今日は平均値と中央値のお話をしましょう

いずも

ヤツが……再び帰ってきた……

「えー、それではこれより今年度最後の全校集会を行います」

 気の抜けた教師の開会宣言でその中学校の全校集会は幕を開けた。

 なんの変哲もない代わり映えしない時候の挨拶に加え教師の滑舌の悪さが重なって生徒は半数が春の陽気にうつらうつらと頭を揺らす。

 卒業生に変わって二年生が次は最高学年になること、また一年生も次の新入生の手本となるように気を引き締めること、そんな例年通りの言葉がつらつらと述べられる。ある一点を除き、よくある集会風景が続く。


「今年度も無事に終われそうですね」

 学年主任の真庭が安堵の声を漏らす。年度初めに生徒一名が骨折という災難に見舞われどうなることかとヒヤヒヤしていたが、過ぎてみれば大きなトラブルもなく順調な一年だった。危惧していたPTAとも大きな衝突は起こらず、平穏無事すぎて物足りないと言えば他に教師に叱られてしまうかもしれない。

 出世には興味がないが順調に出世ルートに乗っていることも自負している。左手薬指の指輪にもようやく慣れてきた。今から今晩の食事を楽しみにしている自分を客観視してニヤける。幸せを絵に描いたような状況だった。



『ビーーーッッッ!! ビーーーッッッ!!』

 体育館に耳をつんざく警報音が鳴り響く。

 水銀灯の明かりが落ち、赤い警告灯が暗い館内で不気味にのたうち回る。


「な、なんだ!」

『緊急事態発生。緊急事態発生』

 騒然とする館内に響く無機質なアナウンス。人は本当に恐怖を感じた時、ただ静かに天を仰ぐ。

 館内の窓と扉にシャッターが降りる。ガシャンと大きな音が木霊する。体育館はシェルターと化した。


「大変です、教頭。――<校長>が現れました。これは"emergency"です」

 無線機を力なく降ろして、三年二組の担任で英語教師の笹原が巻き舌で呟く。



 遡ること一分前。

「そういえばうちの学校って校長先生がいないよね。最初はたまたま休んでるだけだと思ってたけど、一度も見たこと無い」

 一年五組、倉重絵美が隣の男子生徒に話しかける。

「倉重は知らないんだな。今日はいよいよその校長がお出ましするってのに」

 話しかけられた男子生徒――斎藤隆史はニヤリと口角を上げる。

「え、そうなんだ。さすがに一年間ずっとお休みってのは具合が悪いから最後くらいは出てこようってこと?」

「そうだな、ようやく表に出てきたからな」

「?」

 倉重が首を傾げると、警告音とともに照明が落ちる。



「な、何故だ! 今日の集会のことは公言しないようにと全員に伝えたはず」

「それが生徒向けのコミュニティに突如_koutyouというアカウントが現れたようです。それで生徒が今日の集会のことを伝えたところ『我帰還セリ』のメッセージが」

「ハッキングされたか!」

 教頭を始めとする一部の幹部教師がヒソヒソと打ち合わせる。しかし最後に教頭が声を荒げてしまい、他の教師や生徒にも事の次第が伝わってしまう。一瞬の静寂の後、辺りは騒然とする。


「やっぱり<校長>だったんだ!」

「本当に? 来たってマ?」

「え、なに? どういうこと?」


 何が起きているのか理解している者と理解していない者の乖離が大きかった。

 主に男子生徒は大いに盛り上がり、立ち上がっては大向うが如く「よっ校長待ってました!」の掛け声を連呼する。一方で事情を知らない者、主に女子生徒は暗がりの中集まってこの自体が収束するのを今か今かと待ちわびている。



「報告、<校長>は校門を突破。狙撃部隊の砲弾をすべて打ち返して狙撃手は全滅しました」

 無線から淡々とした声がする。伝令役を買って出たのは新米教師の中村だった。教育実習生として訪れた母校に感涙して必ず戻ってくると生徒たちと約束して、本当に戻ってきた男だった。本来であればもっと感情的になってもおかしくない。今にも叫び出したいはずだが、彼は母校を愛しているからこそ、この緊急事態を乗り越えねばならぬと誰よりも強く思っていた。その信念が生み出した賜物だった。


「報告、<校長>が校庭に突入。遊撃部隊が応戦に入ります」


「報告、挟撃に失敗。斜線陣にて対応――時計回りに個別撃破されました」


「報告、サッカーゴールバリケードによる捕獲失敗」


「報告、――……」


 笹原の手から滑り落ちた無線機は尚も無慈悲な報告を続ける。



「何が起きてるの? 斉藤君、私怖いよ……」

「大丈夫だ倉重。何も怖くない」

「ね、ねぇ、手を握ってても良い……?」

「おう」

「えへへ、ちょっと安心した。手、離さないでね」


 そんな小さな恋が始まろうかとしていた瞬間、より一層大きな警告音が体育館に響き渡る。

『侵入警報、侵入警報。侵入者が現れました』

 機械音声による案内に空気が凍りつく。


「校内への侵入を許してしまったか」

「しかしこの体育館はステルス機能を搭載したステルス体育館です。そうやすやすと見つけられんでしょう」

 三年一組の担任だった太田が肥えた下腹を揺らしながら闊達に笑った。

「そ、そうか。それもそうですな」

 教頭が呼応する。他の教師陣は心の中でそれは死亡フラグだと思いつつも、心の平穏のために口に出すことは憚られた。



「報告、<校長>は体育館方向ではなく反対側に向かって進行しています」

「それみろ、やはり混乱している。鬼の居ぬ間に急ピッチで改装工事を進めて正解だったわい」

 半年間で東校舎を立て直した。その費用で来年度の予算は皆無に等しく給食も用意できず修学旅行も断念せざるを得なくなったことは教頭しか知らない。


「報告、<校長>は職員室に立ち寄り秋の県大会にて上位入賞した野球部の賞状を手にしました」

「……あ、しまった。今日の集会で渡そうと準備してたのに忘れてた。バスケ部の優秀トロフィーの方にばかり気を取られてつい」

「まずいですよ教頭、そんな隙を見せてしまっては。校長が訪れる口実を与えてしまったじゃないですか!」

「ぐ、ぐぬぬ……し、しかしこの場所のことはまだバレていないはず」


 ――ドンッ!!!


 体育館の扉を叩く音が響く。同時に生徒とも教師とも見分けのつかぬ悲鳴。


「報告、<校長>が体育館前に現れました。応戦いたしま――ガハッ!……ご武運を……」

 中村の声が途絶える。ノイズ混じりの無線機は踏み潰される音を最後に役目を終えた。


 扉を軽くノックする音が二、三度続く。皆が沈黙する中、音のする扉を注視する。

 少しずつノックの音が荒げてくるのが伝わる。最初は手の甲で優しく音を立てていたのが握りしめた拳を叩きつけるような音に変わる。トイレの我慢の限界を超えた時にしか出せないような生命の律動だった。


「アレの準備を」

「はっ」

 教頭が合図を出す。隣の教師がどこからともなくボタンの付いた装置を手渡す。爆破スイッチのような見た目のそれを両手に握りしめ、教頭は機を伺う。


 低く鈍い音とともに体育館の扉が湾曲する。扉を木っ端微塵に爆破させることも出来た。しかしそれは彼の美学に反していた。己の力で道を切り開くこと、それを生徒たちには示したかった。

 生徒たちがその姿を見るのは初めてだった。逆光でよく見えていないが、よく見ると後光だった。仏像の光背のように彼の歩みとともに光が後を付いてくる。


「――今だっ」

 教頭がボタンを押すと床が大きく二つに開き、ドッキリの落とし穴のようにパカッと開いた床下に発光する人物は落下していった。あまりに一瞬の出来事に誰も何が起きたのか理解できなかった。

 後光がまばゆかった館内に外からの光がうす漏れ、ようやく皆の目が慣れる。


「何が起きたんだ?」

「扉が開いて、誰かやってきて……落ちてった……」

 床穴は閉じられ、何事もなかったかのように元に戻る。

「ふう、危なかった」

「やりましたね教頭、最後の最後に仕掛けておいた罠が見事に決まりました」

「ああ、切り札は最後まで見せないこと。それが勝因だ」



『――これで勝ったとは、まったく、片腹痛い』


 どこからともなく声が響く。アナウンスの機械音とは違う、生の人間の声。それでいて威圧感と同時にどこか心地よく、魅惑的で人の心を乱すような不思議な声だった。


「馬鹿なっ、死んでいないだと!? くそっ、一体どこに」

 水銀灯の明かりがゆっくりと灯される。明るくなった体育館内には何も変わった様子は見られない。


『さぁ、狂乱の宴の始まりだ。あ、野球部のみんなおめでとう。よく頑張りました』

 宙を舞っていた一枚の紙が床に落ちる。県大会の賞状だった。


 賞状に気を取られていると、壇上の暗幕がふわりと揺れる。すると破砕音とともに壁は破られ、カーテンを突き破って光とともに一人の男が勢いよく現れる。光の戦士ならぬ光の校長である。


「や、やった! ついに戻ってきた。本当に、校長だ……!」

「斉藤君!? だ、駄目だよ離さないで、行っちゃやだよぉ……」

 少女の手から彼の手はすり抜け、少女は力なくうなだれる。



『皆さん、お待たせしました。元気そうで何よりです』

 慈愛に満ちた表情で生徒一人ひとりの顔を確認する。子どもたちの笑顔は一番の宝であり、何があっても守らねばならない。それこそが彼の信条であった。


「くっ、誰か奴を止めろ! <校長>に話をさせるな!」

「だ、駄目です近づけません。強力な結界が展開されています!」



 演台に両肘をつき、両手はろくろを回すようなポーズで固定され、深く息をついてから腰をかがめる。これが彼の公演スタイルだった。



『――では、今日は平均値と中央値のお話をしましょう』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日は平均値と中央値のお話をしましょう いずも @tizumo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ