ささくれ占い
時輪めぐる
ささくれ占い
「痛っ!」
「山田君の今日の運勢は、吉です。ラッキーアイテムは、焼きそば」
「サンキュー」
山田は、人差し指を口に入れ、傷を
「次の人、どうぞ。親指ですね」
「ひゃっ!」
「血が出ましたね。うーむ」
ナツミは、毟った跡をじっくりと観察する。
「中村さんの今日の運勢は、大吉です。ラッキーアイテムは、体操服」
ナツミは、ささくれを毟った跡の形(傷)で運勢を占うことが出来る。
古来より、何かの跡を見て運勢を占うことは多い。亀甲占いしかり、コーヒー占いしかり。
ナツミの場合は、ささくれを毟った跡ということになる。
名付けて『ささくれ占い』という。学校で『ささくれ占い』を始めたのは、中学に入学してすぐだった。
小学校からずっと親友のサユリが、皆から集金したお金を紛失し、
集金は無事戻り、ナツミの『ささくれ占い』は周知のものとなった。
それ以来、占いの希望者は後を絶たない。
今日も『ささくれ占い』の依頼者が二年二組のナツミの席に列を作っている。校内で商売は禁止なので、ナツミは、鑑定料を取っていない。
よく当たると評判が評判を呼び、占って欲しくて、わざわざ、ささくれを作って臨む者もいるようだ。
「次の人……」
と言いかけて相手の顔を見て止まってしまった。クラス委員長の天野タスクだった。
イケメンな上に性格が良く、人望も厚かった。
ナツミが密かに憧れている相手でもある。
タスクは、何を占って欲しいのだろう。
「僕の恋愛運を占ってくれるかな」
タスクの言葉にナツミの心臓が跳ねた。
後ろに並ぶクラスメイトからは、ヒューッと声が上がる。
皆の憧れのタスクが、恋愛運を占いたいと言うのだから、
ナツミが、消毒済みの毛抜きを構えたところで、始業のチャイムが鳴った。
「あーあ」
「残念」
ゾロゾロと自分のクラスや席に戻っていく。
「あの、昼休みで良かったら」
「ああ、よろしく」
ナツミは、タスクと約束を交わした。
昼休みになり、昼食を食べ終えると、ナツミの席の周りには、人だかりが出来た。
その中心にいるのは、ナツミとタスク。
二人は机を挟んで座っている。
「では」と言って、ナツミはタスクの左の薬指のささくれを毟り、傷を観察した。
(これは……)
ナツミが、黙ったままなので、ギャラリーは騒ぎ出し、タスクも差し出した左手をモゾモゾと動かした。
「どうなのかな?」
言うべきなのだろうか。
言って良いのだろうか。
「……どちらか一人に決めると良いと思います」
迷った末に、そう口にした。
すると、ギャラリーから
「何それ、タスク君が二股しているってこと?」
「えーっ」
「サイテー」
「人は見掛けによらないな」
非難の言葉が口々に上がった。
バン!
「当たってない! インチキじゃないか」
タスクは乱暴に立ち上がり、ナツミの机を両手で叩いた。
「僕は、そんなことしていない!」
身を震わせて
「……」
「そうだよねぇ」
「タスク君だよ? ありえん」
「『ささくれ占い』外れたな」
「インチキー」
言いたい放題で収拾がつかなくなった。
ナツミは、針の
親友のサユリのフォローは、あまり役に立たなかった。
自室に
漆黒のカバーのベッドの上でナツミは泣いていた。
壁にはダークな色合いのポスターが飾られている。全体的に陰気なインテリアだが、ナツミは心が落ち着くのだった。
間違っていない。自分は正しく占った。
憧れの人に嫌われてしまった。
憧れの人を傷付けてしまった。
皆に、占いはインチキだと思われた。
教室の一番後ろ、掃除用具入れの前の席は、地味で目立たないナツミが座っているだけで、独特の暗さが漂っていた。そんな隅っこ暮らしの自分に、唯一光が当たるのは『ささくれ占い』をしている時だった。
ナツミが『ささくれ占い』を初めてしたのは幼稚園の時だった。
――幼稚園の年中(四歳児)クラスのある日、お迎えに来た母親の人差し指にささくれを見付けて、小さな指で引っ張った。
「痛っ! ナツミ、やめて。ささくれは引っ張らずに、ハサミで切ると良いのよ。ほら、見て、こんなになっちゃう」
母親の人差し指の爪の
「ごめんなしゃい」
ナツミは、母親の指にささくれは
「……お母さん、何処かへ行っちゃうの?」
ナツミは母親が家を出て行く映像を視て、不安そうに見上げる。
「えっ、……そうか。ナツミには視えるのね」
母親が密かに考えていたことを、幼いナツミは察知している。
母親は自分の血統を思った。
「そんな訳ないじゃないの。ナツミは、お母さんの宝物。ずっと、一緒だよ。帰りにミスド買って帰ろうか」
明るく笑う母親だったが。
階下で父親が呼ぶ声がする。
「ナツミ、夕飯食べないのか? 冷めてしまうぞ」
ナツミは、涙を拭くと階段を下りて行った。
「どうかしたのか?」
父親は、カレーライスを頬張りながら、娘を観察した。帰宅してから自室に籠っていた娘が心配だった。
母親は、ナツミが幼稚園の時に家を出て行ってしまった。以来、父親と二人暮らしをしている。
「何でもない」
「何でもないことあるか。目が真っ赤だぞ」
異性の子供を育てるのは、大変だと思う。
特に思春期の娘は。
ナツミが小学校高学年の頃は、叔母に相談しながら、生理用品や下着等を準備してくれた。中学生の今は、毎日可愛い弁当を作って持たせてくれる。
大好きな父親だった。そんな父親を悲しませたくないが、明日からどうしたら良いのか分からなくなって、ナツミは、父親に今日の出来事を話した。
「私は間違っていた?」
「間違いではないが……」
「もう皆が怖くて学校に行けない」
ナツミは、テーブルの上で手を組み、その手を見るとはなしに眺めている。
父親は、腕組みをして何か考えていた。
「行きたくなければ、しばらく家に居ればいい。ただ、一つ言っておくね」
父親は、こんなことを言った。
占い師が視たものを、そのまま伝えてはいけないこともあるということ。
「それって、もしかして」
「ああ、そうだ。お母さんのことだ」
ナツミの母親は、占い師だった。
人に見えないものが視え、人に聞こえないものを聴いた。
当たると評判で、メディアにもよく取り上げられていた。
ある日、政界の大物の未来を占い、視えたままを話してしまった。関係各所からの嫌がらせや脅しは家庭にまで及び、母親は離婚を申し出ると行方を
当時、母親が何を
母親の失踪の理由を詳しく聞いたのは、今日が初めてだった。
「そっか。私、知らずにお母さんと同じ事をしてしまったんだね」
母親は、行方を眩ますことで幕引きしたが、自分は中学二年生。同じやり方は出来ないだろう。父親を一人残すことも、自分一人で生きて行くことも難しい。
「時間が解決してくれることもある。お母さんの時は、相手が大き過ぎたけど、ナツミの場合は大したことない。大丈夫だから、心配せずにリモート学習しなさい。幸い中間テストも先週、終わったことだし。明日、お父さんが担任に連絡しておく」
ナツミは、その後十日程を、リモート学習で過ごした。クラスの様子は、親友のサユリがSNSでちょこちょこ連絡してくれた。
なんと、あれから天野タスクの二股が白日の下に
ナツミは、複雑な気持ちだった。
謝ろうと思った。
自分の占いの所為で、タスクが学校で居場所を失くすのは嫌だった。
翌日から、ナツミは登校した。
タスクは、教室の隅っこ暮らしになっていた。ナツミとは反対側の隅、教室の一番後ろ、ゴミ箱の前の席だった。
ナツミは謝ろうと近付いたが、タスクにそっぽを向かれてしまった。
当然だと思う。黙って頭を下げた。
ナツミが頭を下げていると、始業のチャイムが鳴り、担任の愛野ユメコ先生が教室に入って来た。
「おはようございます。出席を取りま……」
ユメコ先生は教壇の上から、着席したナツミをガン見してから微笑んだ。
「酒向さん、お帰りなさい。戻って来られて良かったです。今回の不登校の発端は、貴女の『ささくれ占い』だったそうね。良かったら、後で、私も占ってもらえるかしら?」
ユメコ先生は、アラフォーで独身。
多分、結婚運に関してではなかろうかと、ナツミは予想した。
父親は、ナツミに占いをして欲しくないと言ったが、これは自分と母親を結ぶ強い絆。
占いをしないことは、考えられなかった。
放課後、ユメコ先生は、ナツミの元にやって来た。一学期の中間テストと期末テストの
「お願いします」
机を挟んで腰掛ける。
「ちょっと痛いですよ」
ナツミは、ユメコ先生の薬指のささくれを
「ぎゃっ!」
想定外に長く
ごめんなさいと心で呟きながら、しげしげと指先を見詰める。
綺麗に切り揃えられた爪、手入れされた指先。先生は占いをする為に、薬指にささくれを作って来たようだ。
「先生は、今、意中の方がいらっしゃいますね」
「あら、分かります?」
先生は少し嬉しそうだ。
「はい。そして、その方との未来ですが……」
これは、どういう事なのだろうか。
ナツミは戸惑った。
ありえないものが視えている。
これを告げるべきなのだろうか。
先生を傷付ける内容ではないのだが。
「えーっと、私と家族になるという……」
「おお! 良かったです」
先生は手を打ち鳴らした。
「どういうことですか?」
「ナツミさんのお父様とは、大学の先輩後輩でした。先日、ナツミさんが不登校になった際に、お話しする機会があって。お付き合いしている訳ではないのです。これから申し込もうかと」
先生は、グイグイ行くタイプのようだ。
父親はまだ知らないが、ナツミには、未来が視えてしまった。
「内緒にしておいてくださいね」
先生は片目を
母親が失踪して十年以上経つ。
父親は、ナツミの為だけに生きて来てくれた。幸せになっても良い頃合いだと思った。
その日が来るまで、内緒にしておこう。
ナツミが帰り支度をして昇降口まで来ると、タスクがいた。足元にスクールバッグを置いて、壁に寄り掛かり、腕を組んでいる。ユメコ先生の用事が済むのを待っていたらしい。
「顔、貸してくれる?」
タスクは、そんな言い方をした。
ついて行くと、そこは体育館の裏だった。
(これって、
不用意について来てしまったが、体育館の裏でボコられるというのは、お決まりの展開ではなかったか。自分もタスクにちゃんと謝りたかったので、声を掛けられたまでは、良かったのだが。
体育館の裏は、誰もいなかった。
学校の敷地は、フェンス越しに見える道路よりも二メートル程高いので、道路からの視線は
フェンスの内側に植えられている桜の木は、新緑の葉桜になっていた。
「この間は、ごめんなさい」
ナツミは開口一番
「何でお前が謝るんだ? 今回の事は、俺の
いつものタスクとは違う。一人称が「俺」だし、二人称が「お前」になっていて、全体的に言葉が荒い。
ナツミは見知らぬ人を前にしている気がした。
「恨まれているかと思った」
「恨んじゃいないが。俺の本性を知られたのは不味かった」
「……本性?」
タスクは自嘲気味に笑った。
「お前、今、びっくりしてるだろ?」
「え、ええ、まぁ」
「いつもの天野タスクと違う、って思っているだろう?」
ナツミは黙って
学校生活で温厚な優等生を演じているのは、内申点を考えての事。だが、本来の自分は粗暴で激しやすい人間だと言う。
「お前の占いの後、激昂しちまって、ヤバかった」
ナツミは、机を両手で叩いたタスクの姿を思い出した。
「二股も見破られたし」
「あの後、皆にバレたらしいけど、どうなったの?」
「二人には振られた」
タスクは両肩を
「本当にごめん。それで、皆に何か言われた?」
「自慢じゃないが、俺は取り
ナツミは、タスクが何故、こんな事を自分にぶっちゃけているのだろうと考えていた。
「お前には取り繕いも、優等生を演じるのも通じないって事が分かった。何でもお見通しだからな」
「私、占い師としての心構えが出来ていなかったね。何でも視えたものを言って良いという訳ではなかった。反省してる」
「じゃあ、約束しろ。俺に近付くな。俺も近付かない。何でもかんでも、分かっちまうんじゃ、やり難くて仕方ない」
「……タスク君は、これからも裏表のある人でやって行くつもりなんだ」
「悪いか?」
「悪くはない。君の生き方だから好きな様にすればいい。けど、そんなのいつまでも続かないと思う。自分も疲れてしまうし、いつか、化けの皮が
「……」
タスクは沈黙した。
フェンスの向こうを車が通り過ぎる音がする。
「約束は守るよ。じゃあ、頑張って」
ナツミは身を
「ま、待てよ」
「まだ、何か?」
振り返る視線は冷めている。
ナツミは、ずっとタスクに憧れてきたが、何だか、もうどうでも良い。
「待ってくれ。俺は、裏表なく生きて行けると思うか?」
「占ってあげようか。全部視えちゃうよ」
ナツミは、タスクに近付くと、差し出された右手の人差し指のささくれを
「痛っ! お前、思い切り毟っただろう」
タスクの抗議に答えずに、ナツミは出血する指先を凝視した。
「…… ……」
「何だよ、言えよ。言ってくれよ」
ナツミの沈黙にタスクは
「……さっきも言ったけど、占い師は視えたもの全てを話すのが良いとは限らないということ。だから、今言えるのは……」
「言えるのは?」
「君次第ということだけ」
「何だよ、それ」
「じゃあね」
タスクは何も言えずに立ち尽くしている。
黒髪を風が撫でていく。
憧れの人に
ナツミは足早に立ち去った。
吹き抜ける風に初夏の匂いがした。
ささくれ占い 時輪めぐる @kanariesku
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