第5話 高さんに叱られる

 ミエルが宿泊先に戻って来たのはそろそろ日付が変わらんとする頃だった。ロビーの照明はすっかり落とされていて、万一の場合に従業員を呼び出すための電話機だけがダウンライトの光に浮かんでいた。

 おぼつかない足取りで階段を上がる。二階の廊下を進んで非常階段への扉の手前にある和室、そこがミエルと高英夫こうひでおが投宿する部屋だった。

 ドアを開けるとまずは小さな土間が目に入る。居室との仕切りとなっている戸襖の明り取りが明るいということは高英夫こうひでおはまだ起きているのか。そんなことを考えながらミエルが壁に手をついて靴を脱いだそのときだった、一気に酔いが回るような酩酊を覚えた彼は思わずその場にへたり込んでしまった。

 するとそのとき、戸襖が勢いよく開く。そこにはTシャツにスウェットというくつろいだ姿の高英夫こうひでお、しかし逆光ではあったがその表情にミエルは少しばかりの険しさを感じた。


「あ、こーさん、すみません、遅くなってしまって」

「いや構わねぇ、俺もいろいろと思うところあってな……ん?」


 高英夫こうひでおは会話を止めて鼻をヒクつかせる。その場にしゃがみこむと今度はミエルの髪やら肩やらを嗅ぎまわった。そして彼はミエルの胸倉を掴むとそのまま立ち上がって華奢な身体からだを壁に押し付けた。


「いきなりどうしたんですが、こーさん」

「どうしたもこうしたもねぇ、見損なったぞ、俺は」

「ちょっと待ってください、ボクはジュリアさんに連れられてフクロウの森に行ってきたんです。それだけなんです」

「で、二人で楽しんで、ラリってご帰宅か」

「何を言ってるのかわかりません。こーさん、ボクにもわかるように説明してください」

「大麻だよ」

「えっ?」

「だから大麻、マリファナ、ハシシだよ」

「そんな……ボクはそんなものやってません」

「やってませんったってなぁ、真夜中に大麻臭まみれでその上玄関先でダウンじゃねぇか」


 高英夫こうひでおはそこまで言うとミエルの胸倉から手を離して続けた。


「とにかく今すぐ風呂に入れ。それと着ている服は全部洗濯だ。風呂上がりに浴槽で洗っちまうんだ」

「わ、わかりました。でもなんでそんなに慌ててるんですか」

「バカ野郎、この匂いが誰かに知られてみろ、すぐさま通報されるかも知れねぇんだぞ」

「でもボクは何も知らなかったんです」


 ミエルは恐る恐る高英夫こうひでおの顔を見返す。そこにはいつになく真剣な表情で自分を見つめる彼がいた。ミエルは「わかりました」と小さな声でつぶやくと浴室のドアを開けた。


 ミエルが風呂から上がったとき、高英夫こうひでおは腕組みして座卓に並べたレポート用紙とにらめっこをしていた。紙には緊縛ショーのコンテらしきラフ画にコメントが走り書きされていた。ミエルはボディーソープのほのかな香りを漂わせながら高英夫と並んでコンテに目を落とす。そこには観客の興味を引かんとせり出しでの演技を想定したプランが書かれていた。


こーさん、お風呂いただきました」


 化粧こそ落としてはいるものの相変わらずレディース向けのシャツとショートパンツ姿のミエルが声をかける。すると顔を上げた高英夫こうひでおの機嫌は今ではすっかり回復していた。


「さっきは悪かったな、頭ごなしに食ってかかっちまって」

「いえ、ボクもこんな夜中まで、ごめんなさい」

「それでいったい何があったんだ。あれだけの匂いにまみれて帰って来たんだ、何かしらの理由があるんだろ」

「ええ、実は……」


 ミエルはフクロウの森でのいきさつを説明した。幻想的で素晴らしい時間を過ごしたこと、そして虫除けと称して全身にジュリアが喫うたばこの煙を吹きかけられたことも。


「なるほどな、手巻きの両切りなんていかにもだ。おそらく彼女は常習者だろう。今後は少し距離を置いた方がいいかもな」

「でも小屋の楽屋でいっしょになるし、夕食でも可能性がありますよ」

「さすがに小屋で喫うことはねぇだろう、周囲の目もあるしな。注意すべきはあの居酒屋だ、夜な夜な『ミエルを貸して』なんて言われた日にゃちょいと厄介だぜ」

「でも急によそよそしくするのも不自然じゃないですか?」

「そうなんだよなぁ……よし、とにかく今後は俺たち二人で行動しよう。もしまた誘われたら受験勉強だとか言ってはぐらかしちまえばいい」

「わかりました、そうします。ところでこーさん、この絵って新しいシナリオですか?」


 ミエルは座卓に広げられた紙片について高英夫こうひでおに問いかけた。


「ああ、ご覧の通り演技のラフ画だ。あの小屋はストリップ劇場だろ、だから他の踊り子連中はみんなせり出しで踊ってる、もちろんあのジュリアもだ」

「そうですね。でもボクたちはやぐらを使うからステージから動けません」

「だからさ、君を櫓から降ろしてそのまませり出しまで引きずり回したらどうか、なんて考えてるんだ。そこで締め上げて鞭の洗礼、客の前で開脚して見せてさ」


 高英夫こうひでおは目を輝かせながら熱く語っているが引きずり回されるのは自分なのだ。ミエルはなんとも微妙な気分で引きつった笑顔を見せながら相槌を打つのだった。



 翌日、ミエルと高英夫こうひでおは早速新しいプログラムを演じて見せた。ストーリーに大幅な変更はない、囚われの身となったミエルが拷問を受けるのもいつも通りだ。ただし演技の後半にランウェイでの鞭打ちというサプライズが用意されていた。

 やぐらに拘束されたミエルの首に高英夫こうひでお演じる拷問官が黒革の首輪を着ける。


「そら、貴様の恥ずかしい姿をさらけ出させてやる、さあ、来い、来るんだ!」


 高英夫こうひでおはミエルの拘束を解くと首輪につながる赤い縄を力任せに引っ張る。本来ならば鎖の方が様になるのだが、ここは急作りのストーリーだ、これが今ある材料での精一杯の工夫だった。


「あ、あぅ、く、苦しい……」

「そらそら、貴様の首が絞まるゾ」


 高英夫こうひでおが縄を引くとミエルがよろめきながらやっとの思いでついていく。しかしすぐに力尽きてその場に倒れ込む。そんなミエルを高英夫はなおも引きずり回す。しかしミエルは自分の首が絞まらないよう、両手でロープと首輪の付け根を握りながら苦悶の表情を演じるのだった。

 そしてプログラムはクライマックスを迎える。高英夫こうひでおは手にした縄の余った一方をミエルの片足に引っかけるとそれを力一杯引き締める。天井に向かって垂直に伸びるミエルの左足、股間を開帳したあられもない姿になった女スパイ役のデリケートなゾーンに高英夫は容赦なくバラ鞭を振るう。


「あ、あうっ、ぐっ……あ、あ――っ」


 拷問に必死に耐えるも声を上げてしまう女スパイ、そして彼女が失神したところでプログラムは幕を閉じる。しかし観客の反応は相変わらず、拍手ひとつ起こることはなかった。

 失神の演技を続けるミエルを担ぎ上げて舞台下手へと引っこむ高英夫こうひでお、その舞台袖ではこれから出番を迎えるジュリアが二人の演技を見つめていた。そしてレオタード姿のミエルを見つめる彼女の鼓動は出演前の緊張とはまた別の意味で高鳴っているのだった。

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