第4話 満天の星と漆黒の森

 ここからこっちはよそ者ゾーン、ジュリアの言葉に呆れたため息をつくと店主は再びこちらに背を向けて串焼きの仕込みを始めた。ジュリアはますますミエルに身を寄せて来る。そして声を潜めて話を続けた。


「そもそも河川跡なんて国のものでしょ、それが競売にかけられて落札されて紆余曲折を経て今に至るわけだけど、確かに広さはあるけれど使いにくい土地よね。それで周辺の土地、もちろんそっちは私有地なわけだけど、そこの買収が始まったの。その中にあの森もあるんだけど、所有者は神社でね、でも管理はお寺と町が共同でしてるわけ」

「共同管理って、なんだそりゃ?」


 疑問の声を上げたのは高英夫こうひでおだった。


「神社の土地を寺と町で管理なんて妙な話じゃねぇか。ん、まてよ、そう言えばあちらさんたちが神事がどうとか言ってたっけ。なあ、ミエルも聞いたろ?」


 ミエルも小さく相槌を打つ。ジュリアはこちらの様子をうかがわんとしている青年会なる面々の目を意識してますます声を潜めた。


「何を管理してるのかはあたしも知らない。とにかく町にとって神聖な何かとか、もしかしたらご禁制みたいな何かがあるみたいなんだ。でもね、あたしにとってそんなことはどうでもいいことなの。問題はフクロウたちよ。あの子たちは絶対に守ってあげなきゃなんだ」


 ジュリアはノンアルコールビールで口を潤しながらなおも続けた。

 霊園開発のための土地買収は東京の不動産会社が代行していた。元々落札した会社とはまた別の会社で一部からは少々よろしくない噂が流れている会社だった。彼らは早速交渉を始めたが神社、寺、町それに青年会や温泉組合までもが乗り出して来て収拾がつかない状況に陥り始めていた。

 そこで彼らはからめ手を講じる。土地の所有者である神社の神主にはひとり息子がいた。彼らはその息子に目をつける。言葉巧みに誘い出しては東京で接待攻勢を始めたのだ。豪勢な食事にきれいどころの女たち、田舎の若者が懐柔されるのにそう時間はかからなかった。

 そしてついに息子は誘われるがまま闇カジノに手を出してしまう。最初は適度に勝たせてやがては身ぐるみ剝いでしまう、それが彼らの常套手段だった。


「おいおい、そりゃどこかで聞いたような話だぜ。それでそのせがれってのはどうなったんだい」


 高英夫こうひでおはすっかり彼女の話に乗ってしまっていた。ジュリアはその問いに答える。


「土地の権利書から何からの一切合切とともに行方知れずらしいわ。とりあえず土地については差し止め請求って言ったかなぁ、凍結状態みたいにされてるって話」

「ジュリアさん、その不動産会社って大丈夫なんですか。とにかくお金が動いているみたいだし、その……仕返しとか報復とかそういうことしそうじゃないですか」


 今は疎開の身で仕事を離れているミエルもまたついつい話に乗ってしまった。


「敵さんもそれなりの企業だし裁判所まで巻き込んでる、だから今のところは大丈夫みたい。それに地上げめいた強引なやり方だったのが最近は急におとなしくなったみたいでさ、今ではずいぶんと低姿勢な人が交渉に来てるんだよ。ちょっと待って、確か名刺があったはず」


 そう言いながらジュリアは小さなショルダーバッグの中を探る。


「あった、あった。保護活動のついでに連中に意見したんだけど、そのときにもらったんだ」


 ジュリアがカウンターに置いた名刺、それは知らぬ名前だったが会社名には見覚えがあった。ダイモンエステート、やはりそうだ。彼らはこんなところでも暗躍していたのだ。しかしミエルも高英夫こうひでおも初見のふりをしてその場をやり過ごした。


「とにかく、あたしはなんとしてでもあの森を守りたいんだ。うまくやれば観光資源にもできるしフクロウの保護もできるってわけ」


 そしてジュリアは最後の一杯を一気に飲み干すと勢いよく立ちあがった。


「ミエル、これから連れてってあげる。ねえ、縛り屋のお兄さん、この子を借りていいよね」


 ミエルは高英夫こうひでおと目配せするとジュリアとともに居酒屋を後にした。



 満天の星空の下、黒いシルエットが浮かび上がる。森の住人たちを驚かせぬようジュリアは車のヘッドライトを消してスモールライトだけで進んでいた。軽トラックのサスペンションは路面の状況をダイレクトに伝えてくる。おかげでミエルは薄っぺらな助手席シートから落ちないよう天井のアシストグリップを掴みながら未舗装路の揺れに身を任せていた。

 街路灯などない道だったが周囲に広がる白っぽい砂地のおかげで星明りだけでなんとか車を走らせることができた。森の入口まであと十数メートルのあたりでジュリアは車を停める。ここからは徒歩だ。ミエルがジュリアについて砂利道を進んでいくとすぐに森の入口に到着した。ここから先は踏み分け道となって森の奥へと続いているがジュリアがその中へと進むことはなかった。


「ここがフクロウの森、まだちょっと時間が早いから鳴き声は聞こえないかも、だけどね」


 すると闖入者ちんにゅうしゃの気配を感じ取ったのだろう、ミエルの頭上から微かな声が聞こえてきた。それはいわゆるフクロウを示す「ホ――、ホ――」という声ではなく「ホ、ホ、ホ」と短く鳴く声や「ホ――、ホッホ」と相槌を打つような声だったりで、まるで会話でもしているようだった。初めは一羽、二羽だったがまるで連絡を取り合うかのようにそれは数羽に広がっていった。

 ミエルはすっかりその鳴き声に聞き入っていた。目の前には漆黒の森が、そして頭上にはこぼれ落ちんばかりの星が瞬いている。幻想的、そんな言葉がぴったりな、ミエルにとってすべてが初めての経験だった。


「どう、これがフクロウの森、あたしがなんとしてでも守りたい場所」

「すごいです。星空とフクロウなんて。ボクはずっと聞いていたいです」


 ジュリアは森を見つめて感動に浸るミエルの肩をやさしく抱き寄せた。


「いいよ、ミエルならいつでも連れて来てあげる。でも今日はここまでにしよ」

「なぜですか?」


 するとジュリアはミエルに向き合ってからかうようにその頬をつついて言った。


「これ以上ここにいたら全身虫刺されよ。ミエルのその白いブラウスなんて星明りのおかげで誘蛾灯みたいなもんだしね」


 確かに彼のブラウスに数匹の虫が止まっていた。しかしそれを払おうものならブラウスまで汚れてしまう。さてどうしたものか。


「ちょっと待ってて」


 ジュリアはそう言うとショルダーバッグから小さなケースを取り出した。中には紙巻きたばこが数本収められている。今どき珍しい両切りのタバコだ。その一本を咥えるとジュリアはそれに火をつけて大きく息を吸い込んだ。しばらく肺に溜めたそれをミエルの上半身に吹きかける。突然のことにたじろぐミエルだったが「大丈夫、防虫スプレーの代わりだから」と言いながら彼の全身に煙を吹きかけた。

 ミエルは事件屋稼業の傍らで水商売の真似事もしている。そんな彼にとってタバコの匂いは嗅ぎ慣れたものであるが、しかしジュリアのそれは彼が知るタバコとは少しばかり異質な香りがしていた。それは甘く、しかしどことなく青臭くもあり鼻腔のみならず全身に絡みつくような濃い匂いだった。

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