一人と仲間は最善のために
『オービター二機で傘を作るだと?』
月面、ホライゾン基地。
発電能力を失ったホライゾンでは、原子炉が復旧するまでの間、非常用の赤い電灯が付いていた。外では太陽光パネルを展開し、バッテリーの電力が無くならないよう気を配っている。
そんな状況のホライゾン基地では、地球との通信が行われていた。かなりの電力を消費する行動だが、ある作戦を行う以上、ヒューストンの助けが必要なのだ。
メルトダウンの危機がある原子炉を技術者に任せ、通信設備へ戻ってきたハミルトン飛行士は、軌道上から伝えられた提案を述べた。
「軌道上のソ連側オービターからの提案です。二機のオービターの液体燃料なら、太陽フレアの電磁波を和らげることができるのです」
『それは分かるが……オービターで傘を作ると言うのは?』
「軌道上の二機を重ねて、巨大な傘を作るんです。それで太陽フレアが来るタイミングで、ちょうどよくホライゾンの上を通れば、ホライゾンへの太陽フレアは最小限で済みます」
ハミルトン飛行士は、そう言って作戦を簡潔に説明した。作戦としては、太陽の向きとホライゾンの軌道上を通るタイミングが重要であり、確実にするにはヒューストンからの支援が必要だ。
しかしヒューストン側は、あまり良い案と思っていないのか怪訝な表情だった。責任者はしばらく考え、そして口を開く。
『不可能だ……確かにできなくはないが、通り過ぎるのは一瞬だ。タイミングが難しすぎる』
「頼みます。その一瞬だけでもホライゾンの上を通れば良いんです。それを計算していただければ……」
『……しばらく議論させてくれないか。ソ連と手を組むのは、我々の一存では決められない』
「そんな、議論なんかしてる場合ですか!第二波まであと80分しかないんで──」
ハミルトン飛行士は画面に詰め寄るが、通信は切られてしまった。無念からか、机を叩く音が部屋にこだまする。
「くそっ、次来たらホライゾンは手がつけられなくなるんだぞ!」
ハミルトン飛行士は机を叩いて怒りを露わにした。なるべく早く結論と計算を出さなければ、軌道上のオービターは展開が間に合わなくなる。
「政治的に協力は難しいのでしょう。致し方ありません、間に合うのを祈りましょう」
「くそっ……現場でできることが少なすぎる」
私もハミルトンと同じ心境だった。この作戦の場合、もし軌道修正が間に合わなければ基地ごと原子炉がメルトダウンを起こす。
そうなれば、ケプラークレーターは放射能汚染で向こう百年は住めなくなるだろう。それは避けなければならない。
ハミルトンと私は、失意の中で通信室から出て、東棟へ向かった。東棟に向かうと、ソ連側のイヴァン隊長が出迎えてくれた。
「基地司令殿、どうでしたか?」
「すまないイヴァン隊長殿、本国はまだ結論を出せていないようだ。これでは作戦が間に合うかどうか……」
「そうですか……しかし、困りましたね。早めに手を打たなければ軌道修正が間に合いませんよ」
イヴァン隊長に現状を知らせる。それを聞き、イヴァンの方も残念そうに俯いた。
宇宙規模の災害ということもあり、お互いは休戦状態となっていた。一応、お互いに武器は持ち込んでいるが啀み合う状況じゃない。それはどちらもわかっていた。
「この際、この基地のパソコンを総動員するのはどうですか?ある程度の計算なら可能なのでは?」
「……出来なくはないですが、電力が心配です。原子炉が復旧出来ていません」
「確かに……軌道計算には、様々なパターンを計算する必要がありますからね。電力が足りない状況ではやりたくない」
イヴァンの案の実行も難しかった。現在原子炉は停止中であり、冷却機構の損傷からメルトダウンの危険性すらある。パソコンの電力が足りるかは分からない。
私もこの基地の電源が落ちるなんて想像もしたくない。そうなれば原子炉を止めることも叶わなくなる。
「なぁゴードン、アナトリーの方は大丈夫なのか?」
東棟ロービの椅子には、捕虜だったセルゲイが座っていた。ソ連側の兵士を受け入れたということもあり、彼はもうすでに解放されていた。
彼は重体だった同僚のことを心配し、私に問いかけた。彼の生命維持には、この基地の設備と電源が必要不可欠であるため、余計心配なのだろう。
「今は大丈夫だ。だが、電力が本当に無くなったら彼は……」
「そうか……」
私がそう言うと、セルゲイは黙ってしまった。東棟に集まった飛行士たちの間に、沈黙が流れる。
「……ハミルトン司令。最悪の場合、基地を放棄することも考えなければ」
私は状況の最悪さを察し、ハミルトン飛行士に傍で耳打ちをする。
「そうだな……イヴァン隊長、お互いの宇宙船は、いつでも使えるようにしましょう」
「そうですね。最悪の場合は我々の宇宙船も使ってください」
「感謝します。総員、念のため宇宙服は着たままでいろ。バイザーはいつでも閉じられる状態にしておけ」
ハミルトンがそう指示を出すと、各員はヘルメットの状態を確認し、いつでもバイザーを閉められるようにした。中の空気の残量も確認する。
『ハミルトン司令!至急、原子炉制御室に来てください!』
そうしてこの場にいる全員が宇宙服のチェックを行なっていると、ハミルトン飛行士の通信機に怒声が響いた。
「なにっ、どうした?」
『説明は後です!急を要します、急いで!』
よほど焦っていたのか、通信はオープン回線でソ連側にも丸聞こえだった。だが今更そんなことを気にするほど、流暢なことは言っていられない。
ハミルトンと私は原子炉制御室に向かう。その後を追い、何人かのアメリカ人飛行士たちが続く。私たちは原子炉制御室に飛び込んだ。
「ハミルトンだ、入るぞ!」
「司令!」
原子炉を制御する技師長は、一つのモニターを指差した。そこには原子炉の状態と、炉心温度が表示されている。
「見てください、炉心温度が上昇しています!」
「なにっ、スクラムを発動させたのに……?」
温度は危険なほど上昇していた。
通常、炉心の温度は素材が溶けないよう適切な温度に冷却されている。しかし、スクラムを発動させたのにも関わらず、炉心温度はさらに上昇していた。
「炉心温度800°だと……!?」
「おそらくですが、核分裂生成物の崩壊熱かと。このままでは、太陽フレアが来る前にメルトダウンします」
「なっ……手は打てないのか!?」
「破損した一次冷却循環系を修理しなければ、どうにもなりません。もしくはバイパスを繋いで、冷却することができれば……」
技師長の打ち出した言葉には、ハミルトンは絶句した。
「それは、原子炉区画の中に入らなきゃ出来ない!宇宙服を着ているとはいえ、危険すぎる!」
冷却系の装置は、原子炉の内部に通じている。もしそれを修理する場合、原子炉の中に入って直接人が作業をしなければならない。
宇宙服を着ているとはいえ、それでも防げない規模の放射線を浴びる可能性があり、あまりにも危険すぎた。
「しかし、それ以外に手立てはありません!せめてフレアが来る前に冷却系を直さなければ……」
「くそっ……ああわかった、じゃあ俺が行く!今すぐ準備をしろ!」
「ま、待ってください!わざわざ司令が行く必要は……」
「じゃあ誰が行くんだ!?原子炉内部はフレアと比べ物にならないんだぞ!」
ハミルトンと技師長は言い争う。確かにこのような危険な任務、誰かに行けと命令できるわけがない。ハミルトン司令は自ら原子炉に突入しそうな勢いだった。
私もどうするべきか考えていた。危険な仕事であり、生還の見込みはない。それでも立候補しようかと思っていたが、それよりも先に、隣にいる飛行士が手を挙げた。
「俺が行きます」
手を挙げたのは、ブライアンだった。
彼の浅黒い顔に付いた目は、覚悟を決められていたのか鋭く光っていた。
一方の月面軌道上。
戦闘往還機"バイカル"では、待機が命じられた。軌道修正の指示はまだ来ない。提案した作戦も、承認されたのか未だ回答はなかった。
「くそっ、あと60分か……」
「まだ回答は来ないな」
「…………」
アレクセイ、パベル、ニコライの三人はそれぞれの座席で待機しつつ、軌道修正の指示を待っていた。だがやはり、待てども待てども地上管制はうんともすんとも言わない。
「こっちの政府がゴネてなければ良いんだがな」
「おい、今の発言は聞き捨てならないぞ」
「へいへい……しかし、やるにせよやらないにせよ、早く回答が欲しいものですね」
パベルの言葉には、ニコライが厳しい口調で説教する。
「今政府は、資本主義者と手を組むかどうか本気で考えていらっしゃるのだ。もし協力しておいて、後々外交で付け入れられたらたまったもんじゃない」
「こんな時くらい協力しましょうよ……月面基地がメルトダウンすればズヴェズダだって危ないし、核戦争だって望んでないでしょう?」
「…………」
パベルがそう言うと、ニコライは黙ってしまった。一理ある意見なのだろう、いくら西側諸国を敵視しているとはいえ、核戦争など望んでいない。そうなれば自身も滅亡するからだ。
私は項垂れるニコライの様子を見て、深くため息を吐いた。待てども待てども、状況は良くなりそうにない。タイムリミットは刻一刻と迫っていた。
そんな時、左側にある通信端末がデータを受信したのか、コール音が響いた。アレクセイは端末の方を見て、十字キーで画面を操作した。
「どうした?」
「どこかからデータが送られてるぞ。地球の……太平洋上、アジア……いや、これは日本だな。日本の富嶽通信社を名乗ってる」
「フガクからだと?」
意識していなかった第三国の送信者に、三人は顔を見合わせた。しばらく考え、パベルが口を開く。
「開いてみましょう。ヤポンスキーがわざわざこっちにデータを送るなんて、何かあるんじゃないですか?」
「西側の電子戦だったらどうする?」
「こんなところまでウィルスを送り込む奴は居ないだろう。開くぞ」
「おい、勝手な事は──」
アレクセイがニコライを無視し、そのデータファイルを開く。すると膨大な量のテキストデータが開かれた。
テキストデータはほとんどが数式を表しているようであり、計算式とその回答、それが何十パターンも用意されていた。
「これは……軌道計算のシミュレーションです!ものすごい数のパターンがありますぜ!」
「なっ、どうしてこんなに……」
同じ通信端末に、さらにデータが送られてきた。同じ日本から、数十種類のテキストファイルが送られてきた。その中には名だたる日本企業の名前がずらりと並んでいる。
「まだまだ送られてくる!帝芝にトミタ、順天堂からも!」
「な、なんで日本からこんなにデータが届くんだ?」
名だたる電子機器メーカーから自動車メーカー、さらには玩具メーカーからもデータが届いたのを受け、三人は驚きと困惑が加速した。
メッセージはさらに続き、こちらの軌道データをもとに計算したことが明らかだった。
これは、事情を知っているアメリカかソ連からデータを提供してもらわなければ計算できない。つまり考えられるのは、両国からの依頼である可能性だ。
「コロンビア、そっちはどうだ!?」
アレクセイは傍のマイクを掴み上げ、コロンビアにも確認を取った。すると彼らからも驚きの声が上がる。
『こちらにもデータが届いてます!東ドイツ、韓国、ノルウェーから……インド人の手書きデータもありますよ!』
「やっぱりだ!」
「そうか、第三国の研究機関に依頼をして……」
コロンビアの方にも、各国からのデータが送られていた。すかさずアレクセイは、傍のパネルに目を向ける。
「なあパベル、これらのデータを使えば……」
「ああ、ちょうど良い軌道を割り出せるかもしれん」
二人は可能性が開けた事を確信し、ニヤリと笑った。やったのはアメリカか、ソ連のどちらかはわからないが、とにかくこれで軌道算出が間に合いそうだった。
「お、おい、待て、ここで機動して燃料は保つのか?」
「今更自分の心配か?世界の危機なんだぞ、多少漂流したって構うもんか」
「なっ……」
怖気付くニコライの意見を無視し、パベルは計算を始めていた。この際暗算でシミュレーションされた軌道から、直接高度とタイミングを割り出すしかない。だがパベルのスキルならそれは可能だった。
「よし、データからタイミングを調節すれば行ける!やれるぞ!」
「パベル、急げ。まだ間に合ううちに!」
太陽フレア到達まで、残り一時間。
一人は仲間のために、仲間は皆のために、最善を尽くそうとしていた。
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