とりあえず殺人事件

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とりあえず殺人事件

 

 籠の中のトリを、籠から出してやりたいと思ったのは自分を重ねたからだろうか?


 籠の中にいたインコを窓から大空へ飛ばしてやりながら、私は床に倒れた女を見下ろす。


 もはや物言わぬ物体と化したそれをどうしようかと考えながら、私の口から飛び出したのは至って平凡な言葉だった。


「とりあえず着替えようか」




 可愛らしい玄関チャイムが鳴る。


 この家の持ち主、元若手女優・雨宮雪乃あまみやゆきのの趣味だ。弱冠十七歳にして一世を風靡した雨宮雪乃は若いうちに郊外に戸建てを持った成功者であった。


 音楽みたいなチャイムがまた鳴る。


 雨宮雪乃がデリバリーの食事を頼んだから、その配達員だろう。支払いは済んでいるのだから、玄関前に置いてくれれば良いのに、チャイムはいつまでも鳴っている。


 ——あるいは雨宮雪乃の家と知っていて鳴らしているのか?


 雨宮雪乃と似ても似つかない家政婦の私が出ていけば納得するだろう。


「はい」


「あ、どうも。フード・デリバリーの掛川です」


 ドアを開けると、さえない風貌の青年がデリバリー会社のトレードマークの帽子を少し持ちあげて挨拶する。


 と、いきなり彼の胸元から黄色い何かが飛び出して私の顔を掠めて玄関に入り込む。バサバサと羽音をたてなから、それはけたたましく叫んだ。


「タスケテ、タスケテ!」


 雨宮雪乃が飼っていたインコだ。


「何よ、コレ!?」


「すみません、以前お宅で見かけた小鳥だったので連れて来ました」


 ——連れて来た?


 大空に逃げたはずのインコが舞い戻って来るなんて。


「タスケテ、ミステナイデ!」


 余計なことをしゃべる鳥だ。


「ご覧のとおり妙なことを話すので気になって……雨宮さんですか?」


 掛川にそう言われてギクリとなる。


「雨宮雪乃を知ってるの?」


「ええ、まあ。昔大人気だったので」


「じゃあわかるでしょ? 私は雇われ家政婦です」


 ——雨宮雪乃と似ても似つかない私。


「荷物を置いてさっさと帰って!」


 掛川を追い返そうとすると、インコがまた叫ぶ。


「デテイクワ、サヨウナラ!」


 インコを見つめた掛川が不思議そうに聞いて来る。


「雨宮さん、出て行ったんですか?」


「——ええ、ついさっきね。引っ越すんだって言ってたわ。あなたももう来なくていいわよ」


「インコがあそこまで言葉を覚えるというのは何度も聞いているからですよ。ちょっと失礼——」


「ちょっと、あなた……!」


 私が止めるのも聞かず、掛川は勝手に家に上がり込んできた。


「警察を呼ぶわよ!」


「どうぞ」


 警察という単語もこの男には効果がないらしい。彼は瀟洒しょうしゃな階段を勝手に上がって二階へと進んだ。


 慌てて私も追いかける。


「帰ってちょうだい」


「ええ、一つだけ確認したら帰りますよ」


 そう言いながらまるでこの家の構造を知っているみたいに雨宮雪乃の部屋のドアノブに手をかける。


「やめなさい!」


 私の言葉も虚しく、掛川は部屋を開けた。




 豪華な部屋の凝った絨毯の上にはまだ彼女の死体があった。


「タスケテ、タスケテ!」


 ついて来たインコがうるさい。


 掛川は躊躇せずに遺体の顔を調べた。


「……雨宮雪乃じゃあないですね」


「そうよ、きっとこの屋敷にやって来たコソ泥よ!」


 死体は雨宮雪乃ではない。


 この女はコソ泥だ。


 掛川はぐるりと部屋を見渡すと窓辺に寄って重いカーテンをサッと開けた。陽の光がわっと入り込み、眩しさに私は目をつぶった。


「その表情かお——あなたが雨宮雪乃ですね?」


 掛川は憐れむように言い切った。




「なぜ、わかったの?」


「わかりますよ。あなた自身は昔と違うと思っていても、僕には昔と変わらない雨宮雪乃に見えますよ」


「本当に? こんなに太ったのに?」


「やれやれ、女性ってなんで自分に厳しいんでしょうね? 僕からしたらちっとも変わってませんよ」


 化粧っ気がないので確信が持てませんでしたが、と掛川はつぶやいた。どうやら別人の化粧メイクをしてた方がこの男を騙せたかもしれない。


「このインコを雨宮邸で見たのは本当です。それに帰りたがっていましたし」


 配達時にそのインコが——ヨシノが不穏な言葉を繰り返したので、雨宮邸で何かあったのだと察した掛川は無理にでも真相を知ろうと上がり込んだのだという。


「タスケテはSOSです。昔と違って仕事が無くなったあなたは常に『助けて』と言うのが口癖になっていた」


 そう、同じく『見捨てないで』も常に口にしていた言葉だ。マネージャー兼家政婦のこの女に向かって言い続けていた。


「喧嘩が多かったのでしょう? この人の口癖が『出て行くわ、さようなら』になるほどに」


 ヨシノはそれを覚えてしまったのだ。


「口癖がとうとう本気になったのよ。最後に退職金をもらっていくと言って金目の物を持ち出そうとしたあの女を止めようと、私は咄嗟に——」


 彼女を背後から花瓶で殴って殺してしまった。


 それからとりあえず彼女の服に着替えた。


 彼女になりたかったわけじゃないけど、違う自分になりたかったのかもしれない。


 そして鳴り続けるチャイムを止めるために、とりあえず玄関を開けた。誰かが助けてくれるのかもと思ったのかもしれない。


 そのあとはとりあえず彼女のふりをした。雨宮雪乃の幻想を壊したくなかったのかもしれない。


 とりあえず……。


 とりあえず、とりあえず……。


「ごまかしは雨宮雪乃に似合いませんよ」


「そうね」


 せめて最後は女優らしくしようかと、とりあえず私は顔を上げた。







 完

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