鳥居さんの憂鬱

芦原瑞祥

この話はフィクションです

 私の名前は鳥居という。

 小さい頃から、名字でからかわれることが多かった。鳥山とか鳥口とかならよかったのだろうが、トリイだとトリをそのまま伸ばして発音しているためか、余計に鳥を連想してしまうのだろう。

 とりあえずあだ名は、トリに引っかけた商品名やキャラクター名にされる。とりりのり、とかトリコとか。

 小学校の学級対抗合唱コンクールで、男子たちが曲を「鳥のうた」に決めてしまい、サビの部分を「トリよートリよートリイさんー」と毎回毎回歌ってからかってきたときは、本当に鬱陶しかった。

「もう嫌や、名前変えたい!」と言った私にすかさず「鳥居から大鳥居にするんか?」と突っ込んでくるので、私の名前変えたい欲はますます高まった。

 とはいえ氏の変更は条件が厳しいから無理だ。親が離婚して母方の姓になるか、自分が結婚して夫の姓になるかだろう。


 大学生になった私は、合コンに呼ばれると相手の性格や容姿よりも、名字をチェックするようになった。早乙女、いいねえ。一条、シュッとしてるわ。桐生、品があるじゃん。

 何人かお付き合いすることもあり、そのたびに「結婚したらこの素敵な名字になれる!」と妄想していたのだが、そんな基準で選んだ相手と上手くいくはずもなく、DVやら浮気やらで速攻別れる羽目になることを繰り返していた。

 高望みしたから罰が当たったのだ、と私は「ありふれた名字」にターゲットを移した。田中、中村、山本といった、クラスに二人以上いるような、からかわれるフックのない名前がいい。

 こうして私は山本さんとお付き合いすることになったが、「小さい頃は『上から読んでも山本山、下から読んでも山本山』ってからかわれたよ」という話を聞いて、結局どんな名字になってもからかってくる奴はいるのか、と悲しい気持ちになった。


 社会人になり、さすがに大人だから名字でからかわれることはなかろう、と思っていた矢先の新入社員歓迎会で。


あえずビール!」


 先輩たちは、わざわざ「トリ」にアクセントを置き、「鳥居さんにトリあえずー」などと「うまいこと言った」みたいな顔で私にグラスを渡してくる。

 いや、おもろないから。関西人やったらもっとおもろいこと言えや。失格失格、ツッコミ素振り百回して出直してこいや。

 仕事中も、「鳥居さんにトリいそぎー」と書類を渡してくる。私も大人なので「トリいそぎ承りましたー」と笑顔で応対するが、心の中は氷点下だ。

 外国人社員、特にアジア系の人が欧米系の職場で働くときに、ビジネスネームとして自分で決めた通称を使うことが多いが、あれを日本人同士の職場でも適用してくれないだろうか。そうしたら、有栖川とか京極とかにするのに。


 そんな折、東京本社から雲梯うなてさんが転勤してきた。格好いい名字にふさわしく、雲梯うなてさんは仕事ができて周りにも気遣いを忘れない人だった。イケメンエリートの雲梯うなてさんは、たちまち大阪支社の人気者になった。「雲梯うなてさんってカッコエエなぁ」と女性社員たちが話しているのを聞き、私も心の中で「そうですよね、何といっても名字が素敵!」と激しく同意する。

 

 ある日、取締役が雲梯うなてさんのデスクに来て言った。

「あれ? うんてい君、いないの?」


 うんてい? うんていってあの小学校の校庭にあった、はしごをぶらさがり健康器みたいにしたやつ? ……あ、漢字で書いたら雲の梯子、雲梯うんていなのか。


「はい、うんてい、います! どうされました?」

 戻ってきた雲梯うなてさんがにこやかに対応する。うんてい呼びに特に気にする様子も、目上の人だから我慢している様子もなく、さらりと流している。

 ああ、この余裕こそが、彼をエリートたらしめているのか。


 雲梯うなてさん、小学生の頃は「雲梯うんていがうんていしてるわー」とかからかわれたんだろうな。それなのに、ひねくれることもなくエリートに育って、えらいなぁ。名字も含めて、自分を肯定できる自信があるからなんだろうな。

 私はようやく、嫌いだった自分の名字を肯定していこうという気になれた。


 そんなこんなで私は、伝言メモのサイン代わりに鳥居のマークを書く程度には、自分の名字を前面に押し出すようになった。

 でもやっぱり、来世では鷹司とか五百旗頭とか東雲のような格好いい名字になりたいな、と思ってしまう。三歩歩けば決意を忘れてしまうトリ頭なので。

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鳥居さんの憂鬱 芦原瑞祥 @zuishou

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