ポラップポラップ

飯田太朗

珍獣ポラップポラップとは?

「タロウ、ポラップポラップを知ってるか?」

 先日来日し僕の元に遊びに来ていたドイツ人、ゲハイネスボルト・シュンペーター氏がそう問うてきた。僕は自宅応接間のソファに身を沈めながら答える。

「聞いたこともない」

「ところでこの臭いぬいぐるみは何だ?」

 そう、ソファテーブル横に放り出されたぬいぐるみを指す。

「ああそいつは……」

 と、僕はトリのぬいぐるみを見る。

「カクヨムの担当者がムカついたからビネガーをぶっかけたんだ。酔っ払っていたこともあってな」

「オウ……トリ和え酢……」

 僕はクスッと笑った。

「面白いこと言うな」

 で、そのポラップポラップというのは何だ? そう訊くと、シュンペーター氏は答えた。

「北海道で八十年代に見つかったらしい。全長一メートル以上。二メートル越えという説もある。音もなく飛び、高速で移動する。眼光鋭く、鋭利な爪を持つ」

「ちょっと待てちょっと待て」

 僕は手を振った。

「珍獣というよりUMAユーマじゃないか」

「オウ、『UMA』の日本語は『珍獣』じゃない?」

「まぁ、ニュアンスは近いが『珍獣』は実在するという雰囲気がある」

「ポラップポラップも実在するよ」

「本当か?」

 僕は眉を顰めた。

「そんな怪物みたいな生き物、見たことも聞いたこともないが」

「日本は妖怪の国じゃないのか? ヤオヨロズ!」

「神様の話な。まぁ、妖怪も多いには多いが……それにしたって空想上の生き物にもそんなやつは知らない」

「OK、詳しいことを話すから聞いてくれ」

 シュンペーター氏はソファに深く腰掛けた。

「遡ること八十一年、日本のテレビ各社の記者が北海道の山奥に伝わる伝承、特にアイヌの民俗学的な話に注目したんだ」

 アイヌ文化振興法が施行されたのは九十七年だったか。時流に敏感なマスコミが時代に先駆けてアイヌに目をつけていた可能性はある。

「それでNHKの記者がとあるアイヌ民族の集落を訪れて、そこで三週間程度過ごしたそうなんだが……」

「そこでその……ポラップポラップとやらを?」

 シュンペーター氏は頷いた。

「夕刻。村民と酒盛りをしていたある記者が、東の空に巨大な生き物を発見した。翼を広げ滑空するその生き物を指して『あれは何だ?』と訊ねるとその場にいた村民が『ポラップポラップ!』と叫んだそうだ」

「はぁ」

 それでポラップポラップ。

「日が暮れかけていたこともあって生き物の詳細は分からなかった。だがその後も何人かの記者がその大きな飛行生物を確認した」

「鳥じゃないのか」

「全長二メートルに及ぶ鳥か? アメリカにはハクトウワシみたいな鳥がいるが、日本には?」

「まぁ、聞かないかもな」

「タロウ、探しに行かないか。そのポラップポラップを」

「探してどうする」

 僕の問いにシュンペーター氏は答えた。

「暇つぶしさ」

 僕は笑った。

「面白い。いいだろう」



 そういうわけで三月の空を飛び、僕たちは北海道室蘭市、鷲別岳わしべつだけの麓にある、アイヌ文化を振興する自治体組織が運営する民宿へと来た。シュンペーター氏は既にこの界隈と打ち解けていたのか、やってくるなり歓待された。

「わざわざドイツの方からどうも」

 四十代くらいの、色が黒くて元気そうな女性が僕たちの荷物を持った。お部屋はこちらです、と案内された。

「作家先生もアイヌのことに興味を持ってくださったみたいで」

「兼ねてから本格的に学んでみたいとは思っていました」

 嘘ではない。先延ばしにしていた嫌いはあるが、シュンペーター氏の持ちかけはいい機会だった。

「アイヌの何を知りたくて来たんですか?」

「趣味が民俗学でしてね。最近色々研究しているのですが……」

 僕は女性の、苦労は刻まれたが幸せそうな顔を見て告げた。

「アイヌと本州の文化交流についてです。近接する文化はある地点で混ざって混血化します。いい例が東北地方などで見られる『マタギ』という言葉ですね。一説によると『冬の人』『狩猟』を意味するアイヌ語『マタンギ』が訛った言葉だとか。本州では『山で狩猟をする人』を示す言葉です。アイヌの人が本州にまでやってきて使った言葉の名残、なのか、あるいは言葉や文化だけが人伝にやってきた結果、なのか」

「はえー、お詳しい」

「まぁ、御託を並べてみましたが、目当ては彼の言う……」

 と、前方を歩くシュンペーター氏を示す。

「ポラップポラップですよ!」

 氏は大柄な背中を揺すりながら笑った。

「立派な生き物らしいですねぇ!」

「ああ、それは……」

 と、女性が顔色を曇らせた。すかさず僕は口を挟む。

「何か……?」

 すると女性がつぶやいた。

「息子が……」



 女性の名ははしばみさんと言った。母方の祖父がアイヌの家系で、室蘭市では個人でアイヌ文化の振興を目的としたグループの運営をしている。

「その、ポラップポラップは最近息子が狂ったように口にしている言葉でして」

「はぁ」

 僕は淹れてもらったお茶を口にしながら頷く。

「息子さんはおいくつで……?」

「息子、と言っても九つ歳の離れた妹が遺していった子で、法律上は養子ということになっていますが……」

 八歳です。榛さんはそう項垂れた。

「私なんかがお母さんでいいの? と訊いたら大きく『うん』って言ってくれたいい子なんです。ただ、このところずっと変で……」

「どう、変なのですか」

 シュンペーター氏が問う。

「実は最近、本州のある有名企業が……ごめんなさい、プレスリリースがあるまで企業名は言えないんですが、その企業が室蘭市の町おこしを目的に事業開発を始めたんです。で、この鷲別岳の麓の森が開発される、という話が出てから、息子は急に『ポラップポラップが悲しむよ』と言い始めて……」

「ポラップポラップが、悲しむ」

 僕がつぶやくと榛さんが頷いた。

「ええ。木を切れば『ポラップポラップはこの木がお気に入りだったのに』だとか、岩が退けられれば『ここはポラップポラップがご飯を食べるところだったのに』だとか」

「そのポラップポラップが何かは分からないのですか」

 榛さんは頰に手を当てる。

「私も気になって、祖父に訊いてみたんです。そしたら『それだけでは分からん』って……」

「それだけでは分からん」

 僕は唸る。

「ますます謎だな」

 なんて、三人で首を傾げていた時だった。

「榛さん!」

 いきなり、部屋の襖が叩きつけられるみたいに開けられた。おいおいここは僕たちの部屋だ……なんて苦情を言うより先に、ほとんど倒れ込むみたいにしてやってきた男性に、こう叫ばれた。

「工事現場で怪我人だって……何針も縫う大怪我らしい!」

「えっ」

 榛さんが立ち上がる。

「どうして?」

 すると男性は答えた。

「謎の生き物に襲われたって……!」

「謎の生き物?」

 榛さんが呆然としていると、倒れ込むようにやってきた男性の後ろから、小さな男の子がひょっこり、顔を見せた。彫りが深く、どこか日本人離れした雰囲気を放つその少年は、土で汚れた手を広げて、こう告げた。

「ポラップポラップは怒ったよ」

「ポラップポラップ……?」

 僕がつぶやくと少年は声を大きくした。

「うん、ポラップポラップが怒ったんだよ。こう、足を広げて、うわーって」

「足を広げて……?」

 シュンペーター氏が同様に首を傾げた頃になって、僕は思った。

 面白くなってきたじゃないか。



「ポラップポラップってのはどこで会えるんだい」

 夕刻。

 民宿の外。少年と遊びながら。

 少年は名をしげるといった。好きな遊びは水切りらしい。お気に入りの石を見つけることに余念がないようだ。足元の石を拾ってはじっくり鑑定し、捨てるなり、ポケットに入れるなりする。今僕の目の前にいるだけでも三個の石を拾ってポケットに入れた。少年の脚の付け根のそれはもうパンパンだった。

「そこの森だよ」

 重くんは後方を、ひいては僕の後ろを指差した。

「もう巣に帰ってると思う」

「巣はどこにあるんだい」

 僕の問いに少年は首を横に振った。

「わかんない」

 それから少年は続けた。

「大人はみんな、この森を壊そうとするんだ」

 少年は足元を、何もないのに、蹴った。

「かわいそうだよ。ポラップポラップが」



 ポラップポラップの調査に来てから一週間が経った頃。

 開発事業を行っていた企業の汚職が判明した。鷲別岳近隣の森を開発するに当たって、複数の団体から不正に金銭を授受し事業の進展に差をつけていたらしい。

 僕たちが拠点を置いていた町はその不正なやり取りに参加していなかったらしく(端から声をかけられてなかったとの噂もあるが)、環境への配慮が特に行われないまま開発が進められていた。住民にとって、そして歴史的に、文化的に価値のある木々や岩などが不用意に排除されたのにはそういった経緯があるらしい。

 では何故この問題が公になったのかというと、それもこの町の開発担当者による告発だった。これはある伝手を辿って知った話なので情報の出典元は記載しないが、いわく。

 ――怪鳥に襲われたんだ!

 担当者のトップ、現場の総指揮監督はそう叫んで仕事を辞めたらしい。

 騒動の三日後、すなわち調査に来てから十日が経ったある日、僕は重少年に声をかけた。

「ポラップポラップのおかげかな」

 少年は相変わらず石拾いに余念がなかった。

「この森はまた自由になったね」

 すると少年は答えた。

「だね。ポラップポラップも喜んでるよ」

 僕は頭上を見上げた。

 遠い彼方。

 鷲別岳の、すぐ傍。

 大きな鳥が飛んでいた。この距離から見てあの大きさ。全長、優に二メートルは越えるだろう。不思議なもので、近くで見ると驚異のそれも、遠目に見る限りでは穏やかなものだった。僕は告げた。

「ポラップポラップは、『ポロ』『ラップ』を縮めて、それを連呼したものだね。つまり『ポロラップポロラップ』だ。そしてアイヌ語で、『ポロ』は……」

「『大きい』」

 重少年はつぶやいた。

「言葉はひいじいちゃんに習ってる」

 なるほど、詳しいわけだ。

「『ラップ』は『翼』だね」

「うん」少年は頷く。

「『ポロラップポロラップ』は『大きな翼』を連呼したものだ。で、北海道に生息する鳥の中で一番大きな鳥は……」

 ふと、頭上を大きな影が駆け抜ける。僕は見上げる。だが何もいない。

「ポラップポラップだ!」

 しかし少年は叫んだ。僕は空を見渡した。

「ほら! あそこだよおじさん!」

 僕は彼に言われるまま、五百メートルは離れた先にある岩の上を見た。そこに、いたのは。

 素晴らしい。

 まさに大空の主にふさわしい。

 凛とした構え。この距離でも立派な姿であることがわかる。

 メスの個体だろう。そっちの方が大きいと聞く。

 どのくらいの大きさだろうか。それこそ翼を広げれば二メートル以上の全長になるんじゃないか? 

 岩の上に立つ者。

 日本最大の猛禽類、オオワシが一頭、空の彼方を見つめていた。


「タロウ、何を見ているんだい?」

 しばらくして、ポラップポラップが飛び去った後。

 去り際さえも美しかった彼女を見ていると、シュンペーター氏が話しかけてきた。僕は答えた。それから、ポラップポラップの正体についても話した。氏は驚嘆した。

「ということは、ポラップポラップはやっぱり鳥だったのかい?」

「言葉の意味的には大きな鳥は大抵ポラップポラップになるがな」

「そうかぁ。一度目にしたかったなぁ」

「まだ会えるかもしれないぞ」

「いや、僕はもう少ししたら国に帰ろうかと思っていて」

「そうなのか」

 僕は氏を見た。

 氏はつぶやいた。

「トリ、会えず。か」


 

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ポラップポラップ 飯田太朗 @taroIda

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