ハザマの世界にて【 KAC20245 】【 はなさないで 】

一矢射的

第1話 その手が導くままに



 私は生まれつき目が見えない。

 その代わりに、指先で見えない物をまさぐれる。


 神様は私に風景を眺める権利を与えて下さらなかった。

 そのせいか、人一倍、いや三倍は「感覚」が鋭敏だという強い自信があった。

 視力に頼れない分、他の感覚センサーにすがる局面が多々あって。

 すがれるものが他にないのだから、私の場合、必然的にセンサーの精度がドンドン研ぎ澄まされていく感じだった。言うなれば、常闇が私を超人へと育て上げた。


 聴力や嗅覚が常人より鋭いのはもちろん、人の気配や空気の流れすらも肌で感じ取ることが出来るし、誰かと握手をかわせば相手の表情や人柄もそれとなく察する事が出来る。ここまでくると他者にはある種の超能力みたいに思えるらしい。

 第六感ですって? お笑い種だ。私からすれば、視力と言う異能はどうやっても理解不可能なのに。触れる指先こそが目の役割を果たす、私にとってはそれが日常という話に過ぎない。見えている世界が違う。それだけだ。


 そして、そんな私の指先センサーが、今まさに急転直下で緊急事態を訴えていた。

 たった今、私の身に尋常ならざる……本当にとんでもない出来事が起きていると。

 指先が我が身の置かれた窮地を伝えてくれた。私にとっては、いつも通りに。

 足元がいつの間にかコンクリートじゃない。まったく舗装されてもいない。

 これは天然の、濡れた岩盤か?


 えっと、この直前に何があったんだっけ?

 モウロウとする頭を振ってどうにか混濁した意識をはっきりさせようとする。

 そうだ、思い出した。

 駅のホームを歩いていたら遠くから「火事だ」って声が聞こえて……。

 前を歩く中年男性が急遽反転。肩で押され、私はフチから足を踏み外したんだ。

 まさか、それって……駅のホームから転落したってこと? 

 ほんの数秒前にはまもなく電車がくるとアナウンスも流れていたような?


 やれやれ、そこから導き出される結論は?

 つまり私は、電車の事故で死んだというの?


 死んでしまったら……ヒトは誰しも無に帰すのでは? 

 それならば、たった今、思考しているこの私って? 

 この自我はなに? なんなの? 魂?

 天に召されたというのなら……私は、いったい今どこに居る?


 目が見えないのなら、他の感覚に頼ってそれを探らなければならない。

 私の現在地は……病院でもなければ、線路のかたわらでもないようだ。

 まず人の気配が皆無。

 悲鳴や怒声も聞こえないし、人ごみの雑多な物音もまったくない。

 掌で探る足元は、ゴツゴツした天然の玄武岩。冷たくて、湿っている。

 さしたる空気の流れもなく、かすかな硫黄の匂いが鼻をつく。

 例えるのなら、どこか洞穴の奥にでも放り出されたような……。


 なぜ駅のホームからそんな所へ?


 どうやっても論理的な説明をつけようがない。

 まさに緊急事態だ。このふざけた所在地は何が原因?

 それも、どうやら独りぼっちで。誰が私をここへ?

 いや、待って。コツコツと足音が近づいてくるじゃない。

 この音は革靴。歩調が若い、きっと二十代の男性。



「おや、迷子でしょうか。こんな暗がりにしゃがみ込んで。女性がひとり。行き先を見失った可哀想な子」

「あの、どちら様でしょうか?」

「君のような迷子を救ってあげるのが私の仕事。さしずめ迷宮の案内人って所かな」

「救う……?」

「そうですとも、君には私の助けこそが必要だ。さぁ、この手をつかんで」



 差し出された手を握ると、すべすべでとても温かだった。

 冷え切った指を包む、優しい温もりよ。最高だ。

 こんなにも心地のよい掌は「あの人」以来だ。

 そう、私には、どうしても忘れられない大切な人がいた。

 きっとその人は、私の帰りを今か今かと待ちわびている。

 あの人に遭えないまま、こんな所で孤独に死ぬなんて真っ平ごめんだ。


 私は意を決して立ち上がる。

 たとえ今がどんな異常事態だろうと切り抜けてみせる。

 貴方が誰かは存じないけれど。

 お願い、どうか私に力を貸して。



「おっ、その調子ですよ。貴方には立派な足があるのだから最後まで歩き続けるべきなのです。途中で投げ出すなんて、人としてあまり宜しくない。そうでしょう?」

「そ、そうですね」

「では参りましょう。貴方が行くべき所へ。どうかその手を離さないで」



 何だか浮世離れした話し方をする人だ。

 常時クスクス笑っているのはちょっとシャクに障るけど。

 手の握り方がとても優しくて紳士的。

 そういえば、あの人も……こんな風に私の手を握ってくれたっけ。

 どこか申し訳なさそうに、遠慮がちな感じで。

 そっと私の手をとり、速度を合わせて共に歩いてくれた。導いてくれた。

 感情が先走り、私は思わず見知らぬ相手に口走ってしまった。



「あの、失礼ですが、井上恭太という方をご存知ではありませんか」

「いえ、生憎と」

「そうですか、そうですよね、そんなの当たり前だ。すいません」

「その男性は、貴方にとって大事な人なんですね?」

「ええ、結婚の約束を交わして……来月には式をあげる予定だったのに」

「それは何と言えばよいのか……お気の毒に。そんな時期にここへ来てしまうなんて、まったくもって気の毒としか言いようがありませんよ」

「あの、ここは、いったい何処なのでしょうか?」

「生と死のはざま。ありきたりなネーミングセンスですが『はざまの迷宮』なんて呼ばれていますね」

「生と死の……すると、やはり私は死んだのですか?」

「さて? はざまですからね。私のようにちっぽけな案内人では何とも」

「ううう、何としてもここから脱出しなければ、戻りたい! 早く戻ってあの人とまた……」

「その意気です。なぁーに、その手を離さなければ願いはきっと叶いますよ。この迷宮から抜け出すことだって出来るし、その恭太さんとまた会うことも叶うでしょう。多分ね」



 案内人のウエットな励ましを信じて、私は歩き続ける。



「目が見えないのは、まったく幸運でしたね」

「え? そんな台詞、初めて言われました」

「失礼。常人なら絶叫をあげるような相手と何度もすれ違っているので」

「そうなのですか? 確かに何かの気配は感じますね」

「案内する価値もない、乱暴で低俗なヤカラですよ。放っておくのが一番」

「そういう貴方は、いったいどんな姿をしているのですか? 掌だけはすべすべで、顔はまさかのバケモノの類いなんてことは?」

「自分ではイケメンのつもりですが。さて、いったいどうでしょうね。価値観は人それぞれなので」



 質問の答えはいつものクスクス笑いだけ。

 肝心な所は、だいたいはぐらかされる。


 熱い所に寒い所、そしてデコボコした急斜面や曲がりくねった上り坂。

 私たちは何時間も何時間も歩き続けた。

 歩けば、歩くほど体から力が抜けていくようだった。

 それは単純な疲労とか、空腹なんかじゃなくて。

 もっと根源的な活力が前進する程に失せていくような。

 私の体はもはや空気の抜けていく風船のようなもの。



「ああ、もうダメです。とても歩けません」

「頑張って。その手を離してはいけませんよ。『案内される権利』を放棄したら、もう二度と機会は訪れませんから。そうなればオシマイだ。もう何処へも行けなくなる。私の身に起きた事もそうだった」

「でも、まったく足に力が入らないのです」

「それなら大切な人のことを考えましょうよ。さてさて、二人の出会いはどんな感じでしたか?」



 あれは、私が信号のない国道を渡れずに立ち尽くしていた時のこと。

 偶然通りかかった彼が、盲目の女に手を差し伸べてくれたんだ。

 指先が触れ合ったその瞬間から、胸がトクンと高鳴ったのを覚えている。

 成程、これは確かにシックスセンス。

 指先で視る、人知を超えた第六感。

 不細工か、美男かも知れないが。

 運命の赤い糸を察知する私の特殊技能。


 彼の方も、手の握り方や、口調から、確かな緊張が伝わってきたっけ。

 後に「どうしてもそのまま別れるのが嫌で、話を引き延ばした」とか言ってたな。

 そんな涙ぐましい努力を重ねずとも「親切な方」の名前を先に聞いたのは私の方であったのに。


 案内人は私の思い出話を聞き、深くうなずいた。



「素敵なご縁ですね。ならば、その縁に報いる為にも頑張らないと」

「……ええ」



 私は歯を食い縛って立ち上がる。

 しかし、胸中では奇妙な予感が密かに渦巻いてもいた。

 もし、迷宮の出口に私が近づいているのだとしたら。

 ちゃんと肉体が蘇って、元の世界に帰れる寸前なのだとしたら。

 体には、むしろ活力がみなぎってくるはずではないのだろうか?


 長き旅路の果てに。

 案内人が、ついぞ歩みを止めた。



「さぁ、着きました。ここまで良く頑張りましたね」

「はぁ、はぁ……め、迷宮の出口ですか?」

「ある意味ではそうですね。残念ながらここで貴方を待つ結末は生き返りとは無縁のものですが。勘違いを利用したことを素直にお詫び申し上げます。案内人ウィルは救いようがない嘘つきでして」

「え? な、なんですって? おっしゃる意味が」

「ここは転生する魂が向かうべきトンネル。つまりは、その、本来アナタが進むべき場所に案内さしあげたというワケなのです」

「て、転生ですって? じゃあ、今の私は? 私を突き動かす今の慕情は」

「消えてしまいます。キレイさっぱりと。過去を洗い流して別人に生まれ変わるのです。それが貴方の為ですから。死人の未練など……何の価値もない」



 風が吹き始めた。

 前髪どころか、腰に届く私の後ろ髪すらも巻き上げる強い風が。

 目が見えずとも感じた。この先にある空間の亀裂とそこからあふれ出す光を。

 この風は遠からず暴風と化すだろう、確かな終幕の予感があった。


 しかし、私の顔は次元の亀裂ではなく案内人の方を向き続けていた。

 当然ながら、それはお礼なんかを述べる為ではなくて。



「だましたのね、卑怯者! 嘘つき!」

「愛、希望、夢……人の手を引き、いずこかへと導く光源は沢山ありますが。素直に従ったからといって必ずその人が幸せになれるとは限りません。いや、望み通りの未来に辿り着けるとは限らない。そう訂正させて下さい」

「偽りの光、偽りの希望。人をだまして底なし沼へ導く鬼火。それが貴方」

「時が流れたのですよ。貴方の大切な人も、きっともう別人と結ばれている」

「ふざ……ふざけないで! それなら私はいったい何のために頑張っ……」



 私は罵りながらつかんだ手を強引に振り払う。

 この、クソ野郎!

 きっと優しい人だと、そう信じていたのに!


 途端に吹き荒れる風はますます強くなり、空気の濁流にのまれた私の身体は逃れることも出来ないまま次元の亀裂へと吸い込まれていった。風に吹き飛ばされる木の葉みたいに。あるいは、栓を抜いた排水口へと吸い込まれる浮遊物みたいに。

 ああ、助けて! 私は必死に手を伸ばしたけれど……。

 その手がつかんだのは、無念にも虚空だけだった。



「さようなら、お嬢さん。願わくば貴方の望みがいつかきっと叶いますように」



 案内人の呟きが、耳へ届いた最後の言葉。

 その先で待っていたのは完全なる無音。


 なにを馬鹿なことを!

 転生して、別人になって、それで願いなど叶うわけもないのに。

 ああ、溶けていく。

 私の身体が。

 私の記憶が。

 私の魂が。


 そして私は……私は……。


 私は誰? 

 私っていったい何?

 思考する自我すらも……溶け……なくな……。


 やがて私の魂は、大いなる光とひとつになった。

 ああ、まぶしい。初めて見る……これが光か。










 唐突だけど、ちょっと自己紹介させて下さい。

 なんとなく今、そんな気分なので。シクヨロ!


 私の名は若森シズハ。

 静かな葉と書いてシズハ。都内の高校二年生。

 ごくありきたりな公務員の親を持ち、極めて平穏な人生を歩む女。

 ただねぇ、時々だけど不思議に思う事があるの。


 この世界はなぜ、こんなにも美しいのかと。

 木漏れ日の光が照らすタイル張りの舗道、沖合に沈む茜色の夕日、秋の日差しに輝く山際と紅葉。雪化粧で光る白一面の原野。ため息がでちゃう!

 あたかも「初めて見るような」淡麗さで、無性に私の涙を誘う。

 この世に生を授かって以来、毎年毎年ずっと見続けている光景なのに。

 いつも……どこか新鮮に感じてしまうのはなぜ?

 ただ、くり返される四季に無常観を感じているだけ……それだけなのだろうか。

 まるで、ずっと見えなかった物が とつぜん見えるようになったみたい。


 こんなにも素敵な情景に満ちた世界は、私にいったいどんな秘密を隠しているの?

 この世界のどこかに、私の「会うべき人」がいるのでは?

 早く会って、すべき大切な話があるのでは?

 そう思い続けていた、ずっとずっと。


 そんな ある日のこと。

 私の目前で老夫婦が道を横切ろうとしていた。

 老婦人はさっさと道路を渡ってしまい、杖をつく老人がヨタヨタとその後を追いかけていた。危ないなぁ、せめて手を引いてあげれば良いのになぁ。そんな場面を一瞥しながら何となく私はそう思った。


 すでに嫌な予感はしていたのだ。

 遠くから走ってくる車がまったくブレーキを踏む気配すらなくて。

 老人は慌てて避けようとしたけれど、もう間に合わなくて。

 暴走車は無情にも彼を跳ね飛ばした。


 ああ、なんてこと!

 誰よりも現場の近くに居たのは私。

 私は駆け寄って、仰向けに倒れた老人のかたわらへと膝をついた。

 虚空に差し出された老人の手を、思わず私は握り締めた。


 その瞬間、私の脳内で何かが弾けた。

 指先に秘められた第六感が蘇り、握った手の温もりが誰の物であるかを直観的に理解した。ああ、ああ、随分と、シワだらけの手になってしまったけれど。

 これは、私の運命の人。



「キョウスケさん、貴方なの?」

「……あぁ……まさか、そんな……そんな」



 忘れられてなんかいない。時を超え、心が通じ合ったのが すぐ判った。

 私と彼は束の間ジッと見つめ合い、無言のまま、ただ視線だけで伝えきれないほどの情報を伝達しあった。


 ああ、どうか、その手を離さないで。


 そんな想いも虚しく、老人の手は力なく垂れ、涙のあふれる瞳から光は失われた。


 急いで戻ってきた老婦人が不機嫌そうに尋ねた。



「ちょっと、貴方はなに? いったいドナタです? 主人の知り合い?」

「……いいえ。単なる通りすがりの……赤の他人です」



 今はね。心の中でそっとそう付け足して、私は足早にその場を離れた。

 事故の目撃者は私以外にも大勢居たので。


 ビルとビルの間に逃げ込み、私は震える掌を見つめながら一人で泣いた。

 泣き続けた。

 さようなら、恭介さん。

 どうか、来世でまた会いましょう。


 再会は叶った。願いは叶ったのだ。

 全ては案内人の言う通り。


 望んだ通りの未来ではないにしろ、希望はいずこかへ人を導くのだ。





 ※ 鬼火(ウィル・オー・ウィスプ)の伝説


 悪戯者のウィルは、大嘘つきとしてあまりにも有名だった。

 まず自分を迎えに来た死神を騙して、彼は不当に寿命を引き延ばした。そうやって水増しした寿命もやがては尽き、結局は老いさらばえて死んでしまったのだが……驚くべき事に死後も彼は嘘つきを辞めなかった。「改心するなら蘇らせてやる」そう話を持ち掛けてきた聖人すらも見事に騙し切り、彼は不当に生き返った。そんな奴が改心などするわけもなく、当然のようにウィルは蘇ってからも大噓つきとして生き続けた。恥ずべき第二の人生も遂には終焉を迎え、彼のいくべき場所は地獄しか残っていなかったのだが。

 なんとウィルはそこでも悪魔を騙し、見事に地獄のカマから脱出を果たしたという。舌先三寸で彼は運命に抗い続けた。


 しかしながら、もはや現世にも天国にも地獄にも彼の居場所はなく。

 どこにも行けなくなったウィルは、タイマツを手に持っていつまでも何処かをさまよい続けているのだという。生でもなければ、死でもない、ハザマの世界を。


 荒れ果てた沼地で時折みかける揺れ動く鬼火の正体。

 それはウィルが持つタイマツの炎だと言われているそうだ……。

 いくら神をも恐れぬ大悪党とはいえ、そのような境遇に陥れば果たして心境の変化なしでいられるものだろうか? 


 その光源が貴方をどこへ導くのか、真実を知る者は誰も居ない。



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