天使のささくれ

木古おうみ

天使のささくれ

 飛田ひださんの、はみ出したマニキュアがこびりついた、指のささくれが好きだった。


 勝手に親近感を覚えるから。

 爪が傷みやすいからと嘯いて、いつも深爪でトップコートすら塗らない私と、不器用でもちゃんと爪を磨いている飛田さんは違うとわかっているけど。



 飛田さんとは、余り物を引き取るように決まった選挙管理委員会の仕事で週に二回会う。

 生徒会選挙が終わるまでの一ヶ月間だけの業務だ。その時間もただ職員室のコピー機から吐き出された生温かい大量の紙を仕分けるだけ。特別な話をする訳じゃない。


 でも、私はその時間が好きだった。飛田さんのささくれから微かに血が滲んでいるのを見て、彼女も私と同じ逸れ者だと思う。


 みんなと合わないのは、尖っていて特別でカッコいいということじゃない。少しずれているだけだ。


 みんなが笑わない先生のギャグで、私だけ笑う。

 みんなが退屈する音楽鑑賞の授業で、私だけ聴き入っている。

 みんなが示し合わせたようにポロシャツを着てくる真夏日、私だけ冬用のブレザーのまま登校する。


 二年生で飛田さんと同じクラスになってから、ずれているのは私だけじゃなくなった。

 こんなことで親近感を覚えられるのは不快だろうから、あまり踏み込まないようにしていた。


 それなのに、飛田さんと偶々同じ委員会に入れた私は、自分の決めたルールを破って、話すきっかけを作ろうとしてしまった。



 偶然持っていた体で、私は飛田さんに絆創膏を渡した。本当は登校前にコンビニで買ったのに。

 飛田さんは「ありがとう、用意いいんだね」と笑う。私は練習した通りに「私もささくれできやすいんだ」と答える。

 どんな返事が来るかいくつものパターンを想定していたのに、飛田さんの言った言葉は予想外のものだった。


「よかった。じゃあ、お互いもうすぐだね」

 私は頭が真っ白になり、他の女の子たちに話しかけられたときのように、しどろもどろで答えた。

「何が?」

「脱皮」


 夕陽が窓枠を縁取り、床に赤い川が流れているような教室で彼女は当然のように言った。

「これで一人前になれるよ。高校二年で、って遅いよね。もう一生このままかと思ったもん」


 飛田さんは冗談どころか、志望校の推薦を受けたような顔で息をついた。

「ただのささくれかと思ったけど、引っ張ったら手首の皮までぶよぶよしたから、もうすぐ剥がせそう。早くしたいけど今やったら痛いもんね。みんな本当にこんなことやってるのかな。信じられない」


 私は笑うべきか悩んで、結局頰を引き攣らせただけだった。飛田さんは夕陽に指を透かす。その姿が嬉しそうで、私は何とか声を絞り出した。

「脱皮は……いつ頃?」

「生徒会選挙が終わる頃にはできそう。絆創膏、ありがとうね」

 彼女の薬指に巻かれた絆創膏が光を受けて、指輪のように輝いていた。



 それから、委員会が終わるまで、私はなるべくその話に触れないよう普通に過ごした。飛田さんも変わらず、マニキュアのはみ出した指にささくれを作っていた。

 選挙が終わって、私たちが会う口実をなくした頃、飛田さんは学校を二日休んだ。



 それからの飛田さんは違った。

 みんなと一緒に先生のギャグを無視する。音楽鑑賞の授業で寝ている。衣替えの前でも寒い日にはちゃんとカーディガンを着てくる。


 脱皮が終わったのだろうと思った。私にはまだその日が来ない。いつか同じように私の指にもささくれができるのかと考える。


 飛田さんの指は綺麗で、マニキュアもはみ出していない。

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