第6話 木を隠すには森の中

 ジュリアがフクロウの森と呼び保護活動を進めている一帯を町の人々は外鎮守そとちんじゅと呼んでいた。その名の通り少し離れた里山近くの神社が分祀する小さな社を囲んでいる雑木林であるが、ほぼ自然に任せたままのそこに道らしき道はなく社へは踏み分け道を進んでいくのだった。

 森に入ってすぐに道は左右に分岐する。右へ進めば御社おやしろが、左に向かって十数メートルも歩けばそこには草むらが広がっていた。むせ返るような青臭い草いきれ、そこに立っていたのは日除けの麦わら帽子に虫除けの完全防備といった農作業スタイルに身を固めたジュリアだった。

 午前中とは言えそろそろ正午を迎えんとするこの時間の日差しは十分に強い。森の中ならまだしも彼女の背丈より幾分高い程度の灌木では日陰にすらならない。つばの広い帽子に加えて日焼けを防ぐために首に巻いたタオルでしたたり落ちる汗をぬぐいながらジュリアは目の前の草むらを眺めながら今日の段取りを思案していた。


 外鎮守そとちんじゅの森の中で茂っているのは大麻草、神社の所有であるこの土地を町の者たちが共同で管理している理由がこれだった。そしてジュリアが守ろうとしているのもまた同じ、フクロウの森の保護活動を隠れ蓑にして自分たちの嗜好のみならず販売目的でここから大麻草を採取していたのだった。

 彼女はほぼ二週に一度のペースでここに来てはまだ若い株を鉢に移して持ち出していた。採取が発覚しないよう一度に持ち出すのは二鉢、近接しない離れた株を選んで採取していた。

 ジュリアは持参した折りたたみ式の剣先スコップを広げて目星をつけた株の根元を掘り起こすとそれをプラスチック製の鉢に移す。そこに周囲の土を盛ったならば携行しているペットボトルの水を根元に注いだ。続いてもうひと鉢、少し離れた位置で葉を広げる若い株も同じように鉢に移して水をくれてやる。こうして得た二鉢をひと鉢ずつ抱えて森の外に停めている愛車の軽トラックに積み込むのだ。この炎天下に森の奥と車とを二往復、最後の後片付けも考慮するならば三往復、台車を使えば一回で片付くところをわざわざそうしているのは町の関係者に出くわしたときに咄嗟に身を隠すことを考えてのことだった。

 彼女の軽トラックの荷台には幌がかけられていた。掘り出した二株の鉢植えを荷台の奥に並べるとそれらを空のダンボール箱で囲むようにしてカムフラージュする。最後に巻き上げていた後方の幌を降ろすとジュリアは帽子と手袋を脱いでそれを助手席に放り込む。最後にもう一度周囲に人目の無いことを確認すると運転席に座ってエンジンをかけた。

 赤みを帯びたベリーショートの髪、その生え際に浮かぶ玉のような汗をタオルで拭う。そう、それが彼女の真の髪型だった。ステージでのソバージュヘアもさることながらいつものショートボブですらウィッグだったのだ。

 スマートフォンで時刻を確認する。そろそろ午後一時だ。仲間との待ち合わせにはまだ十分な時間がある。とは言え積んでいるものがものだけに寄り道なんぞするわけにもいかない。目指すは山ひとつ越えた先のショッピングモールだ、とりあえず急ごう、そして現地に着いたら何か冷たいものでも飲もうじゃないか。

 こうしてジュリアは大事な積荷に気を遣いながら目的の場所へと車を走らせるのだった。


 地図の上では隣町に位置するショッピングモールの駐車場に彼女が到着したのは約束した時刻の三〇分ほど前だった。これから会うのは彼女が運営するNPOのメンバーでもある二人だった。ひとりは通称「植木屋」と言い、彼女が採取した大麻草を育成する。もう一人は「ペット屋」と呼ばれる男性だ。彼はフクロウの森にちなんで猛禽類専門のペットショップを経営しているがそれは表の顔、ペット用品の通販サイトの裏アカウントで身元が保証された会員相手に乾燥大麻を販売しているのだった。

 モールの建物から離れた位置にポツンと止まっている幌付きの軽トラックの運転席からジュリアは駐車場の様子をうかがっていた。すると東京都内のナンバーを付けたワンボックスカーが現れた。アイボリーカラーのボディーには緑色のラインが描かれておりそのラインに乗るように「グリーンヒルズ 緑の丘」なるロゴがデザインされている。それこそがまさに彼女が待つ植木屋なる男の車だった。

 建物に近いほど利用客の車も増える。ジュリアが悪目立ちすることがないよう車をモールの近くまで移動するとその動きを察知したのか東京ナンバーのワンボックスカーもジュリアの軽トラを追うように近づいて来た。順路を進みながら駐車中の車がまばらになってきたあたりで彼女が車を停めるとすぐさまワンボックスカーもそこに横付けするように駐車した。すぐさまエンジンがかかったままの車から二人の男が降りて来た。ジュリアも駐車場に降り立つと運転していた作業服の男に挨拶する。


「植木屋さん、今日も二鉢よ、よろしくね」

「それにしてもわざわざ落合さんがこんなところまで出張って来るなんてご苦労なことですよね」

「案外楽しくやってるわ。温泉だって入り放題だし、なかなか悪くないんだな」


 その会話に入るのは金髪のツーブロックというスタイルで若作りした中年男性、通称ペット屋だった。


「いいっすねぇ、温泉。俺もたまにはのんびり温泉にでも浸かりたいよなぁ。とは言え商売相手の動物たちは目が離せないし、なかなかね」

「そうね、ペットショップの宿命ってとこかしら。今度この町の温泉の素ってのを送ってあげるわ」

「ハハハ、蘭子ちゃんもなかなか言うようになったなぁ」


 ジュリアはこの町では中井なかい朱里あかりを名乗っていた。しかし植木屋からは落合さん、ペット屋からは蘭子ちゃんと呼ばれている。落合おちあい蘭子らんこ、それが彼女のもうひとつの名だった。そして彼女が主催するフクロウの森を守る会にも秘密のウェブサイトがあった。その名はアウルズフォレスト・コネクション、その管理と運営を担当するのが落合蘭子としての彼女の役割だった。


「さて、長居は無用、さっさと積んでしまいましょう」


 植木屋の言葉を合図に落合蘭子ことジュリアは荷台の幌を上げるとペット屋が素早く乗り込んで大麻草の鉢を引っ張り出す。植木屋は自分のワンボックスの後部ハッチを開ける。するとそこは満たされた観葉植物の鉢で車内でありながらも鬱蒼としていた。二人はジュリアの鉢植えを観葉植物の隙間に押し込むとすぐにハッチを閉じた。


「木を隠すには森の中なんて、うまいこと言ったもんだよな」


 力仕事を終えて腕をストレッチしながらそういうペット屋に植木屋が助手席に乗るよう促す。


「それじゃ落合さん、自分らは戻ります」

「蘭子ちゃん、サイトの更新はこっちでやっておくから心配要らないよ。あと、温泉の素もよろしく」


 そんな軽口を残して東京ナンバーのワンボックスカーはショッピングモールを後にした。

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