第3話

 もう彼女の声も思い出せない。

 だが、それでも彼女に会いたいという想いは変わることがなかった。

 


 彼女を失い、五十年を経た今、将司しょうじは自分の命がもう長くないと悟った。

 最後に、彼女と旅をしたこの宿をもう一度訪れたいと思った。


 来てみれば、建物こそ変わっていたが、周りの景色は五十年前とひとつも変わっていなかった。

 夕食後、部屋の窓から外の景色を懐かしんで見ていたとき、炎を揺らめかせながら山道を練り歩く一行を目にしたのだ。



 狐面を被った彼ら。

 狐は人を化かすという。

 だか、構わない。

 大いに化かしてくれ。


 ◇ ◇ ◇

 

 花嫁の手を取る将司の肩に、付添人たちが紋付の羽織をあてがった。


「私にもその面はないのだろうか? 私はもう年老いて、彼女には似つかわしくない」


 将司の言葉に、仲人がどこからか狐面を取り出し手渡した。

 将司がそれで顔を覆うと、あろうことか目の前の彼女の顔がくっきりと見えたのだ。


 つぶらな瞳、通った鼻筋、白い肌に紅をさした薄い唇。

 昔愛した彼女の姿そのものであった。

 将司の目から一粒の涙が零れた。

 彼女の目に映る自分の姿も、きっと彼女の知る若い頃の自分なのだろう、と思った。


「さあ、行きましょう」


 仲人の言葉に、将司は彼女の手を取り共に歩き出した。

 宿泊客の盛大な拍手に見送られながら。


 ◇ ◇ ◇



 翌朝、宿の一室で、老いた男が息絶えていた――。



      〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狐の嫁入り 佐藤 楓 @erdbeere2023

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

大声禁止

★24 ホラー 完結済 5話