140デシベルの断末魔

紀野は用意されていた衣装に着替えると、普段見慣れない自分の姿に興奮を抑えきれなかった


目の覚めるような朱色のチャイナドレスを身にまとい、鏡の前で自分を見つめる


「わお、わたしも案外イケてるじゃん!」


はしゃぎながら手を振り回し、嬉しそうにくるくると回る自分の姿に、新鮮な興奮が胸を躍らせた


彼女はポーズを付けたり、袖を振ったりして、衣装の美しさを楽しんでいた


「これ着てると、まるでお姫様みたいだな!

あーあ、ケータイ持ってくりゃ良かった…そしたら皆にもカワイイをおすそ分け出来たのに」


彼女は鏡に向かって叫び、自分自身に少し笑いながら、少し丈の大きかった衣装を裾を踏んづけていた


遊ぶ内に彼女の意識は、身の丈ほどもある銀枠へと集約していく

ぼんやりとした認知の中で衣擦れはおろか、自身の心臓の鼓動すら遠くに感じられた中、突然、青年の声が飛び込んできた


「はろぉー、元気ィ?」


ぴたりと耳に吹き込まれた瞬間、身を震わせるほどの驚きが訪れた

それはまるで突然降り注ぐ雷のように、身体中を駆け巡り、夢想に浸かりきった脳を打ち砕く


空から飛び降りてきたように感じられる、ほんの数センチ後ろの存在は「おお、なかなか似合っているじゃないか」と皮肉めいた笑みを浮かべながら、上辺だけ誉めた


「馬子にも衣裳ってヤツかな?

ああ、安心してくれたまえ!その着こなしは君にしか出来ないから…っはは!心より脱帽する、センスがあるのはわかるが、これはもう次元が違うだろぉ!?」


テーブルクロス引きよろしくグッと裾を引いて、バランスを崩してきた彼の悪意は明け透けで、声色は凶悪さと威圧感に満ち溢れている


まるで物語の悪役がスクリーンから飛び出してきたかのようだった、彼が全力で演技すれば、どんなクソッタレの台本だろうと猛烈な深みと緊張感をもたらしていたに違いない


「あなたならもっと上手く着こなせるかもしれないね」


なんてことのないように言葉を返すと、相手は端正な顔を怒りに歪ませて紀野を睨みつけた


それでいて手元は倒れかけた紀野を支えると同時に、お姫様だっこするような形で抱き起こし、安定させているのだから器用としか言う他ない


「んだよ、欣芮のとこに連れてってくれるのか?配達サービスもしてるだなんて意外だな」


「君さぁ、すこぶる無礼だってよく言われない?いくら私が懐の広い男と言えども、ハタチって付加価値がなきゃ即刻処断してたよ」


見下ろす瞳に怒り以外の色が映り、舌なめずりする赤い舌が見える、抱え直す素振りでその指が胸に触れ、恐怖と嫌悪で顔が引き攣った


「そう怖がるなよ、傷付くだろ」


何を勘違いしたのか、青年は愉快そうに笑う


「部下の暴走の結果とはいえ、ここに置いてやるんだ、少しぐらい良い思いさせてくれたって構わんよな?



…ハァい!わたしキノ!初めてでわからないコトいっぱいだから、ヤサシクシテ欲しいナぁ!…なーんちゃってェ!!!ぷふふぅ!」


「勝手な理想押し付けんなッ」


腕を突っ張るがびくともしない


おまけに青年の足はまるで疾風迅雷の如し、人ひとりを抱えたまま何処かの部屋に飛び込み、そこにあるベッドの上へと投げ出した


「かぁいいねぇ、もっと暴れていいよ?ぜーんぜん痛くないからさぁ

でも、嘘はよくないね…君は処女だろ?わかるよ、顔にそう書いてあるもの」


目が痛くなる赤色の中、慌てて立ち上がろうとしたが、青年が馬乗りになって肩を押さえつける


「ちゃんと爪切ってるんだ?えらいねぇ、うちの平飼いにも見習わせたいよ

アイツときたら、特別目を掛けてやってるというのに事務的で、格落ち品のチャットボットみたいな温かみのない返事しかしない癖してこの私の背中に毎度の如く引き裂けた痕を残してくるんだ」


この男を表す慣用句、そのすべてが泣いて逃げ出すようなどす黒い人間性ごと圧し掛かられ、滑らかなシルク生地のシーツが不満げに皺を作った


頬をべろりと舐められ、ぞわぞわとした感覚が走る

芸涵とは違い、粘着質な熱の籠るそれに紀野の恐怖心は限界を迎え、とっさに足で相手の脇腹を蹴り飛ばした

当たり所が良かったのか青年はベッドから転がり落ち、痛みに蹲っている


「やだ、助けて、誰かっ…」


甘ったれた思考は初対面だらけのこの領域で助けを呼ぶことに帰結したが、声が出ない


それもその筈、ぶっつけ本番で言い慣れてもいないSOSを叫ぶなど、普通の人生を送ってきた彼女には難しかったのだ


「か…」


だから、言葉を変えることにした


「火事じゃぁああ゛あああああああぁあ゛あ゛あ゛!!!!!」


不法入国者 紀野真宵、齢はキリ良く20歳


短い人生経験の中、指で数える程しかない避難訓練を、彼女はノリノリでこなすタイプだった


その経験はまさかの形で活きたらしく、体感100デシベルを越える人間クラクションが大気を震わせ、どこまでも広がっていく


「おい黙れ!騒ぐなこのクソ女が!」


男の焦った声と共に、目前にあった両開きの門がひとりでに締め切られる

勢い余って全身を叩き付けられ、ずり落ちた紀野はまたもや青年の腕の中へと絡め取られることとなった


「びっっっっ…くり、したぁ…誤報とかやめてよ、皆驚いちゃうじゃないか」


「おまえが気持ち悪いことするからだろ!楽園ではこれが常識だってのか!」


「常識?まぁ、そうだね、ここでは私が作り上げるものだ、私がルール故にな!

よって正しい、私のやること成す事その一切が!ここでは正当な権利の行使になるのだよ!」


身を捩り何とか逃れようと暴れる傍で青年が掲げた指を歪に練り動かす

その瞬間、身体は石にでもなった様に動かなくなって、紀野は絶望的な気分で彼を見上げた


「なにしたって言うんだよ…」


「言ったろ?私がルールだってな

お前のような新参者には逆らう権利も、機会も与えない」


青年が指揮者のように指を振り、次いで紀野の腕が後ろ手に縛り上げられた


まるで芋虫のように床の上で蠢くしかない姿に気を良くしたのか、馬鹿笑いが部屋に響く


「いい子にしてれば、すぐ終わったのにな」


そのまま仰向けに足で転がして覆いかぶさり、拳を振り上げる彼が、今は酷く恐ろしい


嘲りを乗せて風を切った腕を、摑み上げる者があった


同時にパラパラと石くずが振り落ちてくる

見るとその腕は扉を突き破って生えており、見覚えのある爪の橙色がもたらした安堵感に、紀野は涙が溢れて止まらなくなった


「火事と聞いてきたのですが、ご無事なようで何よりです」


「あ、ああ、ご苦労…間違いだから、もう帰っていいぞ」


「ええ、ええ、それは勿論、我が妻 語汐を返して頂けるならばすぐにでも







…ところで、ケイン様?妻とは一体、何をしていらしたので?」


「頼む、誤解しないで、落ち着いて聞いてくれ右舷スターボード、彼女とはちょっとばかし茶をしばいてだなぁ」


目で見えなくとも、下手な言い訳は通用しないらしい

ピキピキと広がっていくヒビを前に、青年は張り裂けんばかりの悲鳴を上げた

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轍を踏む ハムケツ大行進 @hamuketudaikousin

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