とりあえず手向山

平井敦史

第1話

「とりあえず手向山たむけやま


 そんな言い回しが流行はやったのは高一こういちの冬。うちの高校の伝統行事である百人ひゃくにん一首いっしゅ大会が終わったあたりからだった。

 とりあえず〇〇しようか、と言いたい時に、「とりあえず手向山たむけやま、マクド行こっか」みたいに使う。


「で、『とりあえずたむけん』てどういう意味だっけ?」


 放課後、何となく教室に残って話をしていたら、「浦島うらしま優子ゆうこ」が私に尋ねてきた。

 優子と私、「大西おおにし美由紀みゆき」はクラスメイトで、性格は正反対ながら何故か馬が合い、よくおしゃべりをする間柄だ。


「……『たむけん』じゃなくて『手向山たむけやま』だってば」


「百人一首の中にそれっぽいのがあったのは覚えてるけど」


「その程度の認識しかないの? 大会の前にはクラス皆で覚えたでしょうに。菅家かんけの和歌よ。『このたびは ぬさもとりあへず 手向山たむけやま 紅葉もみじにしき かみのまにまに』」


「カンケさん?」


菅原すがわら道真みちざね公のことよ。学問の神様」


「あー、知ってる。京都の北野きたの天満宮てんまんぐうの神様だよね。高校受験の時、京都の親戚がお守り送って来てくれたわ」


 ほう、優子にしてはよく知ってるじゃないの、などと思ったら……、


「でも、神様も和歌をんだりするんだねぇ」


 微妙に馬鹿っぽいことを言い出した。やっぱり優子だ。


「死後に神様としてまつられただけで、生前はただの人間だから。偉い学者さんで高級官僚でもあったんだけど」


「へえ。で、歌はどういう意味?」


 さすがに私も、百人一首の和歌の詳しい意味までは知らないわよ


「スマホで調べなさいよ」


 それもそっか、と言って優子はやたらとデコったスマホを取り出し、検索し出したけれど、


「うん、色々書いてあるけどよくわかんない。要するに『紅葉もみじが綺麗だった』って言いたいだけ?」


 やれやれ、世話が焼ける。私も自分のスマホで調べてみた。


「……道真公が、宇多うだ天皇の行幸ぎょうこうに従って奈良県の吉野よしのへ行った時に詠んだ歌なのね。急な旅だったので、道祖神どうそしんに捧げる御幣ごへいの準備も出来なかったけど、代わりに山々の紅葉を捧げますのでお受け取りください、みたいな意味だって。手向山たむけやまっていうのは京都と奈良の境あたりにあった山の名前らしいわ」


五平餅ごへいもち?」


「『御幣ごへい』っていうのは、色とりどりの紙や布を細かく切ったもので、これを道端にある道祖神に捧げる風習があったらしいわね。歌の中では「ぬさ」と言ってるけど……って、ちゃんと解説が書いてあるでしょうが。自分で読みなさいよ」


「えー、めんどくさい」


 私、切れていいかな?

 まあ、優子はいつもこんな調子なんだけどね。

 何だかんだ言いながら、付き合いが続いている。


 私が不機嫌になったことを察したのか、優子はかばんからチョコビスケットの箱を取り出し、一つ差し出した。


「アル〇ォート食べる?」


 まーたこの子は学校にお菓子を持って来て。

 と言いつつ、私もいつも分けてもらって食べてるんだけど。


「ありがと」


「で、結局この歌は何が言いたいの?」


 そう端的に聞かれるとなあ。


「山々の紅葉が綺麗でした、ってことかな」


「それだけ言うために持って回るねぇ。百人一首には恋の歌とかもいっぱいあるみたいだけど、要するに『好きです』とか『会えなくてつらいです』とか一言で済むのが多くない?」


「いや、そう言ってしまったら身も蓋も無いでしょ」


 私は嫌いじゃないけどな。一言で済むところを、技巧を凝らして持って回った和歌を詠み、相手に気持ちを伝えようとする昔の人たちの感性。


「美由紀もさ、あまり深く考えないで、とりあえず手向山たむけやま、付き合ってみれば? この前西野にしのくんにこくられたんでしょ?」


 あー、その話になる?


 先日、隣のクラスの西野にしのくんにこくられて、映画に付き合いはしたけれど、本格的に交際するとなるとなぁ。


「そういうあんたは、軽いノリで付き合い出したらどんどん深みにはまって行って、挙句に振られて泣きを見るパターンの繰り返しでしょうが」


「いいの。あたしは恋に生きる女だから」


「『伊勢いせ』か、あんたは」


「異世界転生?」


 どんな耳してんだか。


「伊勢」というのは平安時代の女性歌人で、百人一首にも「難波潟なにわがた 短かきあしの 節の間も はでこの世を 過ぐしてよとや」という歌を残している。恋多き女性として有名な人、らしい。

 あしの節ほどの短い間も、恋人と会わずに過ごすのはつらい、っていう歌だ。

 うん、優子もそんな感じなんだよな。


「とりあえず手向山たむけやま、今日は彼ピとデートだから。そろそろ待ち合わせ時間だわ。じゃあまたね~」


 怒涛のように去って行った。まったく、あの子ったら。


 でも、私とあの子、どちらが正解ということはないのだろう。

 とりあえず手向山たむけやま、私は私の心のままに生きる。きっとそれでいい。



――Fin.



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優子は惚れっぽい性格ながら一度惚れた相手には一途なのですが、いささか情が深すぎるゆえに相手に引かれてしまう、というパターンをこの後も繰り返し、太郎との一件では心に深い傷を残すことになります。

しかし藤田と付き合いだしてからは、お調子者だけど懐の深い彼に受け止められ、結婚して幸せに過ごしています。


一方美由紀は、男友達はいても心底好きになれる相手とは中々めぐり会えない、という状況が続きます。

彼女のその後も、いずれ書きたいと思っています。

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とりあえず手向山 平井敦史 @Hirai_Atsushi

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