4.「ずっと好きだった」
「翔平。君は二日の放課後に二組の教室で何をしていたんだ?」
翔平は一瞬目を見開くと、気まずそうに目を伏せた。口をつぐんだままの翔平に対し、僕は感情を入れないように淡々と告げる。
「勅使河原が三日の朝に翔平のお守りを拾ったと言っていた」
「俺はしょっちゅう二組に遊びに行ってるだろ」
「でも、ふらっと遊びに来るときはいつも手ぶらだ。お守りが落ちていたってことは、つまり、かばんを持っていたってことだよ」
「だから、放課後だと」
「まあね。二日だって言ったことに関して根拠はない。そう考えるのが妥当ってレベルかな」
暗い目でため息をついた翔平を見て、僕は静かに続ける。
「さっきも言ったと思うけど、言いたくないことは答えなくていい。僕がこれから話すのは推理というよりは想像だ。間違っていたら遠慮なく止めてほしい」
翔平は小さく力なくうなずく。
「ここで重要なのは、翔平が何をしていたかじゃない。翔平がそのことを隠していたってことだ。そして村瀬は何かの目的のためにペンキをひっくり返した。偶然にしてはタイミングがあまりにも良すぎる。この二つを繋げて考えるのは、自然なことだと思う。ここで思い出してほしい。三日の時点での完成間近の学級旗を、僕らは誰も見ていない。村瀬は何かを隠すためにペンキをぶちまけたんじゃないかな。何をしてでも守らなければいけないほどの何かを。そしてそれは翔平に関係がある」
うめくような声を上げた翔平に気づかないふりをしながら僕は突き進む。
「製作途中の旗に、パッと見て翔平とわかるほどの何かがついてしまった。手形か足形かなと思ってるよ。君は手も足も人並外れて大きいからね。村瀬は勅使河原がお守りを拾っているのを見て、旗についた何かと結びつけられるのではと恐れたのかもしれない。何か秘密を守るために村瀬はペンキをぶちまけた。でも自分の勝手で作りかけの旗を台無しにしてしまった。責任感と罪悪感から彼女は休んでいるってとこじゃないかな。そういう意味では翔平の予想は一部当たっていたと思う。確証はないけど、翔平のスリッパは二日の時点ですでに汚れていたんじゃないか」
僕はまくし立てるように言ってウーロン茶を飲む。乾いた唇を湿らせてから意を決してたずねる。
「手形か足形がつくような出来事。そして引きちぎれたお守り。隠すような出来事。一つだけ教えてほしい。翔平は香澄に乱暴したのか」
僕が低い声でたずねると、翔平は緩やかに首を振った。
「安心してくれ、晴也が想像しているようなことは何もなかった」
人間、安心すると体の力が抜けるものらしい。僕はソファにもたれかかった。僕が緊張していた理由は二つ。一つは香澄や翔平など親しい友人に踏み込むのが怖かったから。もう一つは、翔平の善性をほんのわずかでも疑っていたからだ。
「でも、村瀬さんを傷つけたのは事実だ」
翔平は十月二日の部活が終わったあと、忘れ物をしたことに気がついて自教室に一人で戻った。そのときに二組の教室で一人作業をしていた村瀬を見つけたらしい。翔平も少し手伝ったのだという。しばらくは楽しく話していたらしいけど、正座で作業をしていた村瀬は足がしびれてよろけたそうだ。それを助けようとした翔平もまたしびれていて、二人して抱き合うように倒れこんだ際、乾いていない旗の上にはっきりと手形と足形がついてしまった。
「晴也のこともあるし、俺はずっと告げないつもりだった。でも、村瀬さんがすごく近いところにいて、自分を抑えきれなくなった。バカだよな、『ずっと好きだった』って言っちまった」
二人以外誰もいない教室で、翔平は香澄に想いを告げたのだという。僕は罪悪感から目を伏せた。
「なあ、晴也。ずっと前から気がついてはいたけどさ、本当は村瀬さんと付き合ってるんだろう?」
ああ、やっぱり。舌打ちしそうになるのをすんでのところでこらえ、氷が溶けて薄まったウーロン茶を流し込む。
僕は一つ大きなミスをした。それは僕が香澄の欠席理由を断言してしまったことだ。通常、生徒の欠席理由は明かされない。香澄が休んでいる理由を勅使河原が知らなかったように、直接やり取りでもしない限り、知りうることはないはずだ。
でもきっと、そんなことは些細なことにすぎない。僕が翔平の想いに気がついていたように。僕が勅使河原の想いに気がついていたように。翔平も、僕と香澄との関係に気がついていたらしい。
去年、翔平が初めて香澄に会ったとき、僕らはもう付き合っていた。そのときにはっきりと告げるべきだったのだ。悔やんでも悔やみきれないし、今さら謝ったところで自己満足にしかならないだろう。
「何度も心の中で否定したよ。嫉妬で狂いそうだったけど、晴也は友達だから確かめる勇気もなかった」
翔平に合わせる顔のない僕は、油のとんだテーブルを見ながら口を開く。
「臆病なのは僕の方だよ」
翔平が少し笑った気配を感じて顔を上げると、翔平は悲しそうな笑顔で丸められたバーガー紙をもてあそんでいた。
「村瀬さんに悪いことしたなって、、俺に告られたことを隠し通したいくらいイヤな気持ちにさせたなって、ずっと悩んでた。勢いだったとはいえ、失敗を全部なかったことにしたかったし、村瀬さんを傷つけた事実から逃げたかった。だから、それを否定してほしくて、村瀬さんが休んでいる別の理由を探したくて、晴也にぶつけた。悪かったな」
「それは違う」
翔平にかぶせるように答えた自分は想像以上に強い口調で、そのことに僕自身が一番驚いていた。
「香澄は翔平を守りたくてやったんだ。翔平が周りから心ないことを言われてこれ以上傷つかないように」
香澄は電話口で泣いていた。香澄は多くを語らなかったし、僕もまた多くは聞かなかった。でも、そこには人の思いに敏感で、繊細で、優しすぎる香澄がいた。僕は香澄のそこに惚れたし、ぼろぼろになってまでかばってもらえる翔平がうらやましくて妬ましかったし、何よりも友人も恋人も何一つ守れない自分が情けなくてたまらなかった。
「僕なんかよりも、ずっと、誰よりも翔平の気持ちを大切にしてくれたんだ。それだけは本当なんだ。僕が言うのはおかしいかもしれないけど、それだけは信じてほしい」
翔平は表情を和らげると力強くうなずいた。なぜか気恥ずかしくなった僕は慌てて付け足した。
「あと、香澄は翔平が怪我をしたのは自分のせいだと思いこんでたから、その誤解は解いておいたよ」
「え?」
ぽかんとした翔平はやがて恥ずかしそうに頭をかいた。
「振られて傷心気味であんまり集中してなかったとはいえ、俺が怪我をしたのと村瀬さんは一ミリも関係ないんだけどな」
「倒れこんだときに負傷したんだと思ってたらしいよ」
ふと翔平との間に沈黙が落ちる。僕はテーブルに肘をついて頭を支え、ガラスに映った無表情の自分を見つめる。
僕は香澄がわざとペンキをぶちまけたことを十月三日の時点で知っていた。その日に僕が香澄に寄り添っていれば、翔平が誤解から傷つくこともなかったかもしれない。香澄を泣かせることもなかったかもしれない。たらればをどれだけ重ねても、それが僕の過失であることに違いはない。
勅使河原が香澄を責め立てたように。翔平が放課後の件を伏せたように。香澄が学級旗を汚したように。誰よりも重い僕の罪は、目の前にいる大切な人たちに向き合わなかったことだ。何を思っているのかなんてわからないと諦め、知ろうともしなかったことだ。
僕は居住まいを正し、翔平に頭を下げる。
「ごめん、翔平」
「謝るな。晴也がどれだけ村瀬さんを大切に思っているかなんて、見ていればわかる」
翔平は僕の謝罪を違った意味で受け取ったらしい。弱ったな。ポーカーフェイスにはそれなりの自信があったのだけど。
「なあ晴也」
翔平はバーガー紙を握りしめて小さくしながら口を開く。
「俺が頼むのも変なことだけどさ、村瀬さんの隣にいてやってくれよ。二人とも、俺にとってはかけがえのない友人だから幸せになってほしいんだよ」
翔平の言葉にきっと噓はない。でも、傷ついていないはずがない。言葉にならないほどたくさんの感情が渦巻いているはずだ。その中身を僕が知ることはできないけど、知らないふりをすることもできない。それでも友人を大切にしたいというのは僕のエゴだろうか。
「香澄に会いに行ってくるよ」
僕はさらりと告げて立ち上がる。荷物をまとめた翔平とともに、トレーを返却して外に出る。
翔平は僕の肩を軽く叩く。秋の夜らしい、涼やかな風が吹き抜けた。
了
シカクカンケイ 藍﨑藍 @ravenclaw
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