【短篇】秘技「トリあえずの剣」ってそんな名前じゃどうしようもねぇんだよなぁ!

笠原久

もっとこう……この流派カッコいい! っていうのがほしいんですよね

「お師匠さま」


 と、年若い男が呼びかける。十五にしては小柄な体躯であったが、いかにも聡明そうな顔立ちで、なにより強い意志を感じさせるよい目をしていた。


「うむ……」


 と、応じたのは年を召した老人である。髪も髭も真っ白で、腰が曲がっていてもおかしくない年頃であった。だが、老人の足取りは若者のように力強い。着物のうえからでも、がっしりと鍛えられていることがわかる。


「七郎よ、お主にワシの剣を託そうと思う」


「ついに、弟子にしてくださるのですね?」


 七郎と呼ばれた若者は声を弾ませる――老人はうなずいた。


「織田が討たれ、太閤となった豊臣家も沈んだ……今後は徳川の世が来るであろう」


 老人は息をつく。


「ふたたび乱世となるかはわからぬ。だが、もし太平の世となれば……剣は不要のものとなろう」


「お師匠さま」


「七郎よ……ワシはこれまで、鍛え上げた己の流儀がどうなるか、興味を持てなんだ。だが、剣が必要のない世界が来るかもしれぬ……己の鍛えた技が、誰にも知られることなく消えていくかもしれぬ……そう思った途端――惜しくなった」


 老人はスッと七郎を見据える。


「七郎よ、どうかワシの技を、剣を……後世に伝えてはくれぬか?」


「むろんです! お師匠さま! 今日という日を待ち望んでおりました……!」


 そうか、と老人の答えは一見そっけなかったが、声は喜びにあふれていた。


「もっとも、伝えるといってもワシの技はひとつしかないがな」


 老人は木刀を正眼に構えると、すさまじい速さで突きのような斬撃を繰り出した。落ちてきた木の葉が切っ先に触れ、粉微塵になるように斬り裂かれる。


 七郎は感嘆の吐息を漏らした――木刀でこれだ。真剣であれば、どれほどの威力であろう。


「お見事な腕前です、お師匠さま」


「ワシの技はこれひとつのみ……刺突のごとき速度で、幾重にも斬撃を繰り出す――その名も、トリあえずの剣!」


「おお! まさにこの秘剣にふさわしき――!」


 七郎は言葉を止め、首をかしげて、


「お師匠さま……今、なんと?」


 と、確認のためにもう一度問うた。


「秘技『トリあえずの剣!』じゃ!」


 老人は、このうえなく得意満面であった。


「……その、どういった意味を込めて、そのような名称に?」


 七郎が問うと、老人は少々照れくさそうに、


「うむ……複数の意味が込められておる。ひとつは、『取り敢えず』で出しておけばよい必殺剣だからじゃ!」


 老人はもう一度、秘剣を使ってみせる。惚れ惚れするような技だ。技だけを見れば、だが。


「剣の技は多々あれど、ワシの剣は『取り敢えず』これ使っておけば敵を倒せる究極の奥義……! 名前をいかにすべきか、さすがのワシも三年ほどかかった」


「三年……三年ですか」


 三年かけて、その名前……という言葉が喉元まで出かかった。


「そしてなにより最大の意味は――この秘剣誕生にまつわるものじゃ!」


「なにか逸話が……!」


 七郎は期待した。そう、偉大な剣豪はこの手の話に事欠かない。


 念流の開祖、念阿弥慈恩ねんあみじおんは鞍馬寺で異形の者から剣を教わったとされているし、鹿島神流を編み出した松本備前守まつもとびぜんのかみは鹿島神宮にこもって奥義「一之太刀ひとつのたち」を会得した。


 その松本備前守の弟子にして、最強の剣豪としても名高い塚原卜伝つかはらぼくでんもそうである。一千日に及ぶ鹿島神宮での修行の末、ようやく「一之太刀」を継承し、鹿島新當流を興したのだ。


「そう……あれはワシが剣の道に行き詰まっていたときのことじゃ……」


 老人は遠くを見るように山へ目を向けた。ふたりがいる丘のうえは、けやきの木が一本生えているだけで見晴らしがよい。


 山はすでに秋の色に染まって、辺り一面、紅葉が木々を彩っている。穏やかな風が木の葉を揺らし、落葉が二枚、三枚と宙を舞う。


「一羽の鳥がおった」


 鳥、鳥か、悪くない――と、七郎は思った。


 陰流を創始した愛洲移香斎あいすいこうさいは、三十六歳のとき鵜戸うと神宮の岩屋で猿、あるいは蜘蛛に化身した神から奥義を授かったと言われている。


 鳥の化身に伝授された秘剣――行けるぞ! 七郎は期待に胸をふくらませた。


「なんの鳥か未だにわからぬ。その鳥はオスだったようで、一羽のメスに求愛しておった。が、まったく相手にされず、翌日になるとメスの鳥はいなくなっておった。オスの鳥は、そりゃあもう暴れ狂っておってのう。そのくちばしの動きたるや!」


 老人は木刀で、鳥がくちばしで突く様子を再現してみせた。


「それを見て思ったのじゃ。ああ、これじゃ! と……。あのように素早く、動きまわりながら刺突のごとき斬撃を無数に浴びせられればひとたまりもない!」


 老人はグッと木刀を握りしめ、空を見上げた。快晴の、雲ひとつない晴れやかな青空であった。


「ワシはあの鳥に敬意を込めてなぁ……すなわち、! 逢引に失敗した鳥のおかげという感謝の意を込めて『トリあえず』の剣というわけよ!」


 ハッハッハ! と、老人は高らかに笑った。


「七郎、どうか我が『トリあえずの剣』……後世に伝えてくれるか?」


 一呼吸置いてから、七郎は答えた。


「もちろんです! 師の伝えます!」


――――――――――――


「一刀流や二天一流、柳生新陰流などに比べれば知名度では劣るものの、やはり怪鳥流かいちょうりゅうの凄まじさについて語らないわけにはいかない。


 怪鳥の名のとおり、この流派は異形の鳥との勝負によって生まれた剣術なのである。


 開祖である鈴木権兵衛すずきごんべえはある日、ひとりの武芸者に果たし合いを申し込まれる。しかし、約束の場に行っても相手はおらず、代わりに一羽の不気味な鳥が木の枝にとまっているだけだったという。


 権兵衛が不審に思っていると、『どこを見ている?』と鳥が人の言葉を話し、突然烈風を起こして無数の羽根を飛ばしてきたというのだ。


 全身を羽根で突き刺され、さらに強風で転げてしまい、たまらず逃げ出す権兵衛……あれは荒神か妖怪か、とにかく尋常の者ではない。普通ならさっさと逃げてしまうところだが――権兵衛は決してあきらめなかった。


 なんと彼は三年にもわたって、毎日のように鳥に挑み続けたというのだ。


 苛烈な修行を積み、烈風と羽根をなんとか攻略すべく試行錯誤を繰り返す日々……普通なら投げ出してしまうであろう苦行の果てに、彼はついに無数に飛ばされる羽根をすべて叩き落とし、さらに烈風をものともせず動く体捌きを身につけた。


 斬りつけた鳥は『見事なり!』と権兵衛を称賛し、無数の黒い羽根の塊となって空の彼方へと上っていったという。


 秘技として名高い『一之太刀』にならって『一千之太刀いっせんのたち』と名づけられたこの奥義は、怪鳥流唯一にして最強の奥義となっている。


 普及に貢献したのは、ただひとりの直弟子である鈴木七郎であるが、師である権兵衛の強さは隔絶していたようだ。


 なにせ七郎は、師の技を完璧に伝えることができなかった、と噂されているからである。これは少々オカルトな話になるが、権兵衛の墓がある町に泊まると、今でも夜な夜なこんな声が聞こえてくるらしいのだ。


『なぜじゃ七郎、なぜ変えたんじゃ……!?』


 実に悔しげな声だそうで、現在伝えられている怪鳥流の技が、扱いやすく改造したものに過ぎないとされているゆえんである。


 といっても、怪鳥流の会得難度の高さは尋常でない。特に『一千之太刀』の恐るべき秘技を一度でも目にすれば、この剣術流派がどれほど恐ろしいかはよくわかるだろう。


 七郎の師、権兵衛はこれより凄まじかったというのだから、寒気すらするほどの空前絶後の剣豪だったに違いない」


 書読書房『知られざる日本剣術列伝』より抜粋。(了)

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