そのツメをはなさないで

JEDI_tkms1984

そのツメをはなさないで

 指先に神経を集中させる。

 目は猛禽もうきんのように。

 わずかな空気の流れも読み誤らないよう、皮膚の感覚を研ぎ澄ませる。

 聴覚も大切だ。

 聞き慣れた音にほんの少しでもゆがみがあれば、そのゆがみは大きなズレとなる。

 『毫釐千里ごうりせんり』なんて四字熟語があるが、まさにそのとおりだと思う。

 この作業がどれほど繊細で、髪の毛一本ほどの誤差も許されない過酷なミッションであるか――。

 そこらの有象無象には理解できないだろう。

 後ろではドラムを叩く者、不出来なステップを踏む者などがいる。

「すこし静かにしてくれ」

 そう言いたいところをぐっと堪える。

 この程度で集中力を切らせていてはダメだ。

 私は深呼吸をふたつすると、正面をじっと見据えた。



 私はここでの戦いに巨費を投じている。

 負けるワケにはいかない。

 指先に伝わる冷たく丸みを帯びた感触を確かめながら、ボタンを押し込む。

 それに呼応するように吊り下げられたアームが動く。

 最初は右に。

 次は奥へと。

 この動かし方には寸分の狂いもあってはならない。

 一ミリメートル単位の……いや、一涅槃寂静メートル単位の世界だ。

 まだだ。

 あせるな。

「――ここだっ!!」

 素早くボタンから手を離す。

 この先、私ができることはない。

 あとはただ、趨勢を見守るだけだ。

 獲物を捕らえるツメが開き、アームがゆっくりと降下を始める。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 ツメは綿毛のかたまりがひしめく海へと沈み込み、そして――。

「よし!!」

 私が欲しくてたまらなかったクマちゃんのぬいぐるみをしっかりとつかんだ。

 しかし勝負はここからだ。

 アームはクマちゃんを抱きかかえたまま、重力に逆らって浮上する。

 いいぞ、その調子だ。

 姿勢は安定している。

 あとはアームが最高点まで上がりきって停止する時と、水平方向への移動時に生じる慣性さえしのぐことができれば……。

 私は天に祈った。

 頼む……もう三千円も使っているのだ。

 これ以上のミスは――。

 アームは浮上を続け、ついに最高点へ達する。

 そして水平方向に切り替えた、その瞬間――。

 生じた振動によりアームがほんのわずかに揺れ、二本のツメから逃れるようにクマちゃんは落下した――。






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