心にできたささくれ

杉野みくや

心にできたささくれ

 北風がぴゅうっと吹く中、コートにマフラー、手袋に身を包み、ポケットに突っ込んだカイロで暖をとる。

 今日は3月に似つかわしくない大寒波が訪れていた。


「っ~、さっむ」


 あくびを噛み殺し、そわそわしながら見慣れた道をゆっくり歩いて行く。

 そろそろ来る頃合いだろう。


「おっはよう~!」


 予感通り、彼女は背後から声をかけてきた。


「ん、はよう」

「朝から素っ気ないね~和泉は」

「うるせえ。松下こそ、よく朝からそんな元気出せるな」


 眠い頭を少しだけフル稼働させ、皮肉混じりの反撃に出る。松下は「違う違う。朝だからこそだよ!」と返してきたが、正直理解に苦しむ。


「ううっ、寒いね~今日は」

「ほんとに。手袋とかしまわなくて良かった」

「お!和泉もそう思いますか~。珍しく気が合うね」

「たしかに、珍しいかもな」


 そう言って、マフラーを口元まで引き上げた。そうしたのは、ひときわ強い風が顔にぶつかったからであって、決して緩みかけた頬を隠すためとかではない。


 なんとなく、ポケットからスマホを取り出すと、友達からチャットが届いていた。確認しようと画面を何回かタップしたが、アプリのアイコンは全く反応してくれない。

 今日はどうやら手袋との相性が悪いみたいだ。

 仕方なく手袋を外そうとしたそのとき、指先に電流のようなものが走った。


「痛っ」


 思わず顔をしかめる。


「どうしたの?」

「ささくれが手袋に引っかかっただけ」

「大丈夫?」

「へーき。これくらい、たいしたことないよ」


 そう言って手をひらひらと振ってみせたが、松下は目にもくれちゃいなかった。代わりに、リュックを前に背負うと、中から小さなポーチを取り出した。


「はい、絆創膏」

「お、おう」


 そんな大げさな、と思いながらも素直に受け取る。


「あと、手出して」

「?」


 聞き返すよりも先に手を出すと、「ひっくり返して」と追加注文。おとなしく手の甲を上に向けると、松下は手に持ったチューブを軽く握った。


「何、これ?」

「いつも使ってるハンドクリーム。まだ乾燥してるんだから、ちゃんとケアしてあげなきゃ」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなの。はい、あとはまんべんなく塗り広げて」


 チューブの蓋を閉めながら、ニカッと満面の花を咲かせて見せる。


 出た。その笑顔。

 胸にできた小さなささくれを的確に引っかけては、ギュッと引っ張って苦しめる。

 この痛みの正体がなんなのか、よく分からない。


「なんか、ちょっとベトベトするな」

「ベトベトって。もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないー?」

「はいはい。悪うございました」


 平謝りしてから、ほんの少しだけ顔色をうかがう。この程度で嫌うような人ではないと分かってはいるものの、どうにも気になってしまう。

 うん、大丈夫みたいだ。


 胸の内でそっと、心を撫で下ろす。心にできたささくれはまだヒリヒリしていた。

 街路樹には桜の芽がつきはじめ、すずめの兄弟がのどかに歌を歌う。

 遠くから聞こえる踏切の音をBGMに、松下の愚痴混じりの話を聞きながら今日も学校を目指す。


 なんでもないようなこの時間がずっと続けばいいのに。


 ふいにそう思った自分をごまかすように手袋をはめ直す。

 桜の香りがふんわりと香ってきた。

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心にできたささくれ 杉野みくや @yakumi_maru

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