尋問


 アトラーが側近や侍医たちに運ばれていくのを見届けた後、王宮の一室に通された私は、皆に取り囲まれるようにして一人だけ椅子に腰掛け、タニイに助けられながら今までのことを父と兄、そして宰相を前に説明した。

 宴に呼ばれ、広間から出て一人で歩いているところに、彼が毎回現れたこと。彼は決して正体を明かしてくれなかったこと。縁談のことを知って、今夜別れを告げるつもりであったこと。彼を殴ったのも自分であると答えた。


「あの王子のことだ、何かティイに殴られるようなことをしたんだろう」


 タニイは呆れた声で吐き捨てながら、私を庇うように立っていた。

 夜更けの部屋は薄暗く、燭台の灯りだけが仄かに揺れている。


「侍医によれば失神しているだけで、命に別状はないとのことだ。侵入者にやられた訳ではないのならばそれほど問題でも無かろう」


 宰相は顎を押さえて、少しほっとした様子で告げた。今回の事件が刺客からの襲撃ではないと知り、他の皆もいくらか安堵したようでもあった。


「まったく」


 今度は父だ。父の顔は青い。唇を震わせ、額に血管を浮き立たせて私を睨んだ。


「お前と言う奴は!!」


 大声で怒鳴られた私の身体は震え上がった。


「それだけ何度もご一緒していながら何故、殿下だと気付かなかったのだ!皆に迷惑をかけるだけでは飽き足らず、殿下にまで……!」


 王子を殴って失神させたのは、紛れもなく自分であるという事実に、いつもにも増して父の怒鳴り声に怯えてしまう。


「わ、私、あの人が……」

「あの人ではない、あの御方だ!!」


 父の声に更に身を小さくすると、宰相ラモーゼが父を宥めようと私と父の間に割り入った。


「イウヤ殿、確かにあのお方は飄々とした節があるのだ。ティイ殿と共にいたとはここにいる誰も知らなかった。加えて王子は今まで公に顔を出すことをしていない。名乗らなかったらティイ殿が知る由もあるまい。ましてや都から離れたムノで生まれ育ったティイ殿がそのような王子の顔を知っている方がおかしな話だ」


 宰相の言う通り、王子の顔など知らなかった。

 あんな軽装で歩いているから、王子だと微塵も考えつかなかったのだ。王子とは、それも次のファラオの地位を約束されている人ならば、もっと黄金で着飾っている尊き御方ではないのか。

 あっても王家の遠い親族だろうと。従兄弟とか。はとことか。

 それがまさか、正真正銘、尊き身分にあらせられる王子だったとは。

 唯一王家の男児として生まれ、将来を約束された王子アメンホテプ・ヘカワセトだとは。

 でもそう考えれば今までのことの辻褄が合うのは確かだった。

 王子が毎回の宴に現れなかったのは、私と会っていたから。

 私が宴の広間を離れないと現れなかったのは、彼が広間に行けば王子だと認識されてしまうから。

 兵たちの目を気にしていたのは、兵たちに見つかるとその態度から私に王子だと気づかれてしまうから。

 あの言葉使いも、王宮内のことを知っていたのも、多くの知識があったのも、兵士たちの交代の時間も知っていたのも、タニイを知っていたことも、彼が王子であったからなのだ。


「本当にごめんなさい……私、わたし……」


 タニイは「気にすることはない」と動揺する私の肩を撫でた。


「彼……いえ、あの御方は、ご自分のことをアトラーと名乗っていたから……私、本当に」


 アトラーの名を聞いて、父や兄は首を傾げたが、宰相だけは違った。


「アトラーと仰ったと?」


 何かあっただろうかと戸惑いながら宰相に頷く。


「はい、ラモーゼ様。私が名を尋ねた時、確かにそう仰ったのです」


 宰相は少し悩ましげにしてから、神妙な面持ちで私に告げた。


「それは即位名のことを仰せになられたのだ。王子はおそらく間もなく王位に就く。故に数日前にその即位名が決まったばかりだ」

「即位名?」


 父と兄の声が重なった。


「王となった暁には、アブマアトラーと名乗られることになる。我々や最高神官たちにしかまだ知らされていない名だ」


 真実の主はラーである──そんな意味を持つ名。

 偽名ではなかったのだ。アトラーは王子として何より相応しい名だった。


「何故、そのような大事な御名を私の娘に……」


 父は腕を前に組んで困惑した様子で呟いた。


「それよりもティイ」


 私を呼んだのは長兄だった。

 タニイに背中を擦られながら、兄に視線を向けた。王子が目の前で倒れていた時よりかは穏やかな表情を取り戻していた。


「何故、王子を殴ったりしたんだい?まだ我々はその理由を聞いていない」


 殴った理由。何故かと問われると。


 ──私は、そなたに惚れている。


 そう言って、私に顔を近づけて。

 たちまち顔が真っ赤になるのが分かった。それに気づいたタニイが私を心配そうに覗き込んでいる。


「そうだ、何故だ。理由によっては後からどんなお咎めがあるか」


 父も兄の言葉に頷いた。ここにいる皆からしてみれば、私は王子を殴った人間でしかない。


 ──ティイ。


 私を呼ぶ、あの声。


「それは……」


 彼のあの発言は、とても大ごとではないか。

 彼は私を側室に迎え入れようとしているのだろうか。

 私には決められた相手がすでにいると聞いている。今回の話が破談になれば、私の家の信頼は落ちるだろう。

 ならば、アトラーのあの発言をなかったことにした方がこの家のためではないか。


「……なな、何もありません!」


 悲鳴のような声をあげてぶんぶんと首を横に振った。

 あの時の記憶がありありと思い浮かんで、顔にかっと熱が走る。


「何も無いわけがあるか!何もかも包み隠さず話すのだ!ティイ!!」


 父はこちらに飛びかからんとする勢いだ。


「イウヤ殿、落ち着かれよ。これではご息女がますます萎縮してしまう」


 父を止めたのはラモーゼだった。混乱している私をタニイが庇うように手を回す。


「今回のことでお咎めはなかろう。一度屋敷に戻られたらいかがか。落ち着いたら私から王子に今回のことを伺おう。その後知らせを出す故」


 ラモーゼの提案に、父は頷き、「痛み入ります」と頭を下げた。


「タニイも連れて行くと良い。同性の方がご息女も何かと話せることもあろう」


 実父の命令にタニイは頷いて返事をした。


「失礼いたします」


 その声と共に部屋へ入ってきたのは、王子の側近ウセルハトだった。

 扉が開いた拍子に、狭い一室に夜風が流れ込んで小さな灯りを揺らす。皆の視線が一斉に側近へ向けられた。


「皆様、そのような深刻な顔をなさいますな」


 彼は場に不似合いのにこやかな笑顔でこう告げた。


「王子がお気づきになられました。ご無事ですのでご安心を。イウヤ殿とティイ殿のお二人には、何も気に留めることなく屋敷に戻られるようにと仰せでした」


 ウセルハトの笑顔はとても晴れやかなものだった。

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太陽を抱く君へ 雛子 @hinako0424

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