時空の魔女と8時間後に

鳥辺野九

8時間後のあなたは2分後のわたし


 ふと窓を見やれば、差し込む光が眩しかった。ソルレッタは思わず目を細めてしまった。


「転校生を紹介する」


 朝日が月曜の時間のように柔らかい。まだ誰にも触れられていない時間は真っ直ぐで、眼鏡のレンズをいとも容易く突き進んでくる。


「ソルレッタ・マタチバです。どうぞよろしくお願いします」


 担任教師に促され、ソルレッタは教壇で頭を下げた。せっかく初対面の挨拶だと言うのに、眼鏡の奥で目を細めて朝日を眩しがるだなんて。おそらく眉間にシワでも寄せてやいないか。


「みなさん、仲良くしてあげてください」


 老齢の担任教師はソルレッタに空席であった後列の机をあてがった。扇型に広がった教室の後列、ソルレッタのためにぽつりと空いている。

 時空の魔女たちは新たに加わった学友を笑顔で迎えた。


「何て綺麗な黒髪なんでしょう」


 一人の魔女が口を開いた。自分の席へ向かう中、ソルレッタは歩みを止めた。彼女はとても眠そうに見えた。


「あたしはミューミュー。こちらのクラス委員長を任されています」


 ミューミューは自在に広がりを見せるブラウンの髪の隙間からソルレッタを見上げていた。海に揺れる海藻のようになびき、しなやかに流れるブラウンの髪が美しい少女はソルレッタに細い手を差し出した。


「よろしく。ソルレッタさん」


「よろしく。ミューミューさん」


 この教室には魔女が十三人いた。クラスの魔女たちの代表として、十四人目の魔女は握手を交わした。


「あとで学園内を案内してあげる。地方からやってきた転校生には広すぎる学園でしょう?」


 嫌味のない澄んだ声だ。クラス委員長としての責任と、珍しい転校生への興味。それらが混じり合い、優しさを上乗せして押し付けられる。ソルレッタはかすかな義務感を覚えた。この少女に逆らってはクラス内での居場所がなくなる。そう感じられた。


「ええ。助かります。まだ右も左もわかりませんから」


 ソルレッタはミューミューの目を見ないように頭を下げた。威圧感のあるブラウンの瞳を見つめ続けたら、時空の檻に囚われて抜け出せなくなりそうだ。

 ここは魔女の学園。各種魔法を鍛錬する学校施設。その中でも特殊の素養を必要とする時空魔法科は生徒の数も限られる。選ばれた者だけが時空を学び、魔法研究を許されていた。

 十四人目の時空の魔女は、ようやく自分の席に座ることができた。

 編入早々、朝の一時限目からいきなりクラス内派閥抗争に巻き込まれるのか。朝日を眩しがる愛想のない表情から始まり、ずいぶんと忙しい転校初日になりそうだ。

 ソルレッタの隣の席に座る時空の魔女は猫背の姿勢のまま頬杖をつき、ノートに鉛筆を走らせていた。


「クラスでの立ち位置、探してる?」


 誰にも聞こえないような小さな声。ノートに落書きしている時空の魔女だ。こっそり覗き見れば、ミューミューの奔放な髪型をスケッチしている。


「別に。流れに身を任せるわ」


 ソルレッタも静かに返した。落書きの魔女の手元を見ずに、教壇で授業の準備を始める老魔女に向き直る。


「わたしはミャルヒ。少なくとも、あなたの味方になれるかも」


 ミャルヒは頬杖をついたまま鉛筆を放り捨て、その片手をソルレッタへ伸ばした。くすんだ金髪は枯れた小麦のようでばりばりに強張って見える。


「あなたは味方ってことは」


 ソルレッタは鉛筆の黒鉛に汚れたその小さな手を軽く握り返した。


「クラスに敵もいるのかしら」


「かもね」


 二人きりの小声の会話はミャルヒの一言で終わりを迎えた。


「この手、離さないでね」


「授業中も?」


「時空の魔女は、容赦がないものよ」


 時空の魔女たちは時間を操作する。時間を制するものは魔法使いにとって最高峰の栄誉を手にする。その席はたった一つしかない。首席時空魔法官。たった一つのその席を巡り、十四人の魔女たちは競い合う。


「手を離さなければいいのね」


「できる?」


 ミャルヒはそこでようやく背筋を伸ばした。

 ソルレッタは視線に気が付いた。誰か、見ている。ソルレッタとミャルヒを見ている。とても嫌な圧のある視線だ。

 ふと、前髪に風を感じた。あ、朝が通り過ぎた。ソルレッタは時間が押し進められたのを感じ取った。

 時間が切り取られ、強引に時計の針は回される。誰かがソルレッタの時間を勝手に消費している。

 朝日が夕陽に変わった。日の差す方角ががらりと変わり、教室にいたはずのソルレッタは放課後の校門に立ち尽くしていた。

 誰が私の時間を使った?

 眩暈がする。立っていられない。

 時空酔いに襲われたソルレッタに降り注ぐ夕陽が遮られる。スクールバスだ。走り出した一台のスクールバスがソルレッタの方へ突き進んでくる。違う。眩暈がして、ソルレッタは真っ直ぐ立っていられないのだ。

 スクールバスに轢かれるか。跳ねられるか。どちらでもいい。あとで時間を巻き戻せばいい。ソルレッタの時間を使った奴を探すのはそれからでも遅くはない。

 それよりも、この手だ。


「この手、離さないでね」


 ミャルヒの声。この手は味方だ。離さないでおこう。ソルレッタは眼鏡越しに迫り来るスクールバスを睨み付けた。転校生への洗礼にしてはずいぶんと荒っぽいが、時空の魔女としてはこの程度のインシデントをクリアできないでどうする。

 ソルレッタは彼女の手を離さなかった。

 猛スピードのスクールバスに華奢な身体が接触する瞬間、ソルレッタの時間は返却された。時空魔法のキャンセルが発動していた。

 ソルレッタの時間は巻き戻される。本人の意思と関係なく。


「あとで学園内を案内してあげる。地方からやってきた転校生には広すぎる学園でしょう?」


 クラス委員長のミューミューがにこやかな笑顔で言った。


「ええ。助かります。まだ右も左もわかりませんから」


 ソルレッタは出来るだけ愛想良く答えた。握りしめていたミャルヒの温かい手は、いつの間にかミューミューの冷たい手に変わっていた。


「あら? 帰ってきたのかしら?」


 ミューミューがブラウンの髪を優雅に揺らしながら笑った。


「何のことですか? 私はまだ編入初日で、右も左も、敵も味方もわかりませんわ」


 ソルレッタは笑わなかった。朝日が眩しかったから。

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