鏡越しの犬と探偵
香山 悠
本編
斜め向かいのソファに座った女性が、自分自身のことを話している。
鏡越しに相手を見れば、相手の答えが嘘か真実か、彼には直感で分かるからだ。イエスかノーで答える質問を重ねていけば、時間はかかっても問題の本質を見抜くことができた。
しかし、彼は今回の依頼に当惑していた。女性の飼い犬が隠した結婚指輪を、見つけてほしいという依頼である。調査対象が人間ではないと聞いて、彼は依頼を受けるべきか迷った。動物に対して、自分の能力が通用するか試したことはない。
女性に質問してみたが、からかっているわけではなく、本気で犬がやったと思っているようだ。指輪を隠しそうな他の存在(動物を含む)にも、心当たりはないらしい。もちろん、犬が呑み込んでいないことも確認済みである。
彼はしばし考えた末に、依頼を受けることにした。ただし、女性には一旦帰ってもらい、明日もう一度来てほしいと伝えた。今度は犬を連れてきてほしいとも。
普段の彼なら、面倒になりそうな依頼はすぐに断る。しかし、ここしばらく依頼がなかったので、あまり仕事を選ぶ余裕がなかった。もし解決しなくても依頼料はきちんと支払う、と女性が約束してくれたのも大きい。果たして自分の能力が犬に通用するのか、彼は多少興味もあった。
翌日、女性は一匹のゴールデンレトリバーを連れてやってきた。大型だが、よくブラッシングされた金色の毛並みで、幾分スマートに見える。初めて来た彼の事務所でも、ソファに座った女性の隣の床に、行儀よく座って待機している。
念の為、彼は質問を変えつつ、女性が嘘をついていないかもう一度確かめてみた。それから、事前に申し合わせていたように、女性には一旦部屋から退出してもらった。犬にもイエス・ノー方式の質問をするつもりだったが、女性の反応で犬の受け答えが変わるかもしれないからである。それに、見た目の滑稽さも気になった。
犬はオスで、名前は「ラッキー」だと女性から教わっていた。そこでまず、「君の名前はラッキーかい?」と彼は犬に訊いてみた。犬は行儀よく座ったまま彼の方を見たが、返事はない。
今度は、鏡越しに話しかけてみた。それでも応答はなし。人間相手ならいつでも働く彼の第六感も、どうやら鳴りを潜めている。
それから小一時間、じっくりと鏡越しに犬を観察しながら、彼は何か閃かないか粘ってみた。犬はさすがにずっと同じ姿勢ではおらず、寝転がったり事務所内をうろついたりしていた。
その間、彼はゴールデンレトリバーに一切手を触れなかった。別に犬が苦手なわけではない。人間が相手でも気安く触れることはないし、それで依頼を達成してきたので、犬も同じなだけである。
しかし、碌な反応もないまま、質問することがなくなった。
そこで、どうせ分からないならと、彼は犬に向かって自分の能力を説明しだした。
彼が自分の能力に気づいたのは、大学生当時、付き合っていた彼女の気持ちを自室で確かめたときである。面と向かっては気まずかったので、姿見に映る彼女に訊ねた。それ以来、彼女とはまともに顔を合わせていない。
そのような話を、鏡越しに犬に向かってボソボソと彼は話した。
犬が、彼を見つめていた。しばし彼と目が合う。
「……香水が臭かったんですよ」
最初、彼は事務所の外から声が聞こえてきたのかと思った。だが、その後も、鏡越しに犬はハキハキと喋り続けた。
「
結局、彼は依頼を達成した。犬が結婚指輪の隠し場所を話したので、それとなく隠し場所周辺を探してみるように女性に伝えた。合わせて、犬が苦手な香水がもしあるなら、それを女性の夫が付けた日に浮気調査をしてみては、と助言した。
後日、女性が報告に来た。これから慰謝料を請求していく予定らしい。
彼には、依頼料が全額振り込まれた。
ゴールデンレトリバーとの対面から一週間後、彼の前には一人と一匹が座っていた。男性が依頼内容を説明する横で、犬はじっと座っている。
だが、大きな姿見から別の声がぎゃあぎゃあと喚くので、男性の話が碌に聞こえない。彼は話を聞くのをあきらめ、事務所入口に「ペット不可」と張り紙を貼るべきか考えることにした。
鏡越しの犬と探偵 香山 悠 @kayama_yu
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