本編

 もう何十年も前、大昔の話だってことは、覚えておいてください。なにしろ、私が大学生の頃だ。

 えっ、この髪ですか? いやいや、別に一夜にして白くなった、なんてことはありませんよ。これは、ただの加齢。あれからもう、四十年ですから。

 そこまで怖い話では……少なくとも、私にとってはね。順を追ってお話ししましょう。


 円頓寺えんどうじ商店街のことは、知ってはいました。自宅から名駅めいえき――名古屋駅のことです――に向かう途中にある、昭和の面影を色濃く残すアーケード街。当時は、昭和の真っただ中でしたが、その頃ですら、「昔懐かしい」感を漂わせていました。

 休みの日なんかに自転車で名駅詣でをするようなったのは中学に入ってからです。若者にとっては、ひなびた商店街より、都心の高層ビルや迷路のような地下街を探索する方が刺激的で、古い商店街なんか、何度アーケードの前を通過しても、目もくれませんでした。


 大学生になった最初の夏休みのあの日も、時間を持て余し書店でも冷やかすかと、名駅に向かいました。自転車で片道二、三十分はかかりますが、なに、中学生時代から通いなれた道です。それにね、私の若い頃は、夏といっても三十二度で記録的な猛暑だと大騒ぎになるような時代で。もちろん、三十二度でも要注意ですが、現在のように三十八度の熱波でひとがばたばた倒れるなんてことは、当時はなかったのです。

 夕方、四時を過ぎていたと思います。全然涼しくなっていないねっとりした熱気の中自転車をこぎ出した私は、円頓寺商店街のアーケード前でふと急停止しました。


 書店なら、この中にもあるのではないか。


 そう思ったのです。

 大学進学で他県に出て、初めての一人暮らしを経験したことで、突然地元愛というか、郷土熱が高まったせいかもしれません。以前は、なんてことないと思っていたものに改めて価値を見出した、とでもいいますか。

 本当は、そんな大げさなものではなくて、ただ退屈していただけかもしれませんけど。

 アーケード商店街というのは、入口に商店街の名前が掲げられていて、ウナギの寝床のように、奥へ、奥へと続いて行きますよね。それが、異世界への入口みたいで、わくわくしましたね。


 円頓寺商店街というのは、名古屋で最も古く、歴史ある商店街なのだそうで。その近く(といっても、自転車で十五分ほどかかるのですが)に幼い頃から住み、何度も前を通過していながら、十九になって初めて足を踏み入れたことに、少し感動を覚えました。

 今でこそ、アーケードもこんなふうにモダンに改修されて、新しい商いもどんどんオープンして活気がありますが、当時はシャッターの閉まった店も目立って、やや閑散とした雰囲気でした。自転車を押しながら歩いていても、ちょっと侘しいというか。すれ違う人も、なんだかよそよそしく思えたものです。

 左右をきょろきょろしながらゆっくり進んでいくと、目当ての店がありました。

 いやいや、どの辺りかは教えられませんよ。そのお店は、とうの昔になくなっているから、探しても無駄です。さっきも言いましたが、四十年ほど昔の話で、店主もとうに亡くなっているので。


 目当ての店、といっても、それは新刊書店ではなく、古書店でした。一人暮らしを始めたこともあり、逼迫した経済的理由から、古本屋の世話になることが増えた時期でした。

 しかし、この書店――ああ、名前はね、もはや思い出すことができないのですよ――と年代物の看板を掲げたお店には、シャッターが下りていました。シャッターには、貼り紙が:


『十五月頃あけます』


 紙は、真新しい白さで、ガムテープで留めてある。そして、急いでいたのか元から悪筆なのか、といって他に読み間違えようがないぐらいしっかりと、太いマジックで『十五月』と書いてある。

 わたしは、しばしその貼り紙の前に佇んで、乱暴な文字を睨んでいました。

 日付をまたいだ午前一時のことを二十五時というように、十五月というのは、翌年の三月のことではないか。つまり、今は八月なので、来年の三月に開店予定であると。

 しかし、そんな先のことを(たからこそ「十五月」などと曖昧な表現なのかもしれませんが)、こんなふうに雑な貼り紙で告知するものでしょうか。

 それにこの古書店、看板や店構えはずいぶん古そうなのです。それこそ、この商店街ができたときからここにあります、みたいな佇まい(この商店街の歴史は慶長17年(1612)頃にまで遡るそうなので、そこまで古くはないのでしょうが)。内装工事をしてリニューアルオープンでもするのでしょうか。

 あるいは、五月と書くつもりでうっかり十五としてしまったとか。


 いくら考えても埒が明かないので、誰か、通行人か、近所のお店の人にでも事情を聞いてみたくなりましたが、あいにく当時の私は引っ込み思案で。急ぎ足で通り過ぎる無表情な人を呼び止めたり、通りの向かい側にオープンはしているけども客も店員の姿も見えない店に入っていく勇気はありませんでした。


 どうにも釈然とせず、しばらく貼り紙の前でぐずぐずしていたようです。

 はたと気づいて腕時計を見ると、十八時近い。夏ですからまだ明るいのですが、いい加減帰ろうと考えたとき、ガラガラッ! と派手な音を立ててシャッターが半ばまで開いて、腰をかがめた男性がひょっこり頭を突き出してきました。

「うわあ!」

 不意を突かれた私が驚いて自転車を倒してしまったのを見て、その男性も驚いた顔をして言いました。

「あれえ、おみゃあさん、お客さんかね?」

「え、あ、はい」

「そりゃあ悪いことしたわ。買取の電話があったもんで、留守にしとったんだわ。入りゃあ、入りゃあ」


 自転車を店の脇に止め鍵をかけると、私は店主らしき男性に招かれるまま、半開きのシャッターをくぐって中に入りました。

 中は、薄暗い感じがしました。しかし、シャッターをきちんと開ければいいのに、と考えたことなど、すぐにどうでもよくなってしまいました。

 狭い店内は、本棚はぱんぱん、入りきらない本が床の上にまで積み上げられて通路を狭くしていました。なんとも、わくわくする光景じゃありませんか。


「ゆっくり見てったってちょうよ。お客さん、学生さん?」

「あ、はい」

「初めて見る顔だね」

「は、はい」

「ありがとうさん」

「えっ?」

「こんなちっさい、きったにゃあ店に、よういりゃあたなも」

 初老の店主は、人のよさそうな顔でにかっと笑いました。


 店主とどんな話をしたのか覚えていませんが、人見知りの私でも、好きな本や作家の話ができる相手との会話が楽しくて、五十円均一の棚から、文庫本を十冊も選んでカウンターの上に置いたら、

「初回特別サービスと学割で、三百円にまけといたるわ」と言われて、そんな風で商売が成り立つのだろうかと要らぬ心配をしたことは覚えています。


 白いプラスチックバッグに入れてもらった本を手に、半開きのままのシャッターをくぐって外に出た時には、夕闇がかなり濃くなっていました。

 自転車の片方のハンドルにバッグの持ち手をひっかけて、そのまま押していこうとしたとき、ばたばたと足音がして、怖い顔をした男性たちに囲まれてしまいました。

「あーっ、シャッターが開いとるがや!」とそのうちの一人が叫ぶと、みんな恐ろしい顔で私を睨み、じりじりと近寄ってきます。全員、五十代から六十代で、がっしりとした体格をしていて、背ばかり高くてもひょろひょろだった若かりし自分よりよほど屈強そうで、私は震え上がってしまい、

「その袋、中を見せてもらうでね」

 と自転車のハンドルからプラスチックバッグを取り上げられても抵抗などできませんでした。

「あっ、本だ! こいつ、火事場泥棒か!」

「はい?」

 殺気を帯びた男たちに恐れおののいた私は、必死に、それは購入したものであること、中にレシートが一緒に入っているはずだと、しどろもどろになりながら説明しました。

「この子の言う通り、確かにレシートがあるわ」

「十冊も買って三百円なんてことがあるかね」

「ちょうちょう、落ち着きゃあて。よう見てみやあ。どれも、やっすい文庫本だがね。五十円均一で投げ売りされとるやつじゃにゃあだか。わざわざ泥棒に入ってこんな安物、誰が盗むかね」

 一番落ち着いて見える男性の言葉に、私は救われた気がしました。そのままでは、集団リンチに発展しかねない緊張感が漂っていたので。


「あの紙はなにかね」と別の男性が、半分押し上げられたシャッターと一緒に上にずり上がった貼り紙を指さして言いました。

「『十五月頃あけます』。どういう意味かね、これは」

「たぶん、『十五時』と書こうとしたんじゃにゃあか。慌てとったんだわなあ」と例の最も分別がありそうな男性が言いました。

「朝、開店早々、買取の依頼が来たって、トクさん、軽トラで出かけて行きゃあた。夕方までには戻るつもりだったんだわ、きっと」

 ああ……と一同から溜息が漏れ、雰囲気が一転しました。皆お通夜みたいにうなだれてしまっています。

「おみゃあさんは、もう行っていいわ。引きとめて悪かったね。あとは、こっちで引き受けるから」

 一体何を引き受けるのか、事情はわかりませんが、吊るしあげられる心配はなくなったと胸を撫で下ろしました。プラスチックバッグを受け取ると、大慌てで自転車にまたがりました。

「トクさん、そそっかしいでかんわ」

「ひとはいいんだがなあ」

 背後から、そんな呟きが聞こえてきたのが、最後でした。

 

 それ以降は、すっかりこの商店街から足が遠のいてしまいました。あの恐ろしい男達に囲まれた記憶は生々しく、結局また何かの誤解で、やはりあいつが窃盗犯だったと見做されていやしないかと不安で。

 大学卒業後は、そのまま向うで就職したので、こちらには里帰りで年に一度来るかどうかになってしまって。

 それでも、不思議な縁がありまして。

 SNSが普及して、私は趣味で全国の書店や古書店のアカウントをフォローするようになりました。一生訪れることがないかもしれない、遠くの小さな書店と繋がることができる。うれしいことですよ。

 店頭フェアやセール情報、店長イチオシの本のことなど、様々な書店の呟きが溢れるなかに、数年前、懐かしい名前を見つけました。「円頓寺 本のさんぽみち」という催しで、あの懐かしの商店街に、出版社や書店が銘々本を持ち寄ってフリーマーケットが開かれるのだと。

 あの不可解な夏の日から、何十年。まずは、あの商店街がまだ存続しているというのが、嬉しい驚きでした。それも、現在は新しい店舗も次々オープンして、自分がただ一度訪問したときよりは、よほど賑わって活気があるらしいのですからね。

 そして、あの貼り紙のことも、昨日のことのように蘇ってきました。


『十五月頃あけます』


 そそっかしい古本屋の店主トクさんの元に、急に入った買取依頼。昼過ぎ(十五時頃)には戻って店を開けるつもりで、大慌てで書いた、あの貼り紙が。

 トクさんことトクジロウ氏が、あの日古本の買取に行った先のお宅で体調を崩し、病院に運ばれてそのまま帰らぬ人になったことを、私は後から知りました。どうして知ったんだか、翌日の新聞でだったか、それとも、人づてに聞いたんだったか、もう思い出せませんけど。


「円頓寺 本のさんぽみち」の開催に合わせて、久しぶりに帰省して、あの懐かしの商店街に行ってみました。イベントは大変な賑わいでしたよ。改修されてレトロモダンになったアーケードの下にずらり並んだ露店の本を冷やかしながら、ぶらぶらと歩いてみましたが、もはや、あの古書店の姿はなく、どこら辺にあったのかさえ思い出せませんでした。


 でも私は、あの店を探していたわけではないのです。


「本のさんぽみち」は年に一回のイベントです。あれ以降、何度か参加しましたし、それ以外でも、こうして、この商店街に、また戻って来るようになりました。そうして、もしかしたら、閉じたシャッターに、またあの貼り紙が貼ってあるのではないかと、そんなことを期待しながら、アーケードの下を端から端まで、こうしてゆっくりと歩いてみるんです。特に、夏の、この時期なんかにね。


『十五月頃あけます』


 うっかり者の店主が、またそそっかしく戻ってきているかもしれませんからね。

 今なら、死んだ者同士、馬が合うのではないかと。

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十五月頃あけます 春泥 @shunday_oa

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