ささくれ鎮座

川詩 夕

「ミャアミャア」

 この家の主は猫を一匹飼っていました。

 数年前、家の前にあるドブにはまりミャアミャア鳴いていた泥まみれの仔猫を拾い上げたのです。


「てめぇはドブから産まれたのかよ?」

「ミャアミャア」


 主は仔猫にドブコと名前を付けました。

 泥まみれのドブコを家の風呂場へと連れていき、ぬるま湯で石鹸を泡立ててから優しい手つきで泥をぬぐってあげました。


「泥を洗い流したのに真っ黒じゃねぇか?」


 それもそのはず、ドブコは純度百パーセントの黒猫だったのです。

 ドブコは引っ切り無しに鳴き声を上げていましたが、こころなしかどこか嬉しそうでした。

 それから主はドブコを大層可愛がりました。

 ドブコも注がれる愛情にしっかりと応えるかの様に、主に毎晩寄り添いながら眠りにつくほど懐いていました。


 そんなある日の事でした。

 主は外出先から帰宅するやいなや涙を流しながらシングルベッドへダイブしました。


「フラれた死にたい殺したい捕まりたくないから死ぬしかねぇじゃん?」


 主はしばらくの間ベッドの上で叫びながら手足をバタつかせて暴れていました。

 奇声を上げすぎて疲れ果てたのか主はいびきをかきながら眠っていました。

 ドブコは主を起こさないように抜き足差し足忍び足で主に近付き密着すると横たわりました。

 主は眠りながら涙をポロポロと流し続けていました。

 ドブコは主に頭をでて欲しかったので、眠る主の手の内側に自らの頭を充てがいセルフ撫で撫でをしていました。

 ドブコはふと、ある事に気が付きました。

 主の左手の薬指にささくれが見えたのです。

 それを見つけたドブコは薬指をチロチロと舐めはじめました。

 しばらくのあいだ舐め続けていると、薬指のささくれはベロリと数センチめくれていました。

 ドブコは捲れたささくれをハムっと口にくわえるとカムカムして食感を楽しんでいました。


「甘噛みすんな糞猫死ねボケカスゴミクズ?」


 主は大層顔をしかめて泣きながら寝言を言っていました。

 ドブコは主の発言にビックリして思わず鳴いてしまいました。


「ドブうじ虫の分際で生きてんじゃねぇ地獄へ落ちろ薄らハゲ死なすぞ助けて?」


 ドブコはプッツンして、怒りのボルテージが限界MAXに到達しました。

 主のささくれを力強く噛み締め全身を使って捻り始めたのです。

 まるで高速で回転する風車の様です。

 ミヂミヂと粘着質を含んだ音が聞こえ、ささくれはみるみると主の薬指から首筋までベロンチョベロリンに捲れました。

 それでもドブコは止まりません。

 ドブコの怒りは到底収まりそうにありませんでした。

 ドブコは異様に興奮した状態で主のささくれを噛み締めながら、狂ったようにシングルベッドの上で跳んだり跳ねたりを延々と繰り返していました。

 まるで理性のリミッターがぶっ壊れた畜生殺人鬼と瓜二つです。


 やがて、ドブコはゆっくりと一息吐きました。

 人間一人分サイズの巨大なささくれが出来立てホヤホヤの状態でシングルベッドの上に鎮座ちんざしていました。

 それを見たドブコは満足したのか険しい表情がゆるんでいました。

 ドブコの手によって、いや猫に手はなく足、いやいや実際には口によって、主は薬指のささくれから全身をグルグル巻きにされてしまったのです。

 ドブコは主の家の窓ガラスを突き破ってシュッと外へ飛び出し、数日後には新しい主と出会い幸せに暮らしました。

 

 猫であろうと、人であろうと、悪口を言って相手を傷付けてはいけません。


 意図しない勘違いから、何か取り返しのつかない事が起きる可能性があります。


 あなたの薬指にささくれが見えます。


 十分に注意しましょう。

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ささくれ鎮座 川詩 夕 @kawashiyu

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