第11話 紫の煙

 ジュリアは重ねた唇をミエルからなかなか離そうとしなかった。それは流し込んだ妖しい煙を決して吐き出させるものかという意識の表れだった。ミエルはそれに抗わんと激しく首を振る。ついにできたほんの少しの隙間から口の中に溜めていた煙を吹きだした。しかし舌の上にはいやな苦みが残っていた。


「そんなにいやがることないのに。さあ、もう一口、今度は逃がさないぞ」


 ジュリアはこれまで見せたことのないサディスティックな笑みを浮かべるともう一服、再びミエルに口づけしてその煙を口の中へと流し込んだ。同時にジュリアはミエルの頭を動かぬように片手で押さえ込むと空いたもう片方で小さな鼻をつまんで塞ぐ。呼吸ができない。必死にもがくミエルだったがついに口の中に流し込まれた煙を呑み込んでしまった。その様子を察したジュリアはミエルの頭を解放する。そしてもう一服、こうしてミエルは二度三度とジュリアが吐き出す妖しい煙を呑み込まされるのだった。


 ミエルの目が涙で潤んでいたのは決して恐怖や悲しみからではなかった。何度も呼吸を止められては煙を流し込まれたのだ、溢れる涙はまさに苦悶の結果だった。


「あら、泣いてるの? 泣き顔もかわいいじゃん、ジュリアさんはますますミエルが好きになっちゃうな」


 ジュリアは上機嫌で紙巻きの大麻をくゆらせながら続けた。


「さてと、あたしはまどろっこしいことは嫌いなの。だから単刀直入に聞かせてもらうわ。君、ドローンなんて飛ばして何をやっていたの? あたしには外鎮守そとちんじゅを空撮しているとしか思えなかったんだけど」

「そ、それは……夏休みの自由研究……で……」


 かすかに痺れる舌と少しばかり朦朧とする頭でミエルはそう答えた。


「ねえミエル、君のミッションは達成できたかも知れないけど、でも君自身は囚われの身になってるんだよ。なのに誰に義理立てしてるのかなぁ。もしかしてあの盗掘ギャング団かな。確かにあいつらヤバそうな匂いしてたしね」

「し、知らない。ボクはあいつらなんか見たことないし」

「あいつら、ってことはやっぱ知ってるんだ」

「居酒屋で見ただけです。こーさんが見るな、って言うからそれ以上は……」

「ふ――ん、ってことは別の誰かの依頼ってことなんだ」


 ジュリアは再び紙巻き大麻の煙を深く吸い込むとしばし思案する。そして考えながら短くなったそれを煙管きせるに挿すと燃え尽きるまで喫い続けた。


 一本の大麻を喫い終えたジュリアは添い寝するようにミエルの横に寝転んだ。まるで恋人を愛でるように髪をなでると再び唇を重ねて来る。しかし大麻の影響だろうかミエルに抵抗する気力は起きなかった。


「ミエル、あたしと組もうよ。あのヘンなヤツとくだらないSMショーなんてやってちゃダメ、君はあたしといっしょにいるのが一番いいと思うし。だからミエル、いっしょにやろうよ」

「いっしょにって、何を……」

「ちょっとした商売、のようなものかな。既にネットワークもワークフローもできてるんだ」

「それって……大麻の、大麻の密売……です……か?」

「密売なんて失礼ね、会員向けの優待販売よ。そもそもこの国でも大麻は解禁されるべきなの、海外では既に合法化され始めてるわ。利権だか何だか知らないけど、老人たちの既得権益のために違法になってるだけだよ」

「ボ、ボクには……できません、ボクはただの高校生です、受験生です」

「大学なんてロクなもんじゃないよ。でもどうしても進学したいのならあたしらの仲間には大学関係者もいるし家庭教師もしてあげられる。だからさ、あんなショーなんてやめてあたしと行こうよ」

「でも……学校が……」

「そんなものどうにでもなるさ。あたしはミエルが好きなの、いっしょに居たいの、それじゃダメかなぁ」


 そう言いながら再び唇を重ねるジュリア、それは何度も何度も繰り返された。そして頬ずりをしながらミエルの全身を愛撫する。小さな胸の膨らみをなぞりながらその指先は脇腹から腰への伸びてゆきやがては太股に至る。ロング丈のスカートと柔らかなインナーをゆっくりとたくし上げるとあらわとなった素肌を愛おしむように撫で回した。

 ミエルは朦朧としながらも抗うように足を閉じようとするがジュリアの手はそれを拒むように押し開きながら核心へと伸びていく。ついにその手はミエルの白いショーツに到達する。そこでジュリアの手が止まった。

 ステージで演じるときミエルはデリケートな部分にシリコン製のパッドを着けていた。しかし今はそうではない、ミエルはママの言いつけを守って律儀にも女性用のショーツだけを着けていた。その結果ジュリアはそこに存在しないはずの感触を得たのだった。

 ジュリアは咄嗟にミエルと距離を置く。彼を見る彼女の目が泳いでいるのは明らかだった。


「ミエル、君は……そっか、そういうことか。あっははは、ジュリアさんはまんまと騙されてたわけだ。なるほど、男の娘、ううん、女装マニアの変態少年、緊縛師とか言ってるあのヘンなヤツと同類項ってわけね」


 すっかり気分を削がれたジュリアの顔はこれまでに見せたことのないほどの冷徹さを帯びていた。続いて大きなため息をつくと再びシガレットケースから紙巻き大麻を取り出して口にくわえて火をつけた。立ち昇る紫煙から甘い香りが漂う。


「男の娘探偵ミエルか……そうか、残念だなぁ。ジュリアさんは男の子には興味ないの。てか触りたくもないし」


 ジュリアは大麻を咥えたまま傍らに置いたクラフトテープを手にする。そしてそれを適当に引きはがすとミエルの口を塞いだ。


「ン――、ン――」


 首を振って抵抗しながら言葉にならない声を上げるもそれはくぐもって部屋に響き渡ることすらなかった。


「ふふふ、やっぱり拷問しちゃおうかな。あのヘンなヤツのショーみたいなのじゃなくて、もっと違うやり方でね」


 ジュリアは火のついた紙巻き大麻をミエルの鼻の穴に挿す。口が塞がれた彼が呼吸するには鼻呼吸しかない。しかしそこには大麻が刺されている。いやが応にも妖しい煙がミエルの肺に流れ込んだ。

 ジュリアは空いたもう一方の鼻を塞いでは開きを繰り返す。そのたびにミエルの意識は朦朧としていった。


「これでミエルも同類、もしあたしたちのことを口外しようものなら君のことも公になることを覚悟しておいてね。高校生の裏の顔はSMショーに興じる女装っ、挙句に大麻の常習者、ってね」


 一旦四畳半に戻ったジュリアは小さなスプレー缶を手にして戻って来た。それは昼間ミエルに浴びせた催涙スプレーだった。


「さよなら、ミエル」


 ジュリアのその言葉を最後にミエルの意識は失われ、視界は暗転するのだった。

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