できる中での最善を


「俺が行きます」


 月面、ホライゾン基地。

 原子炉の溶解が迫る中、ブライアンは自ら手を挙げた。彼の言葉に、周りの視線がその黒い顔に集まる。


「ブライアン、本気で言っているのか……?」

「はい。こんなときに冗談なんて言いませんよ」


 ハミルトン飛行士からの言葉に、ブライアンは毅然と答えた。


「他にやる人がいないっていうなら、俺が行きます。俺、ここに来てから不甲斐ないとこばっかりで、自分が情けなくて……だから、やらせてほしいです」

「…………」


 彼の覚悟の決まった言葉に、ハミルトン飛行士は悩んだ。

 原子炉内部に行けば、生きて帰れる事はないだろう。死にに行けと言うような命令である。躊躇いが生じるのは当然。

 私もハミルトンと同じ立場なら、そう悩むだろう。けれど私は、それを承知でいながら、ブライアンに続いて手を挙げた。

 

「私も行こう」

「ゴードン隊長……?」

「部下だけを行かせられない。俺も行く、人手は多い方がいいだろう」


 私がそう言って立候補すると、アレックスまでもが手を挙げた。


「俺も行く……」

「アレックス、お前は操縦士だろう。ここに残ってろ」

「ですが……!」

「お前は脱出する時に備えて待機だ。これは命令だ、いいな?」


 流石に分隊全滅というわけには行かない。これ以上部下を巻き込みたくない気持ちから、私はアレックスを制止した。


「ゴードン、ブライアンの二名。この作業に立候補します」

「……生きては帰れないぞ」

「承知しております。ですが、我々にやらせてください」


 私がそう言い、ブライアンも目線でそれに同意すると、ハミルトン飛行士は後ろを向いて深く息を吐いた。


「ゴードン分隊長、お前が指揮を取れ。ブライアンはゴードンの補助を」

「了解です」


 原子炉に行く二名が決まった事で、彼らの運命は決まったようなものだった。その場の飛行士達は顔を伏せ、決死隊の無事を祈るしかできない。


「ハミルトン飛行士殿」


 だがここで、もう一人の立候補者が出てきた。その声は、捕虜として隔離されていたセルゲイのものだった。


「俺も行かせてくれないか?」

「セルゲイ中尉……しかし、貴方は──」


 部外者でしょう、と言いかけたハミルトン飛行士を手で制し、セルゲイは続けて語った。


「ロシアの男として、アメリカ人だけにこんな事任せられん。それにアナトリーの事もある、ここが汚染されたらアナトリーはどうなる?」

「…………」

「部外者だが協力させて欲しい。頼む、ロシア人ではなく、一人の男として!」


 彼の語る覚悟を受け、ハミルトン飛行士は意を決したのか拳を握った。そしてこの場にいる飛行士達に向けて、高らかに宣言する。


「原子炉内部に三名を送る。ゴードン、ブライアン、そしてセルゲイ中尉だ」

「了解です」

「よし!」

「やってやるぜ!」


 許可が出たことを受け、三人は喜んだ。だからハミルトン飛行士の表情は暗いまま、彼らの身を案じている。

 そこにイヴァンがやってきた。ハミルトン飛行士は、急いで準備に入る仲間の飛行士達をよそに、イヴァン隊長に問いかけた。


「よろしかったのですか、イヴァン隊長……」

「月面が汚染される危機なんです。仲間が人類のために行くというなら、背中を押さなければなりません」

「…………」


 イヴァンはそう答える。ハミルトン飛行士は、改めて彼が自分とは違うタイプの指揮官であることを理解した。


 その後、決死隊は準備を整え東棟にいた。私とブライアン、そしてセルゲイの三人はそれぞれの準備を整え、原子炉区画の前に立っていた。

 原子炉を囲う、とても分厚い扉が開かれる。重厚な隔壁がゆっくりと解放され、扉の先には、地下に続く階段が見えた。

 蛍光灯の光だけが、その道を照らしている。その先に待ち受ける隔壁こそ、原子炉内部である。


「……準備はいいな?」

『はい』

『問題ない』


 私は改めて三人の意思を聞く。

 彼らの覚悟は変わらない。今でも月のため、人類のために覚悟を決めて立ち上がっている。その意思を受け、私は目を瞑り、再び開いた時にこう言った。


「行くぞ」


 そう言って、私は地獄の扉を潜った。蛍光灯に従い、二十段ほど階段を下りる。両サイドは無機質な金属の壁で覆われていた。

 二枚目の扉の前に来たところで、後ろに振り返り指でサインを送る。それを受け、外にいる飛行士達が一枚目の扉をゆっくりと閉めた。

 光が閉ざされ、階段には三人だけになる。ここから先は、三人だけで作業を進めなければならない。

 私は扉のハンドルに手をかけた。それをゆっくりと反時計回りに回して、扉のロックを解除した。

 開いた扉を、私はゆっくりと開放した。


「っ……!」


 その瞬間、肌が焼けるような痛みが響いた。宇宙服を着ているとはいえ、この規模の放射線は肌を直接焼き、細胞を破壊している。ここで作業できる時間はほとんどない、急がなければ。


「原子炉内部だ。足元の水に気をつけろ、地球と違って足元に絡んで滑るぞ」

『了解です……』


 私は原子炉内部の階段を、ゆっくりと降りる。内部は強いオレンジの光が照りつけ、照明よりも青い光で覆われていた。溶け出した物質の光だろう、今すぐ冷やさなければならない。

 私は一番下に辿り着いた。下の空間には水が張っており、原子炉の冷却を担当しているはずだ。しかし、今ここの水はほとんど蒸発しており、中は水蒸気に包まれている。


「ロシア人、傘の方は頼んだぞ……』

『任せておけ……』


 一番下に辿り着いた時、私はセルゲイに頼んで傘を広げてもらった。彼らが太陽フレアを防ごうとした傘の一部を拝借したものだ。多少の時間稼ぎにしかならないだろうが、この際他に手段はない。


「全員、吐きそうになったら水を飲め。そうでなくとも定期的に飲むんだ。ヨウ素剤入りだから多少マシになるはずだ……」

『ははっ、本当に気休めだよ。この水クソまずいしな……』

『文句を言うなよ……』


 セルゲイの愚痴をブライアンが咎める。私は苦笑いをしつつも、顔の横にあるチューブからヨウ素剤入りの水を一口飲んだ。確かに不味かったが、多少の免疫はついたはずだ。

 私たちは作業に取り掛かる。太陽フレアで故障した冷却系を治すため、新しい装置を設置して冷却系を循環させるのだ。

 私は一次冷却系のパイプを見つけ、そこへ手を伸ばした。まず故障したここを切断し、他の装置とのバイパスを作る。


「よし、切るぞ……」


 私は一次冷却系のパイプを切断するため、鋸を手にした。ブライアンにもう片方を持ってもらい、二人でそれに切り込みを入れる。そこからパイプの切断作業を開始した。


『よしっ』


 二人がかりで、三分ほどでパイプは切断された。固体化した冷却剤が漏れ出すが、装置は止まっているので循環せずそこで止まる。

 もう片方の方も切断し、私は破壊したパイプを他所へ置き、右手に新しい頑丈なホースを持つ。


「……手伝ってくれ」

『了解です』

『俺も手伝おう』


 三人がかりで、その重たいホースを切断したパイプのところまで持っていく。かなり嵩張るので、三人の協力が必要だった。


「持ち上げるぞ、せーのっ』

『っ!!』


 ホースが持ち上がる。切断したパイプの部分に、重たいホースが繋がれた。だが冷却系の循環まで、まだまだ長い工程が必要だった。









 一方、月面軌道上。

 二機のオービターが逆噴射の準備を行っていた。バイカルが機首を反転させる。コロンビアの方でもスラスターを噴射し、機首がゆっくりと反転する。

 送られて来た軌道データをもとに、適切な角度で盾を作れるシミュレーションを完了。軌道修正に移行し始めた。


「燃焼開始!」


 アレクセイの宣言の下、パベルが後部スラスターを点した。機体がガクンと揺れ、バイカルはゆっくりと減速に入る。

 コロンビアの方も逆噴射に入った。あちらの方が強力なスラスターを搭載しているのか、減速スピードは段違いだった。みるみる位置に距離が離れる。

 微量な噴射により、バイカルの軌道速度は緩やかに縮んでいく。軌道円がゆっくりと地表に近づく。月の反対側で、機体は高度1万2000mの高さまでに降下した。ここでパベルは燃料を停止する。


「燃焼終了!」


 バイカルのスラスターが停止した。機体の減速が緩やかになり、機体の速度が一定になった。

 少し調節し、先に燃焼を終了させていたコロンビアと並走した。コロンビアとの距離を、相対速度を完全なゼロにまで微調節する。既にコロンビアとの距離は100mにまで縮まっていた。


「よし、今度は接続だ。燃料タンクを太陽へ」

「了解」


 バイカルはスラスターを噴射し、再び機首を一回転させる。黒い燃料タンクが太陽の方向を向くよう、機首をほぼ天頂方向へ向ける。

 そこからさらに機首の向きを調節し、機体が太陽に対して盾になる角度で止めた。

 これによりバイカルは、太陽の盾となりコロンビアと同じ速度で並走することになった。機体は安定しており、予備の燃料も残ったままである。

 コロンビアの方は、バイカルに対して機体を逆さまにしている。機体の翼の形状から、二機の翼を丁度良く重ね合わせるための措置だった。


「よし、コロンビアにゆっくりと近づけ」

「了解です」


 位置合わせを完了し、事前の計画通りバイカルの方がコロンビアに接近する。コロンビアの方は、事故を防ぐために待機していた。

 コロンビアは機体のカーゴを開き、ロボットアームを展開してバイカルを待ち構えている。逆さまで待機するコロンビアに対し、バイカルは機体をぶつけないように慎重に接近する。


「よし、そのまま……」

「…………」


 パベルは集中して、絶妙な速度でバイカルに接近した。

 50m、距離がだんだんと縮まり、コロンビアの巨大な主翼が視界いっぱいに広がる。

 10m、バイカルの主翼がパズルのピースのように、コロンビアの主翼に収まる。


「っ!」


 1m、パベルは機体の主翼をコロンビアに対して完全に収めた。耐熱タイルの損傷は見られず、機体はほぼ重なった状態で停止した。


「よしっ、これでいい」


 パベルの操縦はピカイチだった。慎重な作業だったが、二機はほぼ重なり合った状態で飛行し続けている。

 アレクセイは次のステップのため、すぐさまニコライに指示を送った。


「今だニコライ!ロボットアームでコロンビアを掴むんだ!」

「分かってる!」


 ニコライはバイカルのロボットアームを操作するべく、座席から急いでコンソールの方へ飛び出した。

 無重力空間を滑るように移動し、近くの手すりにつかまり身体の浮遊を停止させると、ニコライはコンソールに取り付いた。

 コンソールには二個の操縦桿が備え付けられており、片方の操縦桿には引き金が三つ付いていた。ロボットアームは機体の窓から全容を把握することができた。


「くそっ、やってやる……」


 ニコライは緊張しながらも、ロボットアームによる接続作業に入った。二つの操縦桿を握り、ロボットアームの動きの具合を確認した。東ドイツ製の宇宙作業用ロボットアームは、基部から第一、第二関節、共に問題なく稼働していた。

 ニコライは無言で作業を開始する。狙いはコロンビアのカーゴに備え付けられた、物資搬入用の貨物パレット。パレットはコロンビアのカーゴにがっちりと固定されているため、それにロボットアームをつなぎ合わせるのだ。


「よし、慎重に……」


 ニコライは関節に負荷をかけないよう、慎重にアームの先をコロンビアの方へ向けた。そこからはアームのカメラを起動し、位置を調節しながらパレットの方へアームを伸ばす。

 パレットの真上にまで来たところで、第二関節を折り曲げ、アームの先端を伸ばす。アームの先端がパレットの金具を完全に捉え、掴める距離にまで達したところで、ニコライは右側の操縦桿の引き金をすべて押した。

 ロボットアームのマニピュレータが、パレットの金具を完全に掴んだ。機体はロボットアームにより固定され、接続が完了する。


「できたぞ!」

「よし、コロンビア、お前らの番だ!」

『まかせろ!』


 それと同じ手順で、今度はコロンビアのロボットアームがバイカルの方へ伸びる。同じ手順でバイカルとコロンビアを完全に固定するのだ。

 バイカルの方にあるのは、ミサイルランチャーを固定しているパレットである。こちらの金具は狭いところにあるので、ミサイルランチャーを迂回しなければならない。より慎重な作業が要求された。


『もう少し、もう少し……』


 コロンビアのクルーが、慎重にアームを操作する。

 アームが伸びていき、バイカルのミサイルランチャーを避けたところでアームが屈折。第二関節より先が伸びていき、ゆっくりとパレットへ伸ばされた。アームの先端がパレットを掴む。


『よしっ』

「いいぞ、接続を確認した!」


 二機はこれで、ほぼ完全な盾の状態で接続されたことになる。一番珍重な作業が完了したことで、アレクセイたちはひとまず安堵して深く息を吐いた。


「太陽フレア到達まで、あと10分……」


 軌道変更は完了し、オービターによる盾も構築された。

 できることは精一杯やった。あとは作戦の成功を祈るだけしかできなかった。

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方舟開拓史 創作家ZERO零 @zero_zero006

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