にゃんだふるワールド番外編 食いしん坊はつらいよ

西口梅子

第1話

 誰にでも魔が差してしまう時ってあると思う。

 その日、僕はどうかしていたんだ。あまりの空腹に気が狂っていたのかもしれない。


 夜も更けてみんなが寝静まった頃、小腹が空いた僕――ソンは食べ物を求めてこっそり王宮内の食糧庫に忍び込んだ。そこで禁断の果実に口をつけてしまったのである。


 ゴールデンツナ缶。この国の第二王子の大好物であるそれを一口食べた瞬間、僕は衝撃を受けた。

 ふっくらとして程よく詰まった身を噛むたびに溢れるマグロの旨み。しっかりとした味付けなのに、後味はしつこくなくて食べやすい。そして鼻から抜ける魚の風味もいい。


 さすがは高級ツナ缶。これはいくらでも食べられるぞ。

 感動した僕は、時間も場所も忘れて無我夢中で味わった。

 だから気付かなかったのだ。迫りくる何者かの気配に。


「逃がさないんだぞ、ドロボー!」

「わーっ!? ごめんなさい、ごめんなさい!」


 突然背後から声をかけられて、深夜だというのに僕は大声で驚いてしまった。

 後ろを振り向くと、不審者でも見るような眼差しを僕に向けてくる、クロネコ族のヨンと目が合った。現場を見られてしまって、とても気まずい。


「……何してんの?」


 絞り出すように問いかけられる。僕は目を逸らし、聞こえるか聞こえないか分からないくらいの小声で言った。


「お、お腹空いちゃって……」

「は? 何? 聞こえないんだぞ」

「だ、だから、その……」


 一呼吸置いた後、僕は意を決して話すことにした。


「仕方ないことだったんだ。ゴールデンの誘惑が僕の心をつかんで離さないので……。要は、全部こいつのせいなんだよ」


 僕は、食べ終わった空のツナ缶だったものたちを指した。

 ヨンが怪訝な顔をする。


「いや、己の欲に負けたソンくんが悪いよね。普通に」


 正論が返ってきた。


「しかも一、二、三……十缶も食ってんじゃん。馬鹿なんだぞ。マジで何やってんの? 王子の好物、勝手に食ってさあ。後で怒られるぞ」

「それよりヨンくん。君こそこんな時間に、食糧庫に何の用事があったのかなぁ? 君の部屋は三階だよね? ここは二階ですけれど」

「俺は喉が渇いたから美味しい水が飲みたくて……って、俺の話はいいんだぞ! 話逸らすんじゃねえ。自分の立場分かってんの? 王子にバレたら大変なことになるんだぞ」


 そんなことは分かっている。分かってはいるんだけど、どうしても僕は抗えなかったのだ。内なる己の欲望に。ゴールデンツナ缶の誘惑に!

 バレたら大変だ。でもバレなきゃいいのだ。

 僕はヨンの目を真っ直ぐに見て言った。


「王子には、言わないでほしい。……もっと言うと、僕らだけの秘密にしといてほしい。誰にも言わないでください、お願いします!」


 思いきり頭を下げた。必死だった。完全に僕に非があるんだけれど。


「えー。どーしよっかなー」


 上から降ってきたのは面白がっているような声だった。顔を上げると、ニヤニヤ笑いながら僕を見下ろすヨンと目が合う。明らかに状況を楽しんでいる顔だ。

 これ、絶対バラされる……! 僕は直感した。


「ほ、本っ当に話さないで! 王子の僕に対する信頼が地の底まで落ちてしまうから! お願いします、話さないでください!」


 あまりの必死さに、僕は思わずヨンの肩をつかんで揺さぶってしまう。


「……話さないから放して」


 その一言ではっとなる。ヨンの肩から前足を放した。


「分かったんだぞ。そこまで必死に言うんだったら、俺からは話さない」

「ヨン……いや、ヨン様!」


 ありがとう、ありがとう! 感謝の気持ちを込めて、僕はヨンと(半ば無理やり)握手した。

 よかった。後は自分のタイミングで謝るだけだ。





「ソン。お前、吾輩のゴールデンツナ缶食べたであろう?」


 翌朝、すぐバレた。

 王子を起こしに行ったら、すぐバレた。

 何で!? ヨン! 話さないでって約束したよね!


「なななな何でそのようなことを……」

「匂い。お前からゴールデンツナ缶の匂いがするのだ。吾輩の鼻は誤魔化せんぞ」


 ヨンのせいじゃなかった。

 どうしよう。どうしよう。僕に残された選択肢は二つ。一つ目、白を切る。二つ目、正直に謝罪する。

 僕が選んだのは――。


「もっ、申し訳ございませんでした!」


 正直に謝ることだった。これ以上しらばっくれるのは、さすがに僕の良心が許さなかったから。


「じ、実は、昨日の夜は、眠れないほどお腹が空いていて……。それで、いつも王子、美味しそうにゴールデンツナ缶食べるから、僕も食べたくなってしまって……」


 駄目だ。何を言っても言い訳にしか聞こえない。もう終わった……。

 しかし、王子の反応は思っていたのとは違った。


「そうかそうか。お前もついにゴールデンツナ缶にハマってしまったのだな!」


 あれ? なんか嬉しそう……?


「あの、怒ってないんですか?」

「ん? ああ、勝手に食べたことか。それはもちろん許せないのだ」

「じゃあ……!」

「でもな吾輩、それ以上に嬉しかったのだ。やっとゴールデンツナ缶の魅力に気付いてくれた者が現れたってな」

「ほぉ……」


 王子はいつもいつも「ゴールデンツナ缶食べたい」ってうるさかったですものね。

 これは面倒くさい予感がする。早く王子を食堂へお連れしなくては。もうすぐ朝食の時間だ。


「王子。お許しくださったこと感謝いたします。それでは、そろそろ食堂へ参りましょう」

「待て! まだ吾輩の話は終わってない。もう少し吾輩とゴールデンツナ缶トークをしようではないか」


 は?

 王子は絶対に逃がさないというように、僕のしっぽをつかんで放さないでいた。


「あの、王子、お時間が……」

「そんなの気にしないでいいから! 吾輩の話を聞くのだ!」


 ええええええっ!

 僕だってお腹空いてるんだから、早く王子の朝食を済ませたいのに。

 は、放してよ~!

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にゃんだふるワールド番外編 食いしん坊はつらいよ 西口梅子 @umeko_nishi

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