本編❷ 生と死の狭間


 僕たちは道を誤り、青木ヶ原の深奥へと迷い込んでしまった。百合子が枝に巻いた赤いテープは、跡形もなく消えていた。樹海の息吹が、僕たちを嘲笑うようにざわめいた。

 

 突如、青白い光が立ち込める鍾乳洞が現れた。それは、地の底からの招待状のように、僕たちの前に立ちはだかった。滑りやすい苔が、足元を不安定にさせた。


 怖いもの見たさで洞窟の入り口に立ち尽くし、一瞬、息を呑んだ。篝火が揺らぐ階段が見えたが、その先には謎が待ち受けていた。未知なる恐怖が待ち受けているような不安に駆られた。


「さあ、最後まで行こう」


 僕の声に誘われるように、自分を奮い立たせ、仲間たちは心霊スポットのような妖しい光が立ち込める洞窟の中へと進んだ。


 暗闇の中、氷柱がチリンチリンと音を立てながら天井から伸び、石筍が地面からヌルっと顔を覗かせていた。足元にはゴツゴツとした溶岩の塊が転がっていた。洞窟内は、人間の手によるものとは思えない、美しくも不気味な地下宮殿のようだった。


 薄暗くて、上から僕の頬にひんやりとした雫がポトリと滴り落ちてきた。漂う空気は冷たく、湿度が高く、壁からは水滴が足元に漏れていた。緑の目を光らせる蝙蝠が天井にぶら下がり、「キィキィ」と鳴き叫び、その声が洞窟内に反響した。


「あれは、何かしら?」


 百合子が首を傾げながら叫んだ。


 その視線の先には、蝋燭の灯りが不規則に揺れる怪奇な光景が広がっていた。それは、静寂を打ち破るように祀られた、まるで死者の魂が宿ったかのような威厳のある軍神の姿だった。


 そこには、真っ赤な血のようなものがへばりついている一方で、黒光りがする鎧と兜を身に着ける武士が鎮座していた。


 暗闇の中で、兜の目は虚空を見つめ、かつての栄光と悲劇を物語りながら、魂の抜け殻のように佇んでいた。しかし、不気味な輝きを放ち続けており、今にも咆哮をあげ、襲ってくる雰囲気を漂わせていた。僕らはその鎧武者に威嚇され、呆然となり身動きができなかった。


 壁には、「関ヶ原の恨みつらみ、怨。家康許さぬぞ。慶長五年九月二十日」と彫り刻んだ赤くただれた文字が残されていた。その文字は、かつての軍神の怨念を感じさせ、僕たちの心に深い恐怖を植え付けた。


「あれ、目が赤く光らなかった?」


 優奈が心配そうに言葉を漏らした。


「なんかの見間違いだよ」


 百合子が作り笑いのような表情を浮かべながら、優奈をたしなめた。しかし、その声には震えがあった。

 歴史好きでひょうきんな亨治が、彼女たちの心を和らげようとして、その文字を覗きこみ、兜をそっと撫でながら口を開いた。


「これは、本当に関ヶ原の戦いで使われたものなのかな?」


 亨治が小さな声でつぶやいた。


 その声は洞窟の中でこだまし、不気味な雰囲気を増幅させた。そして、ザクザクと得体の知れない魔物が忍び寄る足音が聞こえた。皆で顔を見合わせ、すぐにでもその場を離れたくなった。


 突然、壁に彫り刻まれた文字から血が流れ出し、不気味な妖しい光を放った。この地下宮殿は、ただの飾り物ではなかった。ここには、歴史と怨念が交錯し、生者と死者の境界が曖昧になっていた。思わず、僕たちは亨治の話に耳を傾けた。


 関ヶ原というのは、豊臣と家康の天下分け目の決戦の場。戦いが始まったのは、九月十五日。ならば、五日間逃げ延びたが、落ち武者狩りで亡くなった武士をこの地に住む人々が時代を越えて弔ってきたのかもしれない。亨治がそう教えてくれた。


 入り口のあった後ろを振り返ると、篝火が消えかかっていた。僕たちは篝火を頼りにして、さらに奥へと進むしかなかった。人が通り抜けられる行き止まりには、波風のない静まり返るエメラルドグリーンの地中湖が待ち受けていた。


 突然、僕たちの行く手を阻むように、「許さぬぞ」という唸り声が聞こえてきた。それは、人間の声ではなく、何か別の存在から発せられたものだった。僕たちは、その叫びを聞いて身震いが止まらなかった。


「何の声、今の聞こえたでしょう?」


 優奈がかぼそい声で呟いた。


 彼女の声は、洞窟の中でこだまし、さらに恐怖を助長させた。僕たちは、壁から交錯する反響の方角に目を向けた。


 そして、その瞬間、信じられない存在を目の当たりにした。先ほどの落ち武者が生きているかのように、鎧兜の姿のまま追いかけてきたのだ。武者が立ちすくむ湖面には霊魂の蛍火が飛び交っていた。


 沈黙の中、突如として兜から漏れる低い咆哮が地響きのように響き渡り、鎧は生きて動きだすかのようにグラグラと震えた。僕らはその場に凍りつき、鎧武者の冷酷な視線に身の毛がよだった。


 周囲の空気が一変し、死の予感が漂う中、男はゆっくりとその剣を抜き、我々に向けて一歩一歩近づいてきた。その目は、もはや人間のものではなく、深淵からの呼び声のように、我々の魂をも引き裂こうとする恐ろしい力を秘めていた。


 それは、やはり関ヶ原の戦いで命を落とした武者の亡霊だった。男は、僕たちを睨みつけて怒り狂い、関ヶ原の恨みを晴らすかのように、「眠っているところを起こすな」と叫んできた。


 突然、亡霊の叫びに誘い出されたかのように、ゴロゴロと雷が鳴り始め、その音が徐々に大きくなり、最後には耳をつんざくような轟音となって洞窟中に響き渡った。天井からはドサッ、ドサッという重い音と共に大きな岩が次々と崩落してきた。


「逃げろ!」


 僕の心臓は激しく鼓動し、恐怖に満ちた叫びが洞窟の中に響き渡った。僕たちは一瞬で立ち上がり、命がけで洞窟から脱出しようとした。その瞬間、僕ら四人の間には仲間としての絆と生き抜くんだという意志が芽生え、ひとつになった。


 その亡霊の影は、僕らの魂に深く刻まれ、顔は青白く、目には涙が浮かんでいた。息をするのも忘れるほどの恐怖。洞窟の出口へと導く光が見えたとき、僕たちは振り返ることなく、ただ前へと進むしかなかった。


 息を切らせながら、出口を目指した。洞内がさらに狭くなり、篝火の明かりは弱まりつつあった。けれど、まるで奇跡が起こったかのように、前方に広がる明るい空間が見えてきた。そう、僕たちは命びろいしたのだ。


 現代から遠くに忘れ去られた青木ヶ原の樹海。そこは都市伝説の舞台ではなく、生死をかけた恐怖の試練の場だった。僕たちは、亡霊の呪縛と切ない想いを胸に、禁断の地の深奥へと立ち入ってしまったのだ。


 風は僕たち四人の安堵の声を運び、湖畔からは不気味な囁きが聞こえてくる。「もう二度と聖地で悪ふざけはするな」と。今は亡き先人たちの教訓となる言葉が僕たちの心に刻まれた。


 この経験は、富士山麓の人々により、今でも永遠に語り継がれる運命にある。そして、忘れてはいけないことがある。

 先人たちに敬意を払わなければ、天罰が下ることを。肝に銘じようよ。「怖いもの見たも、ほどほどにしよう」と。


 ――――〈完〉――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「禁断の聖地」青木ヶ原に潜む落ち武者の謎 神崎 小太郎 @yoshi1449

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画