【KAC20244】シスターと春の夕暮れ

天音伽

シスターと春の夕暮れ

 夏……の少し前。

 新卒で入社した会社は自分の思っていたのとはずいぶん違い、

「まあ、新卒なんてそんなもんじゃねぇの」

 なんて同期は言葉を掛けてくれるものの、僕の気持ちとしては随分ささくれ立っていた。


 入社したのは、小規模の印刷の会社だった。

 オンデマンド印刷で少部数からなんでも刷れます。貴方の会社や仕事にきっとお役に立てます。

 元々小説家を志望していた事もあって、印刷には興味があった。

 

 印刷は、人に想いを託すこと。


 そんな風に大学の教授が言っていたのもあって、面白そうだと思い入社。

 だが、私を待っていたのは印刷とは程遠い、よろず配達の仕事だった。

「あー。今印刷なんて仕事来ないし、儲からないからねぇ。だから配達の仕事してるワケ」

 初日に社長は、会社の駐車場に止めてあったミニバンの前でそう言った。

「え……じゃあ、なんで私を?」

「そりゃあ、君、さっき会社の中見たでしょ。ジジババばっか。だからさ」

 ぽんぽん、とボンネットを社長は叩く。「安心して運転できる若者が欲しかったワケ。だけど大丈夫、印刷の仕事もちゃーんと教えるからさ」

 そういう社長だったが、今のところ三カ月、印刷のいの字も携われていない。

 社長が『ジジババ』と言った人達はその実印刷に関しては熟練の達人で、ただでさえ少ない印刷物、サクサクと仕上げてしまう事がほとんど。

 そんな中でも教えを請おうと横に付いて「教えてください!」と言ってはみるのだが、

「……ほな、上質紙90kg、プリンタに入れといてもらおうか」

 くらいしか無く、社長からは「君、配達行ってもろてええか!?」とずっと言われる始末。

 以前会社に帰ってきた時、その「教えてください!」と私が言ったおじさんと社長が話しているのを見たが、おそらく「彼に仕事を教えなくていいんですか」と言ってくれたのだろう。

「いやいや、彼は配達の為に雇ったんや。第一印刷の仕事は君らが一番できるやろ」

 と言っているのを聞いた事がある。

 確かに配達の仕事は大手通販サイトからの委託業務で、ひっきりなしにやってくる。

 だけど、そんな言い方……と思ったが、入った俺がバカだったのか。

 辞めてやる、とも思ったけど、就職難、キャリアの不足、なんて言葉が僕の心を削る。

 おまけに就職を喜んでくれた両親を悲しませる訳にもいかず。


 そんな訳で、


「……疲れたな」


 配達が終わって夕暮れ。

 社に戻る気にもならず、路肩に車を止めて、たまたま見つけた公園で空を仰いでいた。

 やりたい事がやれない苦しさ、配達なんて……と言えば本職の人には失礼かもしれないが、会社的には体よく雑務を押し付けられているだけの辛さ。

「くそっ」

 足元に転がっていた石ころを思いっきり蹴とばす。石ころはカーン!といい音を立てて、ブランコの柱にぶつかり、反射し、

「あ、やべ」

 少し離れた席に座っていた女性の足に当たってしまった。

「すみません!!」

 慌てて駆け寄るが、小さな声で右足の足首の辺りを押さえながら「いたたたた……」と漏らす女性に、軽くパニックになってしまう。

「えーっと、救急車、病院、警察……」

 取り出したスマホの上を指が滑る。そんな私の手を掴んだ小さな掌の持ち主は、

「あ、大丈夫ですよ。びっくりしただけなので……」

 修道服に身を包んだ、小柄な女性だった。



「……そんな、申し訳ない」

「申し訳ないのはこちらです。怪我を負わせてしまったのですから」

 数分の後。

 ミニバンの助手席には、修道服の女性が座っていた。

 自分で帰れる、と言う彼女を無理矢理送ります、と言ったのは僕である。

 なんだか誘拐みたいなマネをしてしまったな、と思ったのはその次の日の事なので、この時の僕にそれを思う余地は無い。

「教会まで送らせていただければいいですか?」

「ええ。ありがとうございます。……あ、私、広瀬と言います。一応カトリックの教会でシスターやってます」

「……自分は小梅、小梅博人と言います」

「小梅さんですか。かわいらしいお名前ですね……あ、男の人に失礼だったでしょうか」

 からっ、と笑って一転、ころっと険しい顔になる彼女に、僕は笑ってしまう。

「いえ。大丈夫ですよ。よく言われてますので……。広瀬さんは、どうして公園に?」

 シスターと言えば、常に教会で祈りを捧げているイメージがあった。そんな僕の心を知ってか知らずか、広瀬さんはこう言う。

「毎日教会に、親御さんが夜前まで働いている子供達が来るんです。そんな子供達を、公園で遊ばせて、親御さんが迎えに来るまで待つのがいつもの事でして」

「なんだか、イメージと違うような……」

「ふふ。そうですか?」

 にっこり笑う広瀬さんに、自分が運転中である事を感謝した。正面から見たらおそらく心臓が止まっている。

「そういう小梅さんは?なんだか随分、荒れていたような気がしましたけど」

「……あー……」

 これが本職の力……なのか。そう尋ねる広瀬さんに、誤魔化したり、嘘をついたり、そんな事は出来ないな、と心が告げている。

 

「……なるほど、ですね」

 結局全てを話してしまった私に、広瀬さんは頷く。

「思ってた仕事と違う。だから辞めたい。幼稚な考えだと思うんですけどね」

「そんな事は無いと思います。今のお話を聞かせて頂いて、私は『そうあっても仕方ないな』と思いました」

 ちらと横を見ると、広瀬さんはとても思いつめた顔で考えている。

 まるで、自分の事のように。

「あ、すいません。……なんだか、暗い話をしてしまって」

「いいえ。お話してくださいと言ったのは私ですから。……正直なところ、私もシスターになって、まさか子供の世話をするなんて思ってもみませんでした」

 訥々と、広瀬さんは言葉を並べていく。まるで自分の気持ちを整理するように。

「最初の頃は……自由気ままに走り回って、人にいたずらしたり暴れ回ったり……そんな子供達の面倒を見るのは嫌ですし、大変でした。私はこんな事をしたくてシスターになったんじゃない、と」

「大変そう、ですもんね」

「そうですね。私はどちらかと言うと神学、学問を収めたくてシスターになった訳ですから、本当に真逆の事をさせられたんです。でも、シスターって辞められないんですよね」

 からからと広瀬さんは笑う。笑い声が綺麗な女の人だ。

「だから小梅さんの気持ちもわかります。会社は辞められますから辞めても良いと思いますし。でも」

「でも?」

 車が教会に着いた。

「……良ければ、もう少しだけ、お話していきませんか?」


 通された小さな部屋。

「すみませんね。ミサの準備室くらいしか空き部屋が無くて」

「はあ……」

 教会は小さな平屋建てで、お香、だろうか。不思議な匂いが辺りに漂っている。

 広瀬さんはそんな教会の脇の通路に私を通すと、そこには小さな部屋の入り口があった。

「少し、待っていてください」

 席に座って、彼女を待つ。SMSで社長からの『随分遅いな』と言うメッセージに「道が混んでまして」などと返していると、広瀬さんが戻ってきた。

 手にはクッキーの空き缶。

「……これは?」

「お手紙です。子供達の」

 空き缶の中には色とりどりの紙と色鉛筆で綴られた手紙が入っていた。手に取るのもなんだか申し訳ないような気がしたので、缶の上から眺めていると、広瀬さんが缶から一通の手紙を取り出す。

「ほら、これ。文字を書くのが難しい子供さんだったんですけど、書いてくれたんです。ありがとう、って」

「……」

 やべ、なんだか泣きそうだ。

「最初は望まない仕事でした。でも、その仕事にはその仕事なりの意味があると思うんです。だから、頑張ろうって。単純なんですかね、私」

 にっこり微笑む彼女の顔に、夕暮れの光が差し込む。

 その光景が美しくて、僕には、

「……いえ。素晴らしいと思います」

 そう、返すしかなかった。

「だから今、つまらない仕事だ、意に沿わない仕事だ……そう思っていても、そこにはきちんと意味があるはずなんです。もう少し頑張ってみてもいいかも、しれませんね」

 広瀬さんはそう言って、ぐっと私の手を掴む。

 彼女の手の暖かさに、胸のささくれだったものが、静かに抜けていくのを感じた。


「よろしければまたお話に来てください。いつでも待ってます」

 そういう広瀬さんに、僕は何をトチ狂ったのか、

「あの……次は教会じゃなくて、ご飯でも!」

「……あー……。お誘いは嬉しいのですが、シスターの門限は早いので」

 勇気を出した言葉も、広瀬さんの申し訳なさそうな顔で撃沈してしまう。

 それでも、帰りの車の中で、僕の気持ちは穏やかだった。

「さて」

 車の時刻表示は19時。予定よりずいぶんオーバーしてしまっている。

 駐車場に車を入れ、足早に会社の廊下を歩く。すると、事務室の方から社長の声が漏れてきた。

「遅いな。あいつ、辞めてもうたんちゃうやろな」

「……やはり、印刷したいと言って入ってきたモノですから、理想と現実に……」

「せやろか。せやろな……」

 こっそりと、事務室のドアの隙間から覗いてみる。さぞ社長は苦い顔をしているものかと思ったが、なんだかとても心配している顔をしている。

「言うて配送無けりゃうちも回らんからな。大切な仕事任せたんやからええやろ、と勝手に思ってたけど、まあだまし討ちみたいな事、してもうたかもな……」

「彼がいるお陰で我々が印刷の仕事に専念できてますからね」

 工場の人達がうんうん、と頷いている。

『そこにはきちんと意味があるはずなんです』

 広瀬さんの言葉が脳裏を過ぎる。

 意味、か。

「社長。流行り病も落ち着いてきて、突発的な印刷の仕事も増えてきてます。そろそろ彼にも」

「せやな……。明日からちょこちょこ教えてやってくれ。まだまだ配送の荷物減らす訳にはいかんけど、隙間時間見て、やな」

 

 傍から見れば、騙されて会社に入れられて、体よく仕事を押し付けられただけかもしれない。

 だけど、今までの三カ月間、「彼がいるお陰で」と工場の人達が言ってくれたおかげで、なんだか救われた気がした。

 もう少し頑張ろう。そして、広瀬さんにまたいい報告が出来るようにしよう。


「ただいま戻りました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20244】シスターと春の夕暮れ 天音伽 @togi0215

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ