記の突飛さに誰もが首を捻った。カタカナで書く意味はなんだ、どう扱うべきなんだ、それぞれの解釈が飛び交う。ここまで耐えてきた楠葉も途方に暮れているようだった。
「ほんま意味わからへん。大事なことやから二回言うたで。え、あと一時間で締め切りとか嘘やろ……オチが浮かばへん」
「俺は諦めて普通の“とりあえず”にしたぞ」
「そんなん負けた感じするやん。とりあえず触れただけ、みたいなんはボクの中で認められへん」
「見た目に反して負けず嫌い」
「反してへん見た目どんなんやねん」
やるからにはちゃんとやりたい、と案外真剣に取り組んでくれているので、正直なところすげぇ嬉しい。俺たちはもともと書いてるジャンルも方法も色々違うから、共通の目的があって執筆するってのは何気に初めてだった。
それを言うならリアルの創作仲間自体、楠葉が初めてだが。
「地獄では、あるけど」
キーボードを睨むように打ち込みながら楠葉が呟く。ブラインドタッチ出来ないもんなお前。その割にきちんとホームポジションを守っているんだから、律儀な指先だ。
「おう」
「千世くんと同じイベント目指して書いてるのって、切磋琢磨してる感じがして、ボクは嬉しいんよ。……トリさんに釣られただけちゃうんやからね」
気のせいだろうか、毛先のかかる首筋がほんのり染まって見えた。本音を伝えるのは照れ臭い、そんな気持ちが透けるような拗ねた口調が楠葉らしい。
「楠葉……」
なんだか頭を撫で回してやりたい。可愛いかよとつついてやりたい。ただ、似たようなことを考えていたとなると、俺まで少し気恥ずかしくなってしまった。
「言うてる場合ちゃう! ああ~トリさん~!!」
「おい、やっぱトリ目当てじゃねぇか」
あと三十分、十五分、五分。非情にも針は進んでいく。そもそも手書き派の楠葉にとって入力作業自体が苦であり、焦りはひどくなる一方だ。さすがに俺も緊張してきたが、応援するほか出来ることが何もない。
一分を切った。あらすじを書き終わった。色を決めろ、タグを入れろ、さあさあさあ。
「投稿ー!!」
「今、今十二時になった! 判定は……セーフ! やったな楠葉、皆勤賞まであと少しだ!」
「ギリギリやった……たぶん文字数もギリギリやった……」
「……たぶん?」
嫌な予感がする。字数下限があることはきちんと理解してくれていたはずだが、なんで今そこで、たぶんが出たんだ。
「楠葉。字数、書きながらわかるの、知ってるか」
「え、ずっと出てるやん。約何字って」
「それ以外で。正確なやつで」
「えぇ……なんのこと?」
俺は黙って画面を確認した。小説情報に記されていたのは──七百、九十、九。一文字足りない。皿屋敷のお菊も真っ青の、八百まで一足りない。
時刻は十二時。次のお題が発表された。つまり、手遅れだ。ようやく事態を把握した楠葉から血の気が引いていく。トリぐるみを入手出来ないことが確定した絶望が、気の毒なくらい伝わってきた。この空気をどうすれば。
「まあ、もともと、抽選だったし、な?」
「トリさん……」
「その、なんだ。とりあえず……トリ、
お題通りじゃねぇかと笑ってみたが、完全に失策だったのはすぐにわかった。涙目をつり上げた楠葉がワナワナと震えだしたからだ。これは、久々に、怒っている。
「──うまいこと言うたと思うたら、大間違いやからなぁ!!」
とりあえずとか認めない 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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