猿夢(異聞)
藍田レプン
猿夢(異聞)
九州出身の30代男性、Xさんから聞いた話である。
「猿夢ってあるじゃないですか」
「ありますね。遊園地にあるようなお猿さん電車のようなものに乗って、順番に残虐な方法で殺されていくという」
「でもあの話、猿は出てきませんよね」
たしかに、そう言われれば猿は出てこない。出てくるのはあくまで遊園地にあるようなお猿さん電車で、運転士や車掌が猿だという描写は無い。乗客を残酷な方法で殺すのは小人であって、猿なら猿と書くだろう。
「僕の見た夢には、本当に猿が出てきました」
まだ彼が学生時代、九州の実家で暮らしていた時のことだという。
「夢を見ていました。舞台は実家のリビングで、家族全員がバラバラに切り裂かれて死んでいる夢で、ものすごくリアルでした。その家族を殺したのが、猿だったんです」
「猿」
「ニホンザルだと思うんですけど、僕本物の猿って動物園で見たことしかないし、元々猿にそこまで興味も無いのでわかりませんけど、猿です。その猿が包丁を持っていて」
顔は全く知らないおじさんでした。
「おじさん? 顔は人間だったんですか」
「はい、ディスマンってわかりますよね、あんな感じの頭が禿げかけた、眉毛の太いおじさんです。僕がディスマンを知ったのはこっち(関東)に来てからなので、その影響ではないと思うんですけど。人間のスケールの頭をそのまま猿に載せたようなアンバランスさで、それが余計不気味で、怖くて。悲鳴を上げて二階の自室の扉を開けようとしたところで」
目が覚めた。
「ああ夢か、怖かった。そりゃ夢だよな。あんなバケモノが現実にいたら」
いた。
布団を覗き込むようにして、包丁を持った人面猿が、いた。
「もうわけわかんなくて悲鳴上げました。そうしたら猿は怒ったような顔で部屋のドアを開けて、ダダダダダッて階段を駆け下りていく音が聞こえて」
Xさんは冷静さを取り戻そうと必死だった。さっきのあれは覚醒後の脳が見せた幻だろう。だってあんな猿、現実にいるわけが
ギャーーーーーッ!! と一階から母親の悲鳴が聞こえ、驚いてXさんはどうしたの、と大声で階下の母に問いながら、階段を駆け下りた。
玄関が開け放たれていて、家を出たすぐ前の道に包丁が落ちていた。
母は玄関の上がり框で、エプロンをつけたまま呆然と立ちすくんでいた。
「なに」
「猿」
「え」
「人の顔をした猿が、包丁持って、玄関開けて、猿が、出てって、包丁、そこに捨てて、ねえ、X」
あれ、なに。
それ以来夢に猿が出てくることはなかったが、上京した今でもXさんは寝る時は電気をつけたまま寝ているという。
「その後、ご家族に異変は」
「無かった、無いと思います。断定できないのは、実はその後猿とは全然関係ないんですけど、進路のことで家族と大喧嘩して、飛び出すようにこっち来ちゃったんですよ。僕の連絡先もだから家族には教えていませんし、今どうしているのかもわかりません。ただ、死んだりしたらさすがに警察が何かしらの手段で連絡くれるんじゃないでしょうか。だから、何もないと思いますよ」
Xさんの話を聞いた帰り道、そう言えば最近人頭蛇身の怪異譚も別の方から拝聴したことを思い出した。
人の顔をしているが、人ではないものを人は恐れる。
逆にのっぺらぼうやおちょなんさんのような、一般的に想像される人の顔をしていないが人に近いものも人は恐れる。
この現象を文化史学者の山内昶(ひさし)は社会人類学者リーチの『リーメン論』で説明している。
人間はモノとモノとの境界にあるモノに恐怖を感じる、という説だ。
Aと非Aというふたつの異なる属性を持ったモノが仮にあるとすれば、Aの要素も持ち非Aの要素も持つがどちらでもないもの、『A'』を人は恐怖、忌避する。
Aと非A、男と女。家族と他人。正統と異端。
私は立ち止まる。
私が怪異を求めるのは、A'を知りたいと願うのは、他ならぬ私自身が境界線上の、どちらでもありどちらでもないものだからなのではないだろうか。それは特別なもの、選ばれたものという優越的な意味ではない。一般の人々が怪異のように切り捨てたがる異質なA'だからではないのか。
私は……
ふと、下ろしていた右手に重さを感じた。
目をやると、そこには毛深い猿の手が私の手を掴んでいるのが見えて
すぐに、消えた。
猿夢(異聞) 藍田レプン @aida_repun
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