【KAC20246】お題:とりあえず

かごのぼっち

仕事終わりのとりあえず

─逢坂・天刃橋商店街・17:00


 仕事から労働者たちが解放され、街が喧騒に包まれる頃、カゴノボッチTVの新人リポーター・加護乃ボチ子はいつもの街角リポートを任されていた。


 緊張で眉を寄せ、口をへの字にして鼻息を荒くしている。


 カメラマンが言う。


「ボチ子ちゃん? とりあえず笑顔、笑顔!」


「あ! はいっ!!」


 加護乃ボチ子は眉間のシワをそのままに、にへらと口角を上げた。


「……ボチ子ちゃん?」


「は、はいっ!!」


「とりあえず、好きな食べ物を想像してみて?」


「好きな食べ物、ですか? わかりました!」


 加護乃ボチ子はカレーが大好きだった。 中でも『トライアングル』の特選ビーフカレーは彼女史上最高のカレーだと言える。


 カメラマンは苦笑する。


 加護乃ボチ子の緩みきった顔に。


「まあ、とりあえず、それで良いから始めようか!」


「は、はい!」


 ボチ子はマイクを握りしめて、街ゆくスーツ姿の中年男性に声をかけた。


「どうも、『街角☆ハンター』の加護乃ボチ子です! 少しお時間よろしいでしょうかっ!?」


「え? あ、はい」


「あなたの『仕事終わりのとりあえず』教えてくれませんか!?」


「えっと……まだ終わってませんので、すみません……」


「あっ!! いえいえ! こちらこそお忙しいところ、すみませんでしたー!!」


 ボチ子は男性に深々と頭を下げると、彼のうしろ姿を見送って、次のターゲットを探し始めた。


 そうだ、まだ仕事中の人だっているのだ、そんな人に声をかけたら迷惑がかかる。 ボチ子はひとつ学んで、次のターゲットはスーツを着崩した人を選んだ。 既にネクタイを外している少し陽気そうな中年男性だ。


「カゴノボッチTVです、少し良いですか〜?」


「おう、いっつも観てんで! 今日は何の取材?」


「はい、あなたの『仕事終わりのとりあえず』教えてください!」


「わはははは! とりあえずったらそんなん決まってるやん! この店の鶏皮串と生中! これがないと始まらんでぇ!」


「ごくり、そんなに美味しいんですか!?」


「そんなん当たり前やん! 知らんけど! わはははは!」


 カメラマンがカンペを出す。 ボチ子は頷いて、マイクを握り直す。


「それでは少しご一緒しても良いですかね?」


「おうおう、入ろうでぇ! オレもうガス欠や!」


 商店街の取材許可はとってあるので、店の方も大丈夫だ。 ボチ子は店に入った。


「おじゃましま~す♪」


「お? ボチ子ちゃん! 今日は何の取材なん!?」


「はい、皆さんの『仕事終わりのとりあえず』を取材してます!」


「そんなんこの店の鶏皮串やろ! ほら、皆食べてるわ!」


「ほらな〜? 言うたやろう? マスター、とりあえずセット!」 


「え!? とりあえずセット!?」


「んああ、ここに来る人の定番で、鶏皮串十本と生中のセットんことやわ! ボチ子ちゃんもいるか?」


「い、いえ、私は取材中なんで!」


「ここの鶏皮はなんちゅうてもパリパリモチモチのパリモチ食感! そしてこのニンニクの効いた甘辛タレと、決め手はこの白胡椒やわ!!」


「そうそう! このスパイシーな感じがたまらんねんて!!」


「ごくり……」


「ほら、ボチ子ちゃんも食べてみぃや! これ、まだ手ぇつけてへんから!」


 ピラミッドに盛られた鶏皮串を皿ごと差し出してくる。


 ボチ子は恐る恐る櫛を取るものの、思わずツバを飲み込んでしまう。 そして、意を決すると。


─パリッ


 言われた通り表面はパリパリと芳ばしい! そして歯を立てるともっちりと受け止めて、中から鶏皮の旨味とタレの甘味がジュワッと染み出して来て、ニンニクの香りがふわっと鼻を抜けた後、白胡椒の辛味と香りが後を引く。



「美味しい!! おじさん!? コレ、めっちゃ美味しいですわぁ!!」


 思わず地が出てしまう。


「おう! 当たり前やんけ! ビールも行くかぁ!?」


「え、良いんですか?」


 カンペにはアウト!と書かれてしまった。


「アウトやって嬢ちゃん、残念やなあ!? わははは!」


「ふぇ〜ん」


「すぐ次行くんやろ? 仕事終わったら戻って来ぃな!」


「は〜い♪」


 と言うと、ボチ子は次のターゲットを探し始めた。


 ちょっと痩せ型の眼鏡イケメン発見!! 


「すみませ〜ん! そこのお兄さん! 少しお話聴かせてくださ〜い!」


「……え。 ぼく?」


「ええ、そうですよ〜?」


「な、な、何でしょう」


「あなたの『仕事終わりのとりあえず』何ですか〜?」


「ぼ、ぼ、ぼくは……ちょっと急いでるんで!!」


 眼鏡イケメンは少しモジモジして、足早にその場を去った。


「お嬢ちゃん、野暮はアカンでぇ〜」


 少し派手なハッピを着たパツキンの派手なお兄さんが声をかけてきた。


「え? どう言う事ですか?? お兄さんはいったい……??」


「俺? 俺はここの案内所のもんやけど? その兄ちゃんを今案内したとこやんかいさ!」


「美味しいお店?」


「ん〜……ある意味?」


「??」


「とりあえず、あの兄ちゃんに声かけるんはやめときぃ! プニョプニョしたお姉さんのおるとこ、これから行くんやよ」


「プニョプニョ?」


「せや、とりあえずプニョプニョしてたらええらしいわ」


「??」


「分からんでええから、他の人当たりやぁ?」


「じゃあ、お兄さんは?『仕事終わりのとりあえず』はなあに?」


「おっと!? 俺!? それ、聴いちゃう!?」


「聴いたらヤバかった?」


「いやいや、嬢ちゃん? 聴いて聴いて!聴いてぇなあ!!」


 ぶんぶんとボチ子の体を揺らす。


「せせこましい、お兄さんやわ! はいどうぞ!!」


「コホン! 俺のとりあえずは!!」


「とりあえずは?」


「彼女にラブコールやん♡」


「はい、ご馳走様ぁ〜! 次、行こう!」


「そんな、殺生な〜! もっと聴いて〜な〜! 俺の彼女めっちゃべっぴんさんでな? 南新地の倶楽部でナンバーワンのホステスなんやで〜」


「ほなあんちゃん、それヒモちゃうのん?」


「なんやオッサン、藪から棒に!? ヒモでもええやんか!」


「え、ヒモって何ですか?」


「なんや嬢ちゃん、何も知らんねんな〜?」


「アカンアカン! アカンでぇ〜! ボチ子ちゃんはそんな下世話な話、聴いたらアカン!」


「ほな、おじさんの『仕事終わりのとりあえず』教えてもらえますか〜?」


「おう、ええで! ついて来よし」


「は〜い♪」


「ちょちょ! もっと聴いて〜」


「とりあえず、仕事しよし!」


「へ〜い……あっ!そこの格好いい、お兄さん!! 何処かお店探してまんの? ええトコ案内するでぇ〜!?」


「お嬢ちゃん、とりあえず、取材相手間違ぉとるわ」


「そう……なんですかね?」


「まあ、数字とれたらええのんか?」


「ん〜、最近はコンプライアンスがど〜のってうるさいですけどね〜!」


「窮屈な世の中になったもんやなぁ」


「ほんで、何かめっちゃ細い道に来たけど……変なお店ちゃいますよね?」


「わはははは! 確かにこんな狭い道とか怪しいわなぁ! わはははは!」


「でも、穴場感がハンパないですよぉ〜?」


「せや、ホンマは教えたくないねん」


「じゃあ、どうして教えてくれるんですか?」


「まあ……とりあえず、入ったらわかるわ」


「は〜い♪」


─ガララ…


「あら、いらっしゃい」


「ママ、お客さん連れてきたでぇ」


「まあ、可愛らしいお客さんやないの♡」


「こんばんわ~」


「はい、こんばんは♪」


「ママさん、とりあえず、いつもの」


「はいはい、用意するから、ちょっと待っといてや?」


「まあ、ボチ子ちゃん。 とりあえず座りぃな」


「何が出てくるんですかぁ?」


「それは出て来てのお楽しみや」


─ことり


「ほな、先にこれ食べといてんか」


「わあ! お漬物♪」


「せや、漬物の盛り合わせや。 今日のんは胡瓜の古漬け、水茄子の浅漬け、そしてノビルの塩昆布漬けやでぇ」


「いただきま〜す♪ 胡瓜の古漬けなんて初めて食べるわぁ」


─カリ…


 噛むと心地よい音がなり、糠の香りが鼻から抜けて、胡瓜と醤油の味が口の中に広がってゆく。 最後には爽やかな香りが口の中に残ってもう一口欲しくなる。


─シャク


 その一口を水茄子で迎え入れるが、キュッとした歯応えの後、シャクっと柔らかく歯を受け止める。 同時に水茄子の爽やかな香りが鼻腔を抜けて、皮の旨味と染み込んだ塩味が口の中に溶けてゆく。 噛むほどに美味い。


─コリリ


 ノビルの球根のあたりを噛み込んだ。 ノビル特有の風味と塩昆布の旨味があわさって、食欲を刺激する。 美味い。 葉の部分も合わせて風味が変化して行き、とたんにご飯が欲しくなる。


「どうや?」


「こんな美味しい漬もん初めてやぁ♪ 何で今まで出逢えんかったんやろう?」


「ほんなん、他所やと食べれへんで。 せやから、とりあえず、この店に来とけば間違いないねん」


「せやけど、まだ漬もんしか食べてへんしぃ〜」


「ほな、これ食べてんか?」


「味噌汁?」


御御御付おみおつけ言うてんか?」


「まあボチ子ちゃん、とりあえず飲んでみよし。 お味噌汁とは違う別次元の体験が出来る筈やわ」


「え……別次元??」


「ええからええから!」


─ズッ…


 先ずお味噌の香りが鼻腔を撫でて、それを吸込みながら口をつける。 なめこと細かく刻んだ豆腐がトゥルンと滑り込んで来る。 深い真昆布の旨味と軽い鮪節の香りが、とても丁寧に出しを取った事が理解出来る程に美味い。 自家製の味噌の特有の香りとコクが、旨味に奥行きを与える。 そこにこのなめこの旨味と食感、豆腐の優しい口当たりが、口の中で渾然一体となって、新しい旨味へと変化してゆく。


「なんて……ストーリーのある御御御付おみおつけ!!」


「あらあら、そんなん言うてもろたら、うち嬉しいわぁ〜」


「何を言うてるん、ママさん。 僕がいつも言うてますやん」


「ほんなん、あんたが言うたかてなぁ?」


「ほらひどいでママさん!?」


「冗談やないのぉ、いつも感謝してるんやでぇ〜」


 ママさんがおじさんの肩を叩く。 おじさんがにんまりと笑う。


「ほな、本日のメインディッシュやで! 黄金鯵の塩焼き」


─ことん…


 久しぶりの魚の塩焼きだ。 これは……本当に鯵? 体の色が黄色い。 でもゼイゴをとった跡があるから間違いない。

 見た目、先ず皿が凄い。 深みのある織部の緑釉の角皿だ。

 そこに乗せられた、でっぷりとした少し黄色がかった大きな鯵。 皮目がパリッと張っていて、切れ目からほわっと湯気が立っている。 表面に軽く塩が吹いて、そこに脂が滲んでいる。

 箸を沈めるとその肉厚さをつぶさに感じることが出来る。 そして潮の香りの湯気の中から取り出した、そのホッコリとした身を口に入れる。 良く焼けた皮目の芳ばしい香りが口いっぱいに広がって、それを咀嚼すると口の中に鯵の脂が流れ出して、振りかけられた塩味がその旨味を助長する。 

 これが鯵なのかどうか疑わしい程の豊かな旨味が、口の中を駆け回って白い米を欲する。


「ほら、これやろう?」


─コト…


 そこにお茶碗に盛られたツヤツヤふっくらと炊きあがったばかりのご飯。 待ってましたとばかりに口の中に放り込む。 鯵の旨味がご飯の甘味と合わさって、口の中に幸せな世界を作り上げた。


「はあぁぁ…おいし」


 思わず漏れた感嘆の様な一言。 いや、余計な言葉が一切頭を過ぎらない。 「美味しい」この一言に尽きる。


「どうや嬢ちゃん、これがおじさん自慢の『仕事終わりのとりあえず』や!」


「これは今までで最高のとりあえずです!! 私、明日も来ます!!」


「……」


「あれ?」


「それがなあ、嬢ちゃん…」


「あ、定休日ですかね?」


「違うんよ。 このお店、今日で閉めるんよ。 ごめんやでぇ?」


「え……どうしてですか!? こんなに美味しいのに!?」


「どうもこうも……歳のせいやろねぇ。 これ、全部仕込みからやから、一人でやっていくには大変なんよ。 こんな小さなお店では売り上げの方もねぇ……」


「えええええええっ!?」


「せやからお嬢ちゃん、俺のとりあえずは今日でのぉなってしまうんや……」


「そんな……」


「ごめんやでぇ。 ずっと通ってくれはったのに、悪ぃわぁ…」


「ええんや、そんな事よりママさんの身体のほうが心配なんや」


「ほんなんゆうても、もう歳のやからしゃああらへんよぉ」


「僕はママさんの手料理も好きやったけど、それよりもなによりも、ママさんの人柄に惚れてかよってたんやでぇ?」


「まあ! 何ゆうてんのん?TVの前でややわぁ!? ボチ子ちゃん言わはった? 今んとこカットしといてぇなぁ?」


「え? あ、は─」


「─いや、カットせんといてんか! ママさん、僕は本気でママさんに惚れてますねん! TVの力を借りるみたいで、格好悪ぃけど! 言わせてもらうわ!!」


「ちょちょっ!? 何言い出すのん!?」


「あゆみさん! 僕と結婚してください! あなたの手料理を一生食べさせて欲しいんです!」


「あ、わ、え? ほいたら……よ、よろしゅう頼んまふ……あっ…」


「ホンマにええんですか!?」


「ええも何も……ずっと連れ添って来たようなもんでっしゃろ?」


「良かった……僕、もしかしたら断られるんやないかと、覚悟しとったんです!」


「ほんなん、こんなおばあちゃんみたいな女つかまえて、遠慮せんでもええんちゃう?」


「何を言うてますのん? あゆみさんは僕の憧れの人なんや、悪いように言わんといてんか?」


「うふふ……せやけど嬉しいわぁ。 ほんまおおきに」


「こちらこそ、おおきに! ほんでから、よろしゅう頼んます」


 おじさんは少し涙目だ。 でもとても嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 つられてママさんも満面の笑みで、淹れたてのお茶を注いでくれる。


「なんや、TV回ってるから、うち、緊張して噛んでもたから、もっかい撮りなおさはる?」


「いえ、とんでもない! それよりも、お店、本当に閉めはるんですか?」


「はい。 これからはこの人の為に、美味しいご飯作ろうと思いますよって、かんにんしてください」


 そう言うと、ママさんは深々と頭を下げた。


「とりあえず」


 色んな意味で…


「ご馳走様でした!」



    ─了─

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