レプリカな人々

千羽稲穂

模造品な悪口

 前の席に座っている、彼女の髪先は整えられていた。まっすぐ一列に。誰も飛び出していない。頭部の頂上はエンジェルリングがかぶせられている。うっすらと鼻先をかすめるのは洗い立ての布団の香り。寝転がって髪に顔を埋めたくなる。くるりと彼女は回転して、私を見た。

「休み時間になったよぉ。お昼にしよぉ」

 丸い大きな瞳がぱちぱちと瞬く。睫も長くてふさふさで、でもマスカラをつけているような不自然さはない。透明感あふれる肌で、頬は膨らみすぎず、痩せすぎもしない。あどけなさがある彼女に、ふっと心の内で失笑してしまう。

「おーい。チャイムなったよぉ。お腹空いてない?」

 未だに私が彼女の友達なことに、夢を見ている心地になる。

 ちらちらと彼女の手が目の前を過っていた。

 うん。

 私はしぶしぶ頭を縦に振った。私の髪が視界に入る。切りそろえられていない長い前髪。カーテンのような視界の端に不揃いな私の髪先が流れている。茶色に変色して傷んでいる。埃が巻き取られているから、指先でつまみあげた

。そうしたら、髪先が枝になって分かれていた。一つ、つまみあげると、違う髪も視界に入る。ささくれだつ私の髪に頭をぐっともっと項垂れる。爪先で枝毛を切り取った。彼女に気取られないように教室に放った。

 ふと視線を前に戻すと、お弁当を私の机にだしたまま私を見つめていた。

「どうしたの?」

 ううん。

 その何一つ傷の入っていない眼に、若干罪の意識が駆り立たせられる。

 ううん。

 もう一度、私は彼女に言った。

「何かあったらいくらでも聴くからね」

 と、言って彼女はきっと、本気で何時間でも何十時間でも私に付き合ってくれる。その言葉に偽りがないことは知っていた。

 でも、私は言わない。だって、言ったらもっと自分が惨めになるから。

 私はいつものように話し始めた。

 休み時間中に人の席に断りなく座る人っているじゃん? あれって、失礼だよね。もともとその人のものなのに、自分たちが居心地よくいるために人の席を無断で借りて、団体でつるんでだべってんの。

 私の言葉からでるのはいつだって人の悪口だ。なんでもかんでもイライラ、イライラ。言葉の端をひっつかんで、許せないことを言ってしまう。

「うん、うん」

 彼女はそれを聴いてくれる。

 なんで、こんな良い子が私の友達なんだろう。

 あー、イライラする。親がさ、盆栽が趣味なんだけど、庭に並べて剪定してくんだよね。ぱちぱち、ぱちぱち。何がいいんだか。

「うん」

 あ、そうそう。私さ、それ言ったら、人には人の価値観があるよって。そんなん分かってるっての。偉そうに。大人の正論ふりかざしやがって。子どもだからって舐めてんだよ。自分は、セクハラ発言してたんじゃんっての。人の価値観があるなら、人の身体のこと『太ってる』だの言うなっての。はあ? って感じ。

「うーん、それは酷いね」

 彼女が言いよどんで、私は口を塞ぐ。セクシャリティの話になると彼女の眉間にしわがよる。あまりこういったハラスメントの話になると気乗りしないらしい。

 無垢な彼女らしい。

 彼女の口から、こういった悪い口が動いたことはない。だから私はいつも、これ面白い? と訊いてしまう。そっけなく、「ふふ、あなたと喋るのは楽しいよお」と百点満点の回答を答える。



 いつだって、彼女はそうだ。廊下で遊んでいた男子が、窓にぶつかって怪我をしたらすぐに駆け寄って大丈夫? 

と声を与える。見え見えの見栄を、「すごい。やっぱあなたは、天才」と手を叩いて賞賛する。しかも、それが嘘に見えないことくらい誰もが分かるくらいに人が出来ている。クラスでやっかみ者な私なんかも、席が近いし、みんなと仲良くしたいからって、偏見もなくこうして一緒にいる。会話することも、触ることも嫌っている人もいるってのに。私は私の話しかできないのに。

 私さ、めっちゃ頑張ったのに、どうしてこんなに言われんだろうね。

 また、いつもそうしてマイナスになる言動をしてしまう。舌打ちをして、早く決めろっての、と言っていたときも彼女は、今日はこんなの持ってきたの、とお菓子をくれる。「はい」とクッキーを持ってきた。

だから女の子の評判は上々。

「このあいだね、私鞄に水筒いれて、ぶちまけちゃったんだけど、あの子ね『大丈夫大丈夫ぅ』って助けてくれて」

「なんというか余裕あるお姉さんって感じで」

「間違えたときとかほんわか返してくれるというか」

「やりたいことをそっと先回りしてやってくれるってね」

 男の子の間は知らないけれど、何回か告白されているところを見ると、そちらの評判も高い。

 私が、彼女と一緒にいるのは、彼女の善性のおこぼれをもらっているだけ。クラスから浮いている、口の悪い私はそうしないとクラスの中でもっとつまはじきにされる。空気なんてものは、身体は反応しないけれど、触覚でわかるのだ。

 私が嫌われていることくらい、知っているのだ。

 人には人の価値観があるんだよ、だから、それを認めなきゃ、と正論がぶっささっている。でも、私は言ってしまうのだ。理解できない、と。



 家庭科の授業でお味噌汁を作っていた。私は、はじき者なので切ったり煮込んだりといった花形な作業よりは、洗い物を一生していた。彼女は他のグループメンバーを交えてわいわいと楽しそうに作っている。

「豆腐は、包丁を通すだけで良いんだよ」

 そんなの常識。

 私は心の内で毒づく。

「いちょう切りは、半分にして半分にして、側面から」

 なんで得意げなの、もしかして馬鹿にしてんの。

「お味噌は、お玉に入れて、投入」

 ちょっと味薄いかも、とか、ほらみんな知ってんじゃん。 目線を上げると、彼女は目を細めた。

「しない?」

 お味噌とお玉を差し出してきた。

 グループメンバーはやな顔をするのに、彼女は至って普通で。

 言われたから、やるわ。

 私はつっけんどんに受け取ってしまう。それも嫌なのか、他のメンバーがうわぁ、と顔を苦々しく顔を曇らせる。すると、「何?」「あんまそんなに人の顔じろじろ見ない方が良いよ」と指摘する。「私は良いけど、見られて嫌な人もいるし、もうちょっと気取られないように見なよ」彼女には聞こえないくらいの声で。

 それもそうかもしれない。これも正論、だ。

 お玉をお鍋にいれると、一気に濁った。埃がわきたつようにお湯に味噌が膨張していく。他のメンバーと同じく、私もお玉に口をつける。少しだけ濃い口になってしまった。他メンバーも味見をするためによそう、が「直接は危ない」なんて言ったので、私がつけた場所は拭き取って、小皿によそった。

「濃ッ。もしかして、家でお手伝いしてないの?」

 私を見つめる複数の瞳に言い返すことなんてできなかった。その中でも彼女の瞳は、正しい輝きを灯して、私をのぞき込んでいた。


 次の授業で先生が、宿題だったプリントを後ろの席から前の席に回してくれ、と指示があった。私は後ろからくるのを待っていただけだったが、ぐさっと、突然背中に何かが刺さる。のけぞりながら、後ろを向くとコンパスを握りしめた男の子がいた。プリントを押し付ける。口の端の笑みが消せていない。

 肩を叩くとかあるのに、それだけ私に触れるのが嫌なのか。

 ため息を押し殺して、プリントを受け取って、前を向いた。と、色がない瞳が私の机の上で待っていた。何かを見たように、涙目になって私をまっすぐに見つめている。彼女はプリントを受け取って、ちょいと手を振った。耳を近づける。


 みんな意味分かんないよね。こんなに馬鹿にして馬鹿にされて繰り返してやんの。自分のふりみて他人のこと言えっての。

  


 彼女が、そんな力強い悪を放ったのが初めてで、しばらく固まってしまった。すぐに彼女は前を向いたのに、私はさきほどのシーンで固まる。言葉をなぞる。私と同じ言葉を、彼女は言っていなかったか。それは、私と一緒にいたから?

 彼女の綺麗なエンジェルリングの下に、長くしなやかな髪が切りそろえられている。一本一本追っていくと、一本だけ枝毛になっていた。その一本を爪先でつまみあげる。筆箱に入っていたはさみを手に取り、先っぽだけ切って、教室にそっと払った。

 彼女の美しい後ろ姿を今まで以上にゆったりと眺める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レプリカな人々 千羽稲穂 @inaho_rice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説