駆除業者と害獣

黒中光

第1話

「これは酷いですね」

 スーツ姿に大きな捕獲網を抱えた白鳥は、ビニールハウスの惨状に呻き声を上げた。

 育てられていたのは、春が旬の皆大好きイチゴだ。ルビーのように真っ赤に染まった果実は、見るも無惨に囓り取られていた。食べ頃になった実だけが集中的に狙われていて、被害もかなりの額になるだろう。

「うちだけじゃない。両隣も農家だが、皆やられてる。そんでもって、お隣さんが撮った動画がこれだ」

 スマホで見せられた動画には、タンクの影に潜む動物が映っていた。丸顔に茶色い毛並み。丸っこいフォルムは一見タヌキに見えるが、尻尾に特徴的な縞模様がある。

「アライグマ」

 大きさは犬と同じくらい。本来は北米に棲んでいるはずの彼らだが、ペットとしての人気が高く、日本にも多く持ち込まれている。きっと飼主が逃がしてしまったのだろう。

「生き物を放さないでください」という看板は、町中の到る所に立っているが、無責任な飼主はなくならない。そこで犠牲になるのは、無関係の人々だ。

「業者さんの方で駆除できひんか」

「罠を設置して、巡回も行います。できるだけ早く対処しますので」

 白鳥は、役所から仕事を回して貰っている駆除業者だ。公務員とのやり取りが多いせいか、対応時の口調が移っている。

 農家を出た白鳥は、早速近所の駄菓子屋に向かい、スナック菓子を買い込んだ。

 自然界には存在しない食べ物だが、このご時世。野生のアライグマでも、ゴミ箱を漁って食べ残しを口にすることは多い。特に、スナック菓子は匂いが強く、動物をおびき寄せるには都合が良い。

 水辺や餌場に当たりをつけて数カ所罠を設置した後、スマホで目撃情報を探してみる。素人の投稿だが、今はなんでもネットに書き込む時代。量だけはとにかく多い。予想以上の件数がヒットした。

 整理した中で最新の目撃情報があった公園に向かう。アライグマは愛らしい見た目とは裏腹に、凶暴な性格と聞く。子供が襲われたら大変だ。

「居た」

 木の上で丸くなっている。夜行性のため、今は眠っているようだ。動物がその気になれば、人間では追いつけない。こちらに気付いていない今がチャンス。

 傍にあったベンチに足をかけて近付く。アライグマの五本の指がしっかりと枝を握っているのが見える。

 捕獲網を、枝に絡まないように慎重にのばし――アライグマが中に入った。地面に向かって一気に引きずり下ろす。

 しかし、アライグマは異変に気付いたのか、空中で暴れた。地面に着地したときには、網を撥ねのけていた。

「逃がすか」

 再度網を伸ばすが、躱される。そして、鋭く威嚇しながら、白鳥の脚に噛みついてきた。

 激しい痛みに崩れ落ちる。興奮したアライグマは二度三度と噛みついてくる。白鳥は網を無茶苦茶に振り回し、なんとか追い払うことに成功した。

 右足には歯形がくっきりと残り、血が流れ出していた。地面につく度に、痛みが全身に向かって駆け上がってきて歩けない。白鳥は足を引きずりながら、なんとかタクシーを呼び、病院で手当を受けることになった。

 消毒の後には、狂犬病の検査。アライグマも狂犬病のキャリア動物であり、人間が感染すれば100%に近い確率で死亡する。幸い白鳥は陰性だったが、医者から結果を聞くまでは、妻への遺書を考えてしまった。

 包帯を巻いた足で病院を出た後、痛む足を松葉杖で庇いながらも白鳥は街へと向かった。上司は、傷病休暇を取るように勧めてくれたが、それでは白鳥の気持ちが収まらなかった。

 駆除業者に就職してから、五年。今まではブラックバスやミシシッピアカミミガメなど、直接的な危害を加えては来ない外来生物ばかりを担当してきたせいか、それらが「悪」だと理解していても、所詮教科書的な知識でしかなかった。だが、こうして怪我を負って初めて、それらが如何に危険な存在であるかを身をもって知ることになった。

「このままにはしておけねえよ」

 その生態を知らない人間が、アライグマに近付いたら。白鳥と同じ目に遭う可能性が高い。それを防ぐため、彼は使命感に燃えていた。

 白鳥がアライグマを再び発見したのは、日が暮れた後だった。場所は溜め池。周囲には農家が多く、被害を訴えていたイチゴ農家も近い。

「君たち、離れなさい!」

「えー、可愛いじゃん」

 白鳥は声を張り上げる。恐れていたことが起こっていた。白鳥が着いた時、アライグマの傍には小学生が二人座っていて、楽しそうにその身体を撫で回していたのだ。

「いいから離れなさい! 噛まれたら危ない、怪我する。俺だって噛まれたんだ」

 そう言って、包帯を巻いた足を見せてみたが、周囲が薄暗いためか、子供の反応は薄い。

 子供達が居なければ、すぐにでも捕まえて右足の借りを返したい白鳥ではあったが、ここでアライグマを興奮させては子供が危ない。仕方なく、距離を取って子供とアライグマを観察することにした。

 子供は怖い物がないのか、尻尾の手触りを楽しんだり、耳の裏を掻いてやったりしている。完全にペット扱いだ。

 白鳥にとって意外だったのは、アライグマがそれを大人しく受け入れていることだった。無防備にお腹を見せて転がっているほど。

 子供の手つきはお世辞にも丁寧とは言いがたい。それでも怒り出さないのは、かなり人慣れしているのだろう。よくよく見てみれば、野生で暮らし続けていたにしては毛並みも良い。

「どっかで飼われていたのか」

 役所や警察に聞き取りをしたが、飼主からの行方不明届はない。アライグマは食事の量も多い。きっと飼いきれなくなって捨てられたのだ。子供達の歓声が夜道にこだまする。あのアライグマも、かつてあんな幸せの中で暮らしていた時代があったのかも知れない。

 無責任な人間に翻弄された、アライグマもある意味被害者なのかも知れない。

 子供達を立ち上がって見送った後、アライグマは悠々と溜め池を泳いでいった。

 彼は翌日、檻の中にいるところを発見された。案の定、スナック菓子に惹かれて出てきた物らしい。イチゴ農家の動画と見比べてみるが、イチゴを荒らした犯人で間違いない。近隣住民の話では、家の壁に傷をつけたりもしていたそうだ。今は逃げられないと悟っているのか、暴れることもなく大人しい。

「……行くか」

 黙って小首をかしげたままのアライグマに、松葉杖をついて、ゆっくり近寄る。

 彼が生きて檻から出ることはない。このまま放置して餓死させるか、檻ごと水に放り込んで溺死させるか。白鳥は、苦しまずに済むよう後者を選ぶつもりだった。

 檻を持ち上げると、クルルッと鳥がさえずるような声で鳴きだした。不安なのだろうか。つぶらな瞳が、白鳥を見上げてくる。

「そんな顔するなよ。お前、俺に噛みついたんだぞ?」

 これは害獣だ。放っておけば、人々の生活を傷つける。

 溜め池にやってきた。周囲に人は居ない。

 もう一度、檻を見下ろす。アライグマはうずくまり、ふわふわした尻尾だけが揺れている。子供と楽しく遊んだこの場で、命を終えることになろうとは思っていなかったに違いない。

 人間に愛されるためにやってきて、嫌われて殺される。理不尽な物だ。

 池の畔には、掠れた立て看板。「動物を放さないでください。最期まで責任を持って飼いましょう」。本当に、どうして最期まで愛してやれなかったのか。

 アライグマは切なげな鳴き声を上げる。

 白鳥は足の傷に触れて、もう一度アライグマを見て。大きなため息をついた。

 無意味だ、と思いながら一本の電話をかける。隣町にある動物園だ。

 害獣を一々保護するわけにはいかない。全ての生き物を抱え込めるような場所は、この世のどこにも無い。情に流されているだけだ。

 電話の向こうで、呼び出し音が鳴り続ける。

 これが失敗すれば、殺すしかない。

 できれば、受け入れてやって欲しい。白鳥はそう思った。

 呼び出し音が途切れ、電話が繋がった。

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駆除業者と害獣 黒中光 @lightinblack

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