【KAC20244】カーステレオの音量

金燈スピカ

カーステレオの音量

 夜の高速道路は、オレンジ色の光と影が彼の横顔の上を次々と流れ過ぎていく。


 カーステレオの音量は気分を盛り上げるには小さすぎて、遠巻きな観客のように小さくザワザワしているだけ。何か話題はないかと耳を澄ませてみたけど、クレーム謝罪の出張の帰りにぴったりの話題なんてあるはずもなかった。


 やっと一人で任せてもらえた案件だったのに。


 何もかも失敗して、お客様を怒らせて、結局のところ高瀬先輩が今後を巻き取ることになってしまった。今日は謝罪と担当変更の挨拶だ。電車で行っても最寄駅からの足がないからと、社用車で行ったその帰り。定時なんてとっくに過ぎて、それでも社に戻らないといけなくて、運転もできない私は疲れた先輩に運転させて助手席に座っているだけの能無しだ。


「…………」


 気付かれないようにそっと高瀬先輩の横顔を見る。しっかりセットしたビジネスショート。車に乗る時にスーツのジャケットを脱いで、一緒に緩めた深緑色のネクタイ。顎から喉にかけてのゴツゴツとしたライン。慣れた様子で、力を抜いてハンドル軽く添えているだけの手。さっきはあの手を血管が浮くほど握りしめて、お客様に深く深くお辞儀をしていたんだ──


「塚本」

「……はい」


 名前を呼ばれてぎくりとした。見てたのに気づかれちゃったかな。


「まだ一時間以上かかるから」


 視線は前方のまま、先輩は呟くように言う。


「今のうちに泣いとけ」

「え……」

「課長には自分で報告したいだろ」


 謝罪に行った時、足が震えて、申し訳ありませんでしたと言うのがやっとだった。話そうとしても言葉にならなくて、泣き出さないようにするしかできなかった。頃合いを見て先輩が言葉を引き継いで、失敗の理由、後任としての挨拶、今後のフォローを全部説明してくれて、情けなくて悔しくて、でも頭を下げるしか出来なかった。これだから女は、泣けばいいと思って。怖い声で怒鳴った先方と同じように、高瀬先輩もそう思ってると思っていたのに。


「──……。……」


 ぽろり、ぽろりと涙がこぼれて、慌てて手の甲で拭った。泣いていいって言われたからってすぐ泣くなんて恥ずかしい。高瀬先輩は運転で前見てるから気づかないだろうけど……それでも、ちらりと先輩の方を見る。


 カッチリと視線が合った。


 顔は前を見たまま視線だけこちらに向けていた高瀬先輩は、何事もなかったかのように視線を前に戻した。そのまま左手を伸ばして、カーステレオの音量を大きくする。場違いすぎる陽気な曲が始まったばかりだった。


「……あー、これ、好きな曲」


 ささくれを見つけただけ、みたいな言い方の、独り言のような呟き。


「つい聞き入っちゃうな」


 どうして、そんな白々しいこと言うんだろう。

 どうして──私の胸の奥のささくれを見つけて、優しくしてくれるんだろう。


「……っ、……うう……」


 その後たっぷり一時間、私は声を噛み殺して泣いた。カーステレオの音量はずっと大きいままだった。

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