昔語り鶏皮づくし
いいの すけこ
いつかの食卓
「とりあえず生ー」
カウンターの向こうで、常連の女性客が言った。
「はいよー」
とりあえずという文言が通るのは、一杯目だけではなかろうか。それとも一周まわって、追加のとりあえずか。
彼女は焼き鳥と烏賊の一夜干しと和え物をつまみに、すでにビールとハイボールとウーロンハイを、ジョッキで三杯空けている。ここではないどこかを見つめているような、危うげな目つきをしていた。
「もしかして結構酔ってます?」
自分と変わらぬ、二十代後半か三十代にかけてくらいの年頃と思われる常連さん。月に一・二度来店する彼女は、そこそこお酒に強いはずだけれど。
「んー、今日はお酒の進みが早いかも。これ、おいしいね。美味しいつまみがあると、どんどん飲んじゃう」
「鶏皮の和え物ですか?」
彼女が示したのは、鶏皮ときゅうりをからし醤油で和えた小鉢だった。通常メニューではなく日替わり小鉢だったから、彼女にお出しするのは初めてだったかもしれない。
「似たようなの、旦那の好物だったんだ」
一口鶏皮をつまんで、追加のビールで流して。箸を持つ右手と、ジョッキを掴む左手。
その薬指には輪を一回ねじったようなデザインの、銀の指輪を嵌めていた。
わざわざ確認したわけではなくて、初来店時から自然とそれは目に入っていたけれど。
(だったんだ、ねえ)
お客様はさまざまに事情を抱えているので、目についたものを何でも迂闊に話題するわけにもいかないのだった。
いつでもひとりで来店する彼女の口からは、過去を懐かしむような話題が多く語られた。
「うちの旦那さ、子どもの頃から鶏肉が駄目だったらしいのね。実家の近所の鶏飼ってる家が、鶏捌いたのよく吊るしてたらしくて。こう、首かっ切って血ぃ抜いてる最中のやつ。それ見たら、なんか食べられなくなっちゃったみたいで」
「ずいぶんワイルドなお宅ですね……。どこの田舎ですか」
「田舎って決めつけるもんじゃないよ。っていうか昔は鶏飼ってる家、多かったし」
同年代の話として聞くには、いまいち『昔』の情景にズレがある、ような。地域差かもしれないけれど、ちょっとピンとこなかった。もしかして美魔女さんとかいうやつだろうか。
「でも偏食は良くないなって、鶏肉を食べる努力をしたんだそうよ。で、大体は食べられるようになったけど、鶏皮はなかなか克服できなかったらしいの。あの、いかにも鳥肌って言うの? あれがどうしても無理だったらしくて」
「あー、それはわかるかも」
「それでもやっぱり、食べられるようになりたいって言うからさ。で、私が色々作ってみたってわけ」
箸を操る彼女の指先は、綺麗なネイルが施された美しい手だった。こうして一人酒を、時に静かに、時に豪快に堪能している姿を眺めていると、偏見ながら手料理するイメージと結びつかなかったけれど。
「色々作ったよ。鶏皮串、鶏皮揚げ。鶏皮サラダとか、鶏皮餃子とか。鶏皮のフルコース。これは無理、これはイケそうとか大騒ぎして食べてね。で、特に気に入って苦手を克服できたのが、鶏皮の和え物だったんだよね」
この小さな居酒屋でお客様が見せる顔は、ほんの一面だ。美味しい酒と肴でいい気分になって、それぞれの家や日常に帰っていく。
「なんか懐かしくなっちゃったなあ。明日の夕飯、これ作ろっかな」
「二日連続で飽きません?」
「でもこれ、からし醤油でしょ?」
口に放り込んだ鶏皮を噛み締めながら、彼女は言った。
「そうです。からしと醤油と……あと他にも色々加えて。そのへんは企業秘密です」
「うちのとは味付け違うから、飽きないよ。私がつくるやつは、甘酢和えだからさ」
「ああ、それはそれで美味しいやつだ」
「和え酢の調合がポイントなんだよね。酢に醤油に砂糖に、あとごま油とか、あれとかそれとかも入れて。こう、絶妙な匙加減があるわけよ」
綺麗な爪の指先で、宙にぐるぐる円を描く。調味料をかき混ぜるイメージなのか、熱弁をふるう時の癖なのかはわからない。
「そちらさんの企業秘密ですね」
茶化すように言ったら、彼女はふっと息を吐く。笑ったようだった。
「ただの家庭の味よ」
そう言って目を細めた彼女は、またあらぬ方を見つめて小さく微笑んだ。ぼんやりと、夢を見るような目付きなのは酔ったせいじゃなくて。
本当は今じゃない、いつかに囲んだ鶏皮づくしの食卓を思い出してるからかもしれないな、なんて風に思った。
昔語り鶏皮づくし いいの すけこ @sukeko
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