……と言っても、ギルドに捨てられた……いや、ギルドからアレクセイに献上されてしまった俺に、行く先なんてない。


 ひとまずアレクセイから逃げ出すために大教会の礼拝堂から脱出した俺だったが、控えていたタイラーに手際よく確保され、あれよあれよという間に王宮に連れ戻されてしまった。


 そしてカツラも被らず、服もデス・ザ・スターキッドの装束のまま、王太子披露宴の会場の片隅に置かれている。


 いや、なんで?


「お前は殿下の護衛専門侍従だろう」


 そんな内心がダダ漏れていたのだろう。俺の隣に並んだタイラーは、右手の中指でメガネのブリッジを押し上げながらいけしゃあしゃあと言ってきた。


「いや……それは『ルシウス・アンダーソン』としての役割であって」

「今の格好でも正装としては十分だ。髪もあんなカツラよりも、そっちの方がずっとお前に似合っている」


 ……随分言ってくれるじゃねぇの、サルストール卿。


「……いいのかよ」


 俺はブスくれた内心を隠さないまま声を上げた。そんな俺にタイラーはチラリと視線を落とすが、俺はその視線に反発するかのように視線を広間の中央に向ける。


 その先では今、多くの貴族達に囲まれたアレクセイが、次々と祝いを述べられていた。『正統派王子様』の笑顔を完璧にまとったアレクセイは、誰が相手でも穏やかな物腰で対応を続けている。


「あんたの主が、俺なんかに好意を寄せてるのを放置しといて」


 この侍従長は……この侍従長だけはきっと、アレクセイが俺に向ける執着の形を正しく理解している。その執着が王太子の地位にある者が抱くに相応しくないものであることも、それを黙認することで今後どれだけ厄介な問題が持ち上がるかも……きっとこの人は、アレクセイ当人よりも理解しているはずだ。


 だからこそ俺は意外だった。主第一主義のこの侍従長ならば、アレクセイを止めてしかるべきであるはずなのに。もしくはアレクセイから俺を遠ざけるべきであるはずなのに。


 だというのにこの侍従長は、思えば最初からそういう意味でもアレクセイの味方であったと思う。


 ……というか、できれば積極的に反対して、アレクセイを留まらせてほしい。なぁ! 今からでも間に合うからさぁ!!


「私ごときが反対して、あの御方が止まるとでも?」


 だというのに、侍従長の口からこぼれ落ちてきたのは、実にあっさりとした諦観の念だった。


 いや、そこはあっさりと諦めてほしくねぇんだけども!


「それに、当時、私も参加していたからな」


 俺は納得がいかない内心とともにタイラーへ視線を投げる。


 そんな俺の視線の先で、タイラーは何かを懐かしむかのように目を細めて俺を見返してきた。


「私は殿下が五歳の時からお仕えしている。誘拐された殿下の捜索隊に、私も加わっていた」


 思わぬ言葉に、俺は思わず無防備に目を丸くする。そんな俺にさらに目を細めたタイラーは、どこかイタズラめかしたような口調で言葉を紡いだ。


「『ああ、これは恋に落ちてしまわれたんだな』と、すぐに分かったよ。あの時を境に、殿下の顔つきが変わったからな」

「こっ、こ……っ!?」

「六歳児の恋なんて、と笑うか? 殿下をナメない方がいいぞ」


 いや、ナメてはいない。そこからこじらせた『恋』とやらのせいで、俺は文字通り生きる世界を変えられてしまった。その凄まじさは現在進行系で体感中だ。


 というよりも、属していたギルドの存亡のために献上されてしまった身の上で、どうしてあいつをナメてかかることができようか。


 むしろ恐ろしくて仕方がないし、今になってもどうやってあいつから逃げ出そうか、……いや、逃げることはもはや無理だと分かっているから、せめてどうやって今後身をかわしていくべきかと一生懸命考えているところで……っ!!


「お前が王宮にやってきた日、殿下はあの日と同じ表情で顔を輝かせていたよ」


『まるで空に掛かった虹を見上げる、幼子のような顔だった』と、タイラーはいとおしそうに告げた。


 不覚にも俺は、タイラーが見せた我が子を思う父のような表情に引き込まれる。同時に、同じ『愛おしさ』でも、アレクセイが俺に向ける表情はやはり決定的に違うのだと思い知らされた。


「だから、諦めるんだな」


 そんな風に引き込まれていたせいで、俺は一瞬何を宣告されたのか理解が遅れた。


「大人しく殿下に喰われろ」

「はいっ!?」

「健闘を祈る」


 いや何のっ!? 何へのっ!? 俺はそういうのは遠慮したいんですが……っ!?


「ルーシー!」

「ひゃいっ!?」


 そんなやり取りの最中だったから、思いっきり声がひっくり返ってしまった。


 慌てて威儀を正して声の方へ顔を向ければ、満面の笑みを浮かべたアレクセイが俺のところへ駆け寄ってくる。


「そんなところにいないで、こっちに来て!」

「え」

「ワルツが始まるから!」

「は?」


 いやいや、意味が分からないんだが……っ!? 何でワルツが始まるから俺がお前と一緒に中央に出ていかなきゃいけなくなるんだ……っ!?


「最初のワルツは、ルーシーと踊るって決めてたんだ!」

「はぁっ!?」


 最初のワルツファースト・ダンス


 貴族社会にうとい俺でも、その重要性くらい、さすがに知っている


「ちょっ、ちょっと待て! こういうのは普通、許嫁いいなずけとか、許嫁候補とかと踊るもんだろっ!?」

「僕、許嫁いないんだよね」


 俺の手を強引に取ったアレクセイは、グイグイと有無を言わさず俺を広間の中央へ引き出していく。


 ……ってか力強いなお前! 初回のの時も思ったけど、お前についてる『ひ弱』っていう評はどこ行ったんだよっ!?


「そんな僕がさ、王太子披露の場のファースト・ダンスを下手な御令嬢と踊ったら、変に邪推されてあらぬ噂が流れると思わない?」


 いや、聞いてる分にはメチャクチャ筋が通ってるように聞こえるけどなっ!?


 だからと言ってしがない護衛専門侍従、しかも男を相手にファースト・ダンスを踊る方があらぬ噂を立てられると思うんだがっ!?


「大丈夫、大丈夫。護衛専門侍従が相手なら『色々警戒してるんだなぁ』くらいで終わるし、男が相手だからこそ、みんなは『あぁ、下手な揉め事回避のために男を相手にしたんだなぁ』『殿下はユーモアが効いていらっしゃる』って好意的に解釈してくれるだろうから」


 はいはい! そこはお前の普段の行いのおかげでってことねっ!? 内心ではこれっぽっちもそんなこと考えてないし、俺を嫁ポジションに据える気満々なくせにねっ!?


 クッソ……! 俺はここでも逃げ場がないのかよ……っ!?


「逃げられないし、逃さないよ、オニイサン?」


 ついに俺を広間の中心にまで引き出したアレクセイは、低く俺の耳にだけ聞かせるようにささやいた。


 空間を空けるために壁際に寄った貴族達は、アレクセイが言う通り、面白い見世物を見ているかのような顔で俺達を見ている。


 俺の耳につやを多分に含んだ声を吹き込むアレクセイの姿さえ、『王太子殿下のユーモアの効いたおたわむれ』だの『突然引き出された侍従と打ち合わせをしていらっしゃるのね』だのと、勝手に好意的な解釈をしているのだろう。


 恐らく誰もこれが『ガチもガチのガチガチで、意中の相手と最初のワルツファースト・ダンスを踊るために本気で口説いているアレクセイ』であると見抜けていないはずだ。


 いや……俺はお前が心底恐ろしいよ、ほんとに。


「……言っとくけど俺、女性パートのワルツなんて踊れねぇぞ」


『逃げ出すことは不可能』とようやく諦めた俺は、溜め息をこぼしながら囁き返した。そんな俺にアレクセイはコテリと首を傾げてみせる。


「男性パートなら踊れるの?」

「まぁ……多少なら」


 暗殺仕事の一環で夜会に潜り込まなければならない場面もあったから、基礎的なことは師匠に叩き込まれている。


 とはいえ、ここはアレクセイの王太子披露の場だ。主役であるアレクセイにまさか女性パートを踊らせるわけにもいかない。


「大丈夫、そのうち女性パートでしか踊れないようにしてあげる」


 ……おっと?


 俺が殊勝なことを考えている間に、執着系王子が何か怖いことを言ってきたぞ?


 もしかして俺、今からでもこの手を振り払うべきだったりする?


「その手始めとして今はとりあえず、僕に身を任せて?」


 互いの手がそれぞれ手袋に包まれていても、俺の肌に鳥肌が立ったことを察したのか。あるいはアレクセイから見える肌にも容赦なく鳥肌が立っていたのか。


 妖艶な笑みを浮かべてみせたアレクセイが、俺の右手を掬うように取り、右腕を俺の腰に回す。


 おわっ、おま……っ! 右腕の位置は、身長が足りないからそこになっただけだよなっ!? やましい意味はないよなっ!?


「ほら、ルーシー、集中」


 些細なことに恐れおののく様さえ楽しむかのように、アレクセイは俺の耳元に再び囁く。


 その瞬間、まるでそれを合図にしたかのように、楽団がなめらかにワルツを奏で始めた。同時にスイッとアレクセイの足が動き、その動きにつられるかのように俺の足も動く。


 王太子最有力候補として養育されてきただけあって、アレクセイのリードは完璧だった。身長が本来の想定と逆転している上に、女性パートに不慣れな俺を相手にしているのが信じられないくらい、アレクセイは俺と完璧にワルツを踊っている。


「ね? 結婚式みたいだね?」


 その状況を不覚にも心のどこかで楽しんでいる自分に気付いた瞬間、アレクセイはワルツの音色に潜ませるように囁いた。


「いっそ、この場を結婚式の代わりにしちゃおうか」


 その発言に俺は、思わず改めてアレクセイの瞳を見据えた。


 アレクセイの瞳は、本気だった。顔は完璧に笑っているくせに、瞳の奥が笑っていない。


 笑顔で俺達を見守る貴族達。純白と純黒の、まるで対になるかのような衣裳に身を包んだアレクセイと俺。


 確かに、この光景だけを見れば、このワルツを本当の意味での最初のワルツファースト・ダンスと捉えることも可能だろう。


 だが。


「お前は、それでいいのかよ?」


 俺はあえて挑発的に微笑んだ。


 みずからアレクセイに体を寄せ、うやうやしく取られた手に唇を寄せる。


「俺はまだ、本当の意味でお前に堕ちちゃいないってのに」


 チュッ、というリップ音は、アレクセイの耳にきちんと届いたはずだ。俺を捕らえているつもりで、いつの間にか俺の一挙手一投足に見惚れてしまっていた青空のような瞳が、これ以上ないほど丸く見開かれていたから。


「そういうことは、きちんと俺を堕として、俺にきちんと婚礼衣裳を着せてから言うんだな」


 そうでなきゃ、このデス・ザ・スターキッドを……


 いや、お前が恋に落ちた『オニイサン』を思い通りにできると思うんじゃねぇぞ?


「俺を簡単に縛れると思うなよ? このマセガキ」


 せめてもの意趣返し……ここまで好き勝手にされた分と、これからも好き勝手にこっちを振り回すのだろう分への腹いせとして、精々見栄を張って『歳上の威厳』というものを見せつけてやった。……いや、正直、かなり、羞恥心の限界ではあるんだが。鳥肌その他諸々との戦いではあったんだが。


 だがそのおかげで効果は絶大だった。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 ワルツのステップを止めないまま顔を真っ赤にで上がらせたアレクセイは、声にならない声で悲鳴を上げた。『奇襲』が成功した俺は、思わずニマリと人が悪い笑みを浮かべる。


「も……っ、もうっ! もうっ!!」


 そんな俺さえツボに入るのか、アレクセイは言葉にならない抗議の声を上げる。両手が自由になっていたら、ポコポコと叩かれていたかもしれない。


「ルーシーのすけべっ!!」

「いや、初回で押し倒してきた殿下に言われたくないんですが」

「エッチ! 色気の塊!! 無自覚色魔っ!!」


 いやいや、何かすごい言われようだな?


 あー、でも。何かこれがアレクセイなりの『白旗』なんだと思ったら……


「クッ……ククッ……!」

「ちょっとっ!? 笑ってる場合じゃないんだけどっ!?」

「いや、……なんか……ハハッ! ハハハハハッ!!」


 俺は思わず湧き上がるがままに思いっきり笑ってしまった。そんな俺にプクーッと頬を膨らませていたアレクセイも、そのうち俺につられたように笑い始める。


 最終的に二人揃って笑いながら、俺達は一曲目のワルツを踊り終えた。


 その効果かどうかは分からないが、王太子披露宴はその後もなごやかに続き、貴族の宴とは思えないくらい純粋なお祝いムードに包まれたままお開きとなった。




  ✕  ✕  ✕




 俺のかつての名前はデス・ザ・スターキッド。


『名前を笑ったヤツは皆殺し』をモットーとする暗殺者だった。


 ふざけた名前をしていたが、これでも依頼完遂率は強制引退まで100%。最後の依頼は当時の王太子候補、アレクセイ・ブロワ・ルーベンスだったが、依頼を完遂すべく侍従補佐官ルシウス・アンダーソンとして王宮に潜入している間に依頼が取り下げられ、そのままアレクセイの護衛専門侍従として召し抱えられることになってしまった。


 若くして暗殺業を(強制的に)引退することになってしまった俺は、長すぎる余生を(強制的に)アレクセイとともに過ごすことになったわけだが……


 ……まぁ、悪くはない人生だったと、ここにひっそりと記しておこう。


 俺の人生を狂わせた、誰かさんのおかげで、……な。



【END】

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