焼き鳥屋のビールがやけに旨い話

月岡夜宵

トリあえず……

「とりあえずビールで」

 厳しい寒さから逃れるように、コートの中で身を縮めながら入ったのは、いい意味で古ぼけた焼き鳥屋だった。

 スーパーの入り口横、寡黙そうな店主が店を構える、ありふれたキッチンカー。

 黒を基調とした内装には飾りが少なく、レシピも手書きでじつに漢らしい。その味だけで勝負するような姿勢に、どかっと腰を落ち着けて、安堵した。

 寒さが少しはましになった店内、太い筆で描かれた注文をざっと眺めてから、お決まりの一言を口にした。まあ、様式美ってやつだ。


 注文したのはただのビール。

 飲まなきゃらってらんねぇ、という出来事があったせいで俺はため息をつく。

「……はぁぁ」

 テーブルに親父の太い腕でジョッキが置かれる。

 するするとネクタイを緩めてからまず口をつけようとして気がついた。

 とにかく酔いたい気分だったが、鼻を刺激したのは実りの香り。

(なんかいい匂い? きのせいか?)

 ぐびっと喉を潤そうと一口、そして目を見開いた。

(え、お!? なんかこのビール…………旨くないか!?)

 俺が困惑している間に店主が何かを出す。

 出された小鉢をみる。

 お通しなんてでるのか。

 おしぼりで手を拭い、ついでに首元を拭った。

 ふーん、とその塩味のきいた枝豆をむさぼる。皮をむき、ぷりっとした豆をつまんで口の中へ放り込んだ。やべっと思った時にはもう手は止まらず、すぐに食べきってしまった。


 ごく……ごく。泡のはじける食感を楽しむ余裕がでてきた。体が多少なりとも温くなり酔いが効いてくる前兆が出始める。


「ぷはぁ、もう一杯! とにかくビールくれ」

「……うちぁ最強ビールセットしかやってねぇんで……」

 ぼそっと店主の親父がつぶやいた。

(セット? 変な売り方だな。一緒に頼めばいいのか)

「ああ、わかった。ならそれで頼む」

「あいよ」


 一気に飲み干したビールを待つ間壁にかかった用紙のらくがきが目にとまった。

「ん? それ、いいだろ。娘が描いてくれたんだ」

 なるほど娘の絵か。

 ただの落書きかと指摘しなくてよかった。

 どおりでカラフルな色使いなわけだ。使ったのは色鉛筆だろう。

 技術はつたないし、正直こどもの絵ってなにを捉えたのかわからないことも多い。そもそも――。

「こどもね……俺にはわかんねぇ」

 ぐぐっと背伸びをして肩のコリをほぐした。


 店主が七輪に火を入れる。冷蔵庫から下処理された肉が保存されていたパックを取り出す。慎重な動作で肉を取り出し、丁寧にタレに二度漬けした。



 火加減を観察する職人の目。

 らんらんと燃える赤い炎。

 焼き網のうえに竹串に刺した肉が置かれて。


 じっくりと、あぶられる。



 炭火焼きの焼き鳥が皿の上に二本、置かれた。

 早速口をつける。

「うまっ……」

 感嘆のため息がもれた。

 濃厚なタレが嗅覚を、次いで味覚を刺激する。

 肉の弾力もほどよい。やわらかく歯が食い込むがそれでいて反発するような圧を感じる。

 噛めば噛むほどタレの甘じょっぱさと肉の生来の旨みを感じさせる。


 それにしても妙にうまいビールだと、舌鼓を打つ。

 今度は味わいながら楽しんでいるからだろうか。


 芳醇な麦芽の匂いが鼻に届いた。ふわっと香る匂い。ふと季節真っ盛りの麦畑が過った。のどかな光景。農場の牛、麦わらのロール、農家の仕事ぶりまで、そんなイメージが浮かんでは泡のように弾けていく。

 キリっとした鋭利な苦みと後に続く独特な味。これを酔っ払うためだけに飲むには惜しくなった。

 そのくらいのどごしのある、ほんとにのみがいのあるビールだった。


「兄ちゃん疲れてんのか? ならもう一杯どうだ。値段はサービスできねぇが多少のイロはつけられるぞ」

 どうする、と店主が訪ねる。正直財布の中身はしょっぱくもないのだが、親父の言葉が気になっていた。その気にさせられた俺は火急の出費がないことをリストでチェックしていくと店主に注文をした。

「あいよ、待ってな」

 親父が台を整理すると現れたのはなぜか鉄板だった。


 ジョッキのビールに目を向ける親父。

「料理と相性のいいアルコール……って思うだろう、普通ならな」

(ん?)

 突然焼き鳥屋の親父が語り出した。


「兄ちゃん仕事はどうだい?」

「ぼちぼち……ですかね」

「はは、そっかい」

 親父との会話は普段なら店主との会話なんて遠慮するたちだが今日は、いや、この人の話は耳にすんなり入り込んでくる。

「ならあれか、悩んでんのは恋愛ごとかい?」

「おれ、半年後に結婚式をするんです。でも正直式なんて金がかかるだけの……なんていうか他人へのあてつけ、みたいにしか思えなくて。幸せアピールとかうんざりだし……」

「ほお。で?」

「はい。彼女はやりたいことしかみてなくて、ご祝儀のこととかも考えちゃって俺は……それに式場の値段と見合ってるか、とか、あとは招待者リストとかもどこまで呼べばいいのかわかんなくって……。それで」

 思い出してムカムカしてきたおれは机に突っ伏した。

 愚痴っぽくなってしまったが、店主は静かに聞いてくれていた。

「喧嘩にでもなったか」

「……はい。おれの方は冷静に指摘したつもりなんですけど、彼女はすねちゃって。しまいには『私のことどう思ってるのよ』なんて言われて――この通り家を出てきたってわけです」


 さすがに、まるで愛されていない、というような一言におれは傷ついた。

 彼女の心がまるで見えなかった。

 あれもこれもと要望を口にだすのは別にかまわないけれど、出すなら出すで実現可能かどうかは考えてくれてもと思った。

 おれがそれは無理あれは無理と却下していった末の口論に嫌気が差した。

 なにより私のこと……なんて。

(そんなの決まってるだろ!? 口説き落とすほどだったんだぞ!!)

 ジョッキをあおった。


 店主は、ザッザと鉄板のうえで野菜をおもむろに焼いていく。

 取り出した小型の鉄板だが普段はまず使用しないらしい。特別な注文が入った場合のみ、裏メニューとして焼き鳥以外の料理も提供するのだとか。

 そんな熱々の鉄板を転がっていく輪切りのにんじん。もやしをざくざくと切り刻み、キャベツに焼き目をつけるように押しつぶす。ジュッと焦げる音と匂いがする。すでに我慢ならない俺は、その光景に、式場の手の込んだ料理のサンプルなんかよりずっと、食欲をそそられていた。


 親父はこそっと冷蔵庫から袋麺を取り出した。味付けのされていないちぢれ麺だ。これはもしや……。


 それぞれの場所で焼いていたねぎなどの野菜を混ぜて、大トリをそこへ招待する。

 焼き鳥屋の鶏肉を竹串には刺さず、鉄板の上で、文字通り焼いていく。


「シメの麺類は基本だろ。腹ぁ空いてんならちょうどいいだろ」

 親父がシンプルな平皿の上に載せたのは塩焼きそばだった。

 もちろんおいしそうだが、なによりも焼き鳥よりも大ぶりの肉に目がいってしまう。

「これ、いいんですか?」

「あ? あー、かまわねぇぞ。本来はおれが食べるのに用意してんだがな」

 通りで提供されるものより大きいはずだ。

 ごくりと口の中で生唾が存在を主張する。


「い、いただきます」

 割り箸を割って、岩塩とこしょうが利いた塩焼きそばに口をつける。


 ふーふーと熱を冷ました。

「はうはふ、あっちぃ! ……ん、でもうま!」


 はっきりとしたオレンジ色を探しだし食べる。厚めのにんじんがとてもいい。にんじんの甘みが噛むとでてくる。

 ねぎやもやしのしゃきっとした食感のバランスに、まとめて口に入れた麺が、俺の空腹を満たす。キャベツをつまみつつ、お待ちかねの肉! そう、肉!! 一気に飲み込んでしまいたいのをこらえてじっくり噛む。焼いても柔らかな肉に感動した。

 そういえば、と残っていたビールも飲むとやはりうまかった。

(こっちにも合うのか、無敵のビールだな……)

 なんて思いながら食を進めた。


 焼き鳥用の肉と調味料をアレンジして作った塩やきそばのおかげで腹が膨れた。

「親父さんは不満とかないんですか?」

「今が幸せだからだろうな。とくに不満はないな。喧嘩はたえねぇがな」

「ふぅん」

 親父との会話を再開する。

「なんでも希望を叶えろ、なんていわん。ただな、その程度のいざこざぐらい受け止めてやれ」

「んなばかな! 『あのドレスが着たい!』『食事はこっちじゃなきゃいや!』『式の様式は絶対こっち!!』……そんな要望を延々出してくるんですよ? はぁ、正気かよ。金かかるわ、大変だわでへとへとでこちとら限界なんですけど」

「大体、女ってのはぁ男より欲求の多い生き物なんだよ」

「えー……」

「こどもをみててもそうだ。男の子は大体ほしいものや気になるものの傾向は把握できる。んだが、女の子はあれもこれもって自由だ。その選ぶ基準もまるでわからねぇ」

「それが一体……」


 親父さんはついさっき誇らしげに自慢したこどものらくがきをみつめながら言った。


「そのビールな、俺の女房が手がけたんだ」

「奥さんが、ですか」

「ああ。うちのはべらぼうに強くてな。俺の方はからっきしだがな」

 照れる店主に意外だななんて思っているとさらに続けられる。

「かみさんには酔った隙に迫られて……まあ今に至るってわけだ、おれも悪い気はしなかったがな」

 あけすけに語られる内容に酔いとは別の意味でなんだが照れが伝染した気がした。


「この店も最初はうまくいかなかったんだ。自慢の味には客は寄りつかなかった。直接文句言われたこともある。イキがってたおれぁ素人に毛の生えた程度だったからな。んで上等な肉を出したり調味料にこだわったり……いろいろ試行錯誤したさ。いや、べつに今手を抜いてるってわけじゃねぇんだが……」

「ああ、わかります」

「ただ、努力の方向について迷走してたんだな」

 鼻の頭をかく親父は、そんな時だ、と続けた。


「かみさんがおれの焼き鳥を食いたいって、んで食べさせた」

「どうだったんですか?」

「ふっ」

「へ?」

「いやあ物の見事に切り捨てられたな、いっそ気持ちよかったが」

 俺の中ではてなの記号が渦巻く。

「省略するが、まあいろいろあって、かみさんの作ったこれのおかげで店は繁盛、おれは頭が上がんねぇ」

「ええとそれって他力本願な話、ですか……? それともやっぱ面倒なだけで振り回されるこっちはっていうオチですか?」

「それはな」

 ニっと親父が悪い顔をする。


「イイ思い出っつーのがひとつでもありゃいつかは『割れ鍋に綴じ蓋』、相性のいい関係に落ちつくもんだ。そうやってぶつかりあった末に、な」


 人生という道を別々の人間が歩むのだ。そりゃ問題が起こらないわけがない。

 店主が伝えたいのは、きっと。

 その思い出自体が心のよりどころになる、ということ。あるいは、共有した苦労だったりその分の感動だったりが、ふたりに連帯感を抱かせるとかかもしれない。こういう場合運命共同体、なんて表現が適切だろうか。


「そうか……、あいつに付き合ってやればよかったのか」

 彼女は楽しんでいたのだ。いろいろ相談するなかで夢みていた。彼女は彼女で理想と現実の区別ぐらいつく年齢だ。しかし、だからこそ、ふたりにとっての特別な思い出について話し合いたかったのかもしれない。

(悪いことしたな)

 いまになって罪悪感がわいてきたおれは頭をかいた。

 親父は目尻にしわを作て笑う。人生の酸いも甘いもかみ分け年季の入った笑みが格好いいと俺は思った。


 からになったジョッキをながめながら親父がいう。

「そいつはおれの飯に合わせてある、おれの飯はその一杯のためにある。そういうこった」


 もう一度反芻はんすうしてみる。

 脳裏に浮かぶのは彼女の笑顔だ。

 無邪気にドレスやら装飾品やらを選んで俺を疲れさせても一切容赦がない女。

 自分で口説き落とすほどすきだった女だが、結婚式のゴタゴタで、一体なんのためにだとか散々ぼやいて店主にはいい迷惑だったと――ああでも向こうにはのろけられたか――とにかく、愚痴をこぼした俺はすっきりとした気分で店を出た。

 自分たちの取り合わせについて考えると足取りが軽くなる。


「とりあえず、帰ったら謝るかぁ」


 俺は冷え込みを感じる夜の町を大通りまで歩いたのだった。

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