魔女を火あぶりにしないために

川獺右端

魔女を火あぶりにしないために

1


 フランツ親方は魔女の腰紐を引いて、処刑場に入っていった。

 魔女は若い貴族の娘で、あちこちに酷いあざがあり、顔が腫れ、片目がふさがりかけていた。

 足を引きずるように歩いている事から、伸ばし台の拷問に掛けられたのだな、と、フランツ親方には解った。

 拷問にフランツ親方は立ち会わない。事件の拷問は警吏の役目であるし、魔女の拷問は最近作られた審問委員会の仕事なので、関わらない。

 首切り役人たるフランツ親方の仕事は、処刑によって咎人に罪を贖(つぐな)わせる事で、捜査ではない。あまりに酷い冤罪の疑いがある場合は、処刑人の誇りにかけて、刑場から差し戻す事も出来るが、担当した役人の面子がつぶれるので積極的には行使しない。

 魔女裁判にいたっては、魔女であるのか、そうで無いのかは、宗教家では無いフランツ親方には解らない事だ。


 広場には沢山の人々が集まっていた。

 熱狂的というよりは、困惑しているようなそんな雰囲気だった。

 ニュルンベルグで魔女が火あぶりにされるのは初めてだからだろう。他の都市だったら罵声や石が飛んできている所だ。

 娘が軽い咳をして、顔をあげて、フランツ親方の目を見た。


「わたし……。魔女じゃ無いんです」


 娘に小声でささやかれたが、フランツ親方は歩みを止めなかった。


「審問の差し戻し、も出来ますよ」

「……いえ、再審問は……、体がもたないと思います」

「そうですか」

「ごめんなさい、ただ、親方に、だけ知っておいて欲しいと、そう、思ったのです」


 娘はそう言うとはにかむように笑った。

 彼女の名をフランツ親方は知っていた。ヴィラという中堅貴族の娘だった。城の近くを明るく笑いながら歩く彼女を見かけた事がある。今は疲れ、うちひしがれ、手かせを重そうにして歩く彼女だったが、明るい金髪の色だけが、その時と同じに明るく綺麗だった。


「審問官の方が……、魔女仲間の事を吐けと……、すごく責められました」


 ヴィラは立ち止まった、そして誇らしげに少し胸を張った。


「でも、言いませんでした、こんな事は私の所で終わらせるべきで、お父様やお母様を巻き込むべきじゃありませんもの」


 フランツ親方はヴィラの澄んだ瞳を見つめ、うなずいた。


「また審問されたら……、今度こそ、誰かを巻きぞえにしてしまうと思うのです。なので、親方の手を煩わせてしまいます」


 二人はゆっくりと歩き出した。

 柴が積まれた火刑台が近づいてくる。


「それだけはごめんなさい」


 フランツ親方は、どう声を掛けて良いかわからない。

 不正義があった、罪も無い娘が魔女として焼かれようとしている。

 処刑人の名において再審を求める事は出来る。だが、それをしたところでヴィラは再審問中に死ぬだろう。屈辱にまみれ、これまで守ってきた大事な物を失い、土に帰ってしまう。


――こんな事は私の所で終わらせるべき。


 と彼女は言った。親方もそう思った。

 親方はヴィラを柱にくくりつける。司祭が長い十字架で彼女の頭をなでながら、祈りの言葉を贈る。

 柴をヴィラの近くへ置いていく。


「相談があります」


 小声でフランツ親方が言うと、ヴィラは小さくうなずいた。


「苦しまずに死ぬ方法があります。首筋の動脈を切れば、苦痛無く眠るように死ねます」


 どうしますか、と親方は目でヴィラに返答をうながした。


「ごめいわくでは……」

「問題はありません」

「お願い、します……」


 フランツ親方はうなずくと、柴を置くふりをして手の平に隠した小さなナイフでヴィラの首をかききった。傷を背中まで伸ばして、周りに血が見えないようにした。


「だんだんと意識が薄れます。あなたに神のご加護がありますように」

「ありがとう……ございます」


 ヴィラは親方に向けて微笑んだ。


 司祭の手によって、柴に火が掛けられた。しばらくして火は轟々と燃えさかり、ヴィラに襲いかかった。

 肌を火が焼く頃には、もう、彼女の息は無かった。

 悲鳴や恐怖のもがきを見たがっていた民衆は、あっけなく焼けていく娘をみて、少し落胆した。


「ああ、火が回る前に恐怖で死んだんだな。神は慈悲深い」


 野次馬が首をたれ、十字を切った。

 フランツ親方だけが、燃えていくヴィラをじっと見ていた。


――こんな事は私の所で終わらせるべき。


 その言葉だけが、何時までもフランツ親方の胸の奥でぐるぐると回っているかのようだった。


2


 異端審問は、教会と審問委員会が共同で執り行う。ニュルンベルグの審問委員会の長はヨハンという新興貴族だ。

 ヨハンは馬車の中でにやけながら家路についてた。

 仕立ての良い服がはちきれんばかりに太っている。

 にやにやと笑いながら、ヨハンは今日の処刑の事を思い出していた。

 馬車は石畳の上を音を立てて走る。

 処刑の後、ヨハンは教区長と共に晩餐を取った。ヴィラが両親を告発しなかったので、家を潰すまではいかなかったが、教会と山分けにしてもかなりの額がヨハンの懐に入った。


――まあ、最初はこんな物だろう。


 ヨハンはニヤニヤと笑う。


――金がな、泉からわき出るように作れるんだぜ。


 隣接する市で異端審問官をやっている友人が、そう言った時は、よせやいと笑ったものだが、話を詳しく聞くと、自分でも出来そうな気がして来た。


 家門を鼻に掛ける憎たらしい中堅貴族の娘を試しに告発してみたら、驚くほど容易く魔女として断罪が出来た、彼女が相続していた領地を売った儲けも結構な額だった。

 各地で魔女狩りが流行るわけだぜ。とヨハンは一人つぶやいた。


 疫病が伝播していくように、欧州全土に魔女狩りがはびこり始めた頃の話である。

 隣市の友人は去年は百人、魔女を焼いたという。家には金が満ちあふれ、高価な家具、山海の珍味、美味い酒で顔を真っ赤にしていた彼をヨハンは思い浮かべていた。

 ヨハンはにやにやと笑う。


――これからだ、金を稼いで、もっと上を目指してやる。


 馬車は夜気を切り裂くように石畳を駆ける。


3


 ヨハンの家は郊外にあり、小さい。家は三代前からの騎士階級だった。

 大きい家が欲しい。とヨハンはベッドから身を起こし、衣服を着ながら思う。

 軋む木窓を開けて朝の光を浴び街を見渡す。

 こんな街外れの家じゃなくて、市の中心部に豪邸を建ててやる。

 にやにやとヨハンは笑い、身繕いを整える。


 書斎に籠もって昨日からの仕事を片付ける。

 しばらくして、女中が昼食の用意が出来たと告げに来た。

 沢山の使用人も欲しい。今は若い女中と庭師だけだ。


 階段を降り、広間で娘と昼食を取る。

 この時代、一日は二食で、昼は早めの時間に多めの食事を取る。

 娘は日差しの中でヒバリのように笑いながらヨハンに話しかける。

 なにより、娘のマルガに良い結婚と持参金を持たせてやらねばならない。

 妻が死んだ後、ヨハンにとって自分よりも大切なのは娘のマルガだけだった。

 柔らかく微笑みながら、パンを口に運び、マルガと話す。

 話す内容は他愛もない事だ。通っている神学校の事、友達の事、今週末に一緒に行くつもりの演劇の事。

 マルガは美しい。気立ても優しくて大人しく、頭が良い。


 ふいに、拷問中のヴィラの顔を思い出す。頭を振って情景を追い出す。食事のテーブルで思い出すようなことでは無い。


 マルガが小首をかしげて不思議そうにヨハンを見ていた。


「どうしましたのお父様?」

「なんでもない、ほら、ミルクを飲みなさい」


 この幸せを絶対に手放したくない。もっともっと大きく幸せを膨らませて、上を目指す。

 マルガにも良い婚礼を持ってこなければならない。

 そのためにも、もっともっとお金と地位が必要だ。

 問題は無い、神に反抗する女どもを何人始末しても良いのだ。神の御心のままにすべきだ。

 その証拠に、ヴィラを火にくべたというのに、こんなに世界は綺麗で、私は幸せじゃないか。

 わたしが間違っているならば、神の罰が下されるはずだ。いや、わたしよりも、隣市の友が先に罰にあたるはず。奴はもう百人も魔女を火にくべているのだから。


――なんの、問題も無いのだ。


 ヨハンは微笑んで、パンをかみ砕き飲み込んだ。


 マルガを神学校へ送り出した後、ヨハンは書斎で仕事を続ける。

 次の魔女を決めなければならない。

 あまり良家の娘は駄目だ、親の力が強い家に手を出すと報復が危ない。かといって貧しい家の娘ではいけない。なんの儲けも無い。

 隣市の友は、執行人を抱き込んでいるそうだ。手下どもの慰みものために、貧しい娘も選んでるんだが、色々面倒でなと笑った。


 ニュルンベルグの死刑執行人の名前はなんと言っただろうか。青い目の意思の強そうな男だったな。

 わりと有能で堅物と聞く。金ではなびかない人間かもしれない。


 今後魔女を処理する量を増やすならば、こちらの言い分を良く聞いてくれるような男に執行人を変えるという手もある。隣市の執行人の親族を呼んできても良い。

 拷問をする人間も増やさねばならない。人を一人痛めつけるのが、あんなに大変だったとは思わなかった。

 悲鳴を上げながら女が追い詰められて壊れていくのを見てヨハンの心は痛んだが、胸の奥にどこか甘美なわななきもあった。


 ヨハンは女中を呼び、ベッドに押し倒した。この女は容姿で選んだ女中なので、少々家事は不得意だが、ベッドの上では有能だった。春頃に手を付けて、半年ほどになる。そろそろ後妻にしてくださいとかくだらない事を言い始めたので解雇する予定だった。


 事をすませてヨハンはズボンをたくし上げ女中の裸の尻を叩いてベッドから追い出した。

 下の階から、どたどたと慌ただしい足音がして、庭師の大男が飛び込んできた。


「た、たいへんです、旦那さまっ! お嬢様がっ! お嬢様がっ!」


 そう言って、大男は跪(ひざまず)いて大声で泣き始めた。


 マルガを学校に通わせる為に買った馬車は、土手の道から落ち、川縁で平たくなっていた。

 娘の胸を折れた木材が貫通していた。

 娘の血があたりに流れでて、川へしたたり落ちていた。

 赤い流れはよどんだ川面に一本の蛇行した筋を描いて流れて行く。その、血の赤だけが、ヨハンに見える色だった。

 他の物は全て白と黒と灰色に見える。


 マルガの息は無い。


 人形の顔のように白い。ヨハンは自分が何を見ているのか解らなくなった。

 さっきまで、あんなに笑っていたのに。

 あんなに弾んだ声で、お父様と呼んでくれたのに。

 マルガは動かない。


 誰かが大声で叫んでいた、うるさい、うるさい、なんて大声だ。


 そしてヨハンは気がついた。自分の胸が震えていた。口が大きく開いていた。よだれが信じられないぐらいに大量にあふれ出し、頬に涙が伝わっていた。

 叫んでいたのは自分だった。

 体が自然にでたらめに動いていた。平たくなった馬車を叩いて手から血が出ていた。

 なんでこんな事が起こったのか、ヨハンには理解出来ない。


4


 夢の中のように頼りなくふらふらと、ヨハンはマルガの葬儀を執り行った。

 沢山のヒヨコのような女子神学生がミサに集って泣いていた。


 ヨハンは酒に酔い、気がつくと一週間の時間が経っていた。

 家の中は暗い。何かと世話を焼こうとする女中を殴りつけ、おどおどした庭師を怒鳴った。


 そんなおり、審問委員会の議員が訪れて訃報を告げた。

 魔女狩りに協力してくれた司祭が酒に酔い、川にはまって死んだ。

 拷問倉を貸してくれた役人の家が火事になり、一家全ての人間が死んだ。

 ヨハンは暗い部屋で、目だけをぎらぎらさせて怯えていた。


 誰かが、誰かが、魔女狩りに関わった人間を殺しているのか……。

 まさか、マルガが死んだのも……。


 胸に膨れあがる疑惑を抱えて、ヨハンは怯えている。

 部屋は暗い。とっぷりと夜は更け、蝋燭の明かりの下でヨハンは目だけをぎらぎらさせながら葡萄酒をあおっている。


 酒を、飲まないと駄目なのだ。マルガの笑い顔が思い浮かぶのだ。明るく自分を呼ぶ声を思い出してしまうのだ。

 膨れあがる恐怖と悲しみの苦痛で、ヨハンの居場所は地上にはない。酒精で思考を飛ばして耐える以外の方法を、ヨハンは知らない。


「こんばんは」


 窓の向こうに怪人が立っていた。

 大柄な男だったが、顔が山羊だ。山羊のマスクを被った怪人だった。

 酒による幻覚、と思い、ヨハンは返事もしないで葡萄酒をあおった。口の端から酒がこぼれ落ちてシャツを赤く染めた。

 怪人は意外に身軽に窓を飛び越えて、居間に入って来た。


「こんばんは、サタンです」

「……」

「……」

「山羊の頭の悪魔はバァフォメットだ。サタンでは無い」

「そうでしたか。さすが審問官お詳しい」

「なんの用だっ! サタニストめっ! 今度は儂の命を取りに来たのかっ!」


 よく見ると山羊頭の腰には長剣が輝いている。ヨハンは騎士だが、武道はそれほどやっていない。若い頃に二年ほど剣の振り方を学んだだけだ。居間にはナイフ一つもない。怪人がその気ならば抵抗のすべも無い。


 悪くはない。と、ヨハンは思った。サタニストに殺されるならば、悪くは無い。この苦しみが終わるならば、悪くは無い。マルガの所へ行けるならば、またマルガに会えるならば。神の御許でマルガの丸い小さな頭をまた抱けるなら、悪くは無い。最悪ではない。救いのような物だ。


 ヨハンは怪人に向けて手を開いた。

 怪人は片手を前に出して、ひらひらと振った。


「誰も、やってませんよ」

「は?」

「司祭も、役人も、お嬢さんも、偶然の事故です。誰かがやったわけじゃありません」

「はあ? 何を言ってるのだ、お前はっ! 血も涙も無いおぞましいサタニストが魔女を焼いた報復に殺して廻ったに決まっているだろうっ!!」

「ヴィラは魔女だったのですか?」

「……」

「拷問で魔女と白状させられた無関係な娘の報復に、関係者を殺して廻るのですか?」

「……」

「そんな暇な人は、この世界には居ません」

「では、何の用だっ!! 報復で無いなら私に何の用があると言うのだっ!!」


 怪人は舞台の上に居るように手を掲げ、頭を下げた。


「面白い話を聞いたのでお伝えにまいりました」


 目の前の怪人が何なのかヨハンは判断がつかなかった。特に害意は無いようにも見える。

 ヨハンはカップに葡萄酒をつぎ足し、ゴクリと飲みこんだ。


「お嬢さんの事故の下手人は、女中と庭師です。証拠固めが終わったので法廷にて裁かれる事でしょう」


 カップが床に落ち、甲高い音を立てて転がった。


「今、なんと言ったっ!」

「不幸が偶然に続く時があります。そんな時、疑心暗鬼に捕らわれて極端な行動に出る人が居ては困るのです」

「女中と、庭師が……」


 思い当たる節はある。女中はつねづね後妻にとうるさく言っていた。マルガが女中を嫌っていたので、ヨハンは後妻などにはとんでもないと思っていた。適当にもてあそびゴミのように捨てるつもりだった。貴族が平民に何をしようと咎める者など居はしない。

 庭師も今から思えば、異常にびくびくしていた。何度も何かを伝えようとして、そのたびに女中が止めていた、ような気がする。

 ヨハンの体が震え始めた。

 マルガが居なければと女中が考えても不思議は無い。


「殺してやるっ!!」


 ヨハンは絶叫し、立ち上がった。


「落ち着きなさい。二人とも、もう拘束されています」


 糸が切れた人形のように、ヨハンはドスンと椅子に座った。


「……お前は司法の関係者だな」


 窓から出ようとした怪人の背中にヨハンは声をかけた。

 怪人の返事はない。


「なぜ、そんな事をしている」

「そうですね、もう、この街で魔女が焼かれないように、出来る事をしています」

「悪魔のためにか? そういう風には見えないが」

「魔女が焼かれるような街になるのが嫌なのですよ」


 そう言って怪人は身軽に窓から出て行った。

 彼の持つ長剣の鞘が窓の金具に当たり、澄んだ音を夜の闇に響かせた。

 ヨハンはカップを拾い、喉に葡萄酒を流し込んだ後、顔を覆って泣いた。

 泣いても泣いても、マルガは帰って来ない、そう思って、ヨハンはさらに泣く。


 裁判はすぐ結審した、女中と庭師は謀殺として死刑の判決を受ける。

 動機はヨハンの思った通り、後妻の座を狙ったものだった。

 溺愛しているお嬢様が死ねば、旦那様はきっと自分に振り向いてくれる。と拷問台の上で女中は泣きながら語ったという。

 女中は庭師に体を与え、馬車の車輪に細工を頼んだのだった。車軸に残ったやすりの痕跡と庭師の持っていた物が合致したのが決め手となった。

 ヨハンはぐったりと疲れた体を動かし、処刑を見に行った。

 街の広場に絞首台が二つ掛けられていた。

 凄腕と名高い首切り役人のフランツ親方が弟子たちに指示を与えている。

 フランツ親方の長剣の鞘に擦り傷があるのをヨハンは見つけた。

 闇の奥に沈むように鳴った音が耳に蘇った。


 女中は狂ったように悲鳴を上げ、ヨハンの不実を罵り、民衆を罵った。怒り狂った人々は腐った卵や泥を投げる。女中は怒鳴りすぎで声が潰れていた。ガマガエルの鳴き声をヨハンは思い出している。庭師の目は、早くも冥界にあるように光が無い。

 女中と庭師は吊され、死んだ。顔を赤黒く染めた二つの死骸が風にふらりふらりと揺れている。


 ヨハンは何も感じなかった。

 ゆるゆると解散していく民衆に混じり、墓地へと向かう。

 マルガが死んでから、心が痺れたように何も感じない。何も考えられない。

 ただ苦しみだけが胸の鈍痛と共にあり、酒の力で、なんとかそれを耐えしのいでいた。

 すがりつくように鉄の門扉をくぐり、マルガの墓の前に行く。

 大金を掛けて建てた真っ白な綺麗な墓の前で、ヨハンは生前の娘の姿を思い出している。楽しかった事、心配だった事、今にして思えばヨハンの人生はマルガを幸せにするためにあって、それ以外の物事はほとんど無かったようにも思える。

 ヨハンの後ろを遠く、フランツ親方と墓掘り人夫が通っていく。

 吊された罪人の墓穴を事前に掘りに来たのだろう。とヨハンは横目で親方たちを見た。


 墓場には、他に地味な服を着た夫婦が居て、墓に花を供えて祈りを捧げていた。夫の方がヨハンに気がついて顔色を変えた。

 ヨハンも気がついた。ヴィラの両親だった。

 ヴィラの父親が足早にこちらに向かってきた。

 ヨハンは体を硬くした。殴られるかもしれない。いや、刺され殺されるかもしれない。

 だが、その気持ちが、今は良くわかった。自分が殺される事で、ヴィラの父親の苦しみが紛れるならば、そうであるならば、殺される事に何の悔いも無い。そうヨハンは思った。


「お許しくださいっ!」


 ヨハンの目の前で、ヴィラの父親は大声で謝罪した。


「悪魔の声に耳を貸した愚かな娘ですが、それでも我が娘なのです。弔いをお許しくださいっ」

「あ、そ、それは……」

「神に背いた罪深い存在ですが、どうか、せめて弔いだけは」


 ヴィラの母親もひざまずいて懇願する。

 焼いた魔女の灰は川に撒かれる。彼らはその一部を手に入れ、墓に入れたのだ、とヨハンは理解した。


 がくがくとヨハンの体の芯に震えが起こる。

 どう言えば良い、どうすれば良い。


「か、神の御許で罪を告白し、火にて罪をあがなったのですから……」


 型どおりの見解を述べながら、それが全くの虚言とヨハンは解っている。

 だが、この、両親に真に必要なものは、それなのだ。


「故人を偲ぶよすがに墓を立てる事に、異端審問会は、なんの異議もありません」

「ありがとうございますっ!」

「ありがとうございますっ!」


 両親はひざまずき喜んだ、ヨハンを拝み感謝の声を上げる。


――なんという、罪なのだ……。


 胸の中をがっしりと、かぎ爪で捕まれたようだった。


――何の罪もない娘を拷問で魔女に仕立て、両親から死を悲しむ権利さえも取り上げた。


 口々に礼を言いながら去って行くヴィラの両親の姿を見て、ヨハンの足は力を失い、墓地の地面に膝をついた。


――たかだか金の為だ、そのために私は……。


 今、初めてヨハンは自分が何をしたのか、はっきりと自覚した。

 四つん這いになり、獣のように悲鳴を上げた。


――どうすればこの罪はあがなえる! どんな罰を受ければ贖罪できるのだっ!


 目を上げると、そこにはフランツ親方が立っていた。


「殺してくれ、拷問に掛けて、私を処刑してくれっ!」

「はて?」


 フランツ親方は首をひねる。


「頼む、たのむっ! 私は罪を犯した!」

「では、法廷に自首を」

「法廷では裁けないのだっ! 表面上はなんの罪も無いんだっ! だが、そのこと自体が恐ろしい罪なんだっ」

「騎士さま、お考え違いをしておられますね。首切り役人は処刑をする仕事です。人を裁くのは法廷です。法廷で裁けない罪で首切り役人が処刑する事はできません」

「では、どうすれば良い、どうすればこの罪はあがなえる? 教えてくれ何でもする!」

「犯してしまった罪は、どうやっても償えません」


 ヨハンは墓場の土をつかんで号泣する。


「司祭が酒に酔って川で死んだのも、そうなんだなっ、あいつはヴィラが魔女だと告白したとき、救われたという顔をしていた」

「そうかも知れませんね、彼は異端審問の後、顔色がすぐれませんでした」

「拷問倉の役人も、一度様子を見に来たきりでガクガクと震えて怯えていた。あいつも、そうだったんだな」

「そうかもしれません。でも、どちらも、なんの証拠も無い事です」


「お前たちの仲間に入れてくれ、たのむっ」

「はて、何のことをおっしゃっておられるのか、とんと理解ができませんが」


 フランツ親方は空を見上げ、首をひねった。


「何か、組織が有るのだろうっ! あなたが首領なのだろうっ!」

「……まあ、何かをしたいという集まりがあったとして、私であったら、組織化はしませんね」

「組織が、無い?」

「組織化をすると、その組織自体が意思を持ち、時に変質いたしますから。山羊の仮面が本当の山羊の頭になっても困りますからね」

「ではどうやって……」

「こんな事はこれっきりにしたい人々が居たとしたら、その考えだけを伝えます。そして、個人個人で出来る事をすれば良いだけではないかと思いますよ」

「そんな簡単な事で……」


「ヴィラ嬢と死ぬ前に少しお話しをしました。その時に彼女が言っていたのです。こんな事は私の所で終わらせるべきです、と。その言葉通り、彼女は両親を告発しないように、胸を張って死んでいきました。すこし誇らしげな彼女はとても綺麗でしたよ」

「そんな、そんなことが……」


 ヨハンは敗北感にうちひしがれた。他愛のない小娘だと思っていた。拷問に屈したのだとばかり思っていた。両親を助ける為に、拷問で意思を曲げられ無いために、死を選んでいたとは思いもよらなかった。

 ヴィラの気高い志に比べて、自分のなんと小さく醜い事か。


「何をしているのですか、騎士様。さあ、すぐに立って、自分のできることをしなさい」


 ヨハンは勢いよく立ち上がった。そして墓地の門に向かって走る。

 フランツ親方を振り返る事も無く。全速力でヨハンは走った。


5


 ヨハンは家財を売り飛ばして、ニュルンベルグの街から姿を消した。

 貧民街で、その姿を見かけたという噂もあった。


 若い司祭が中心となって、ヴィラの異端審問の再審が行われた。

 誰が始めたのか、資金は誰が出しているのかは解らなかったが、一年ほどで調べは終わり、正式に誤審であり、魔女では無いとヴィラの名誉は回復された。父母も貴族としての面目を回復した。


 大陸には相変わらず魔女狩りの嵐が吹き荒れ、何万人もの女性が焼かれていた。だが、ニュルンベルグでは、魔女狩りは一切起きていなかった。

 貴族や教会関係者により、何度も審問委員会が復活されそうになったのだが、不思議と不幸が続いたり、不吉な前兆があったりで、うまく行かなかった。



6


 隣市の審問委員長はニュルンベルグに向かっていた。


 魔女狩りで巨万の富を築き上げた彼だったが、うっかり大貴族の庶子の娘を魔女として告発してしまった。駆けつけて来た大貴族は、拷問倉での我が子のなれの果てを見て、彼を激しく憎み、街から追放した。

 彼は反省などしていない。そろそろ彼の居た都市も荒れ果てて来たので、縄張りを変えるのに丁度良かった、とまで思っている。

 彼の目の前には、まったく手つかずのニュルンベルグの街がある。


――魔女狩りで金を稼がないなんて、馬鹿のやる事だぜ。


 そう思い彼は笑う。


 彼は、ニュルンベルグの街で、異端審問会を立ち上げようとした。

 だが、上手くいかない。


 妙な抵抗感がある。はっきりとは目に見えないのだが、弾力のある抵抗の壁のようなものを彼は感じていた。

 そういえば、魔女狩りを教えたヨハンはどこに居るのだろうか、出来れば片腕となって協力して欲しいのだが。彼はそう思いながら、教会に、議会に、異端審問会再開への折衝を続ける。かなり裏金も使った。だが依然として、見えない抵抗感は続いていた。


「異端審問は賛成ですわ、でも、この街にはですね」


 ガマガエルのように太った醜い尼僧は言いにくそうに彼に伝えた。


「悪魔崇拝者が居るようなのですわよ。異端審問委員会を再開させようとすると、なにか悪い事が起こりますの」


 馬鹿な、と鼻で笑って、彼は役所の記録を調べて見た。

 確かに事故や不審死が多い。だが、人は悪魔の為に組織的に動く事は出来ないはずだ。


 サタニストの噂は確かにあり、それが魔女狩りの遠因にもなっているのだが、古株の異端審問者である彼は、その正体が、森や自然を崇拝する古い信仰であるのを知っている。

 人は悪の為に繋がり組織化する事は出来ない。だからこそ隣市であれだけの人死にが出ているのに、抵抗運動一つ起こった事が無い。

 人が集まって何かをしているのならば、それは、なにか正しいと思う事で集まっているはずだ。

 彼は酒場で書類を見ながら考え込んでいた。


「ひさしぶりだな」


 不意に声をかけられた。

 一瞬誰かと解らなかったが、よく見るとヨハンであった。

 すっかりやせ衰え、汚い身なりで、まるで乞食のようであった。


「おお、ヨハン、探してたんだ、これまで何をしていたんだ? 何年も」

「ん、そうだな、出来る事を探して、やっていた」

「あまり良い暮らしはしてないようだな。どうだ、俺と組まないか、儲かるぜ」

「それは良いな、とりあえず一杯奢ってくれ」


 彼は笑いながら、ヨハンにエールを奢った。

 ニュルンベルグをよく知るヨハンに手伝って貰えば、異端審問の成功は間違いない、そう思った。


「ん、なんだい、その斧は?」


 ヨハンは汚れた斧を腰から下げていた。


「これかい、昼に山に木を切りに行ってな。帰ってきたら、おまえが酒場に入るのを見てな」


 ヨハンはにっこり笑った。


「丁度良いから、お前に使おうと思って持ってきたんだ」

「はは、何を言って……」


 ヨハンは笑顔のまま斧を振り上げ、彼の頭に打ち下ろした。

 何度も何度も、動かなくなるまで。


 酒場での口論の末、喧嘩となり、たまたま持っていた斧で打ち殺してしまった。

 裁判でヨハンは、そう証言した。

 何故か晴れ晴れとした表情で、すこし誇らしげであった。


 判決の朝、裁判所の前に沢山の貧民たちが集まり、口々にヨハンの減刑を嘆願していた。

 裁判長は、貧民に慕われるヨハンを見て、拘留刑に減刑することをヨハンに提案したが、彼は笑って首を横にふった。


「刑罰は平等に、公平にするものです」


 そう言ったヨハンの顔を見て、裁判長は、死なせてしまうには惜しい人間だ、と思った。何か理由があるのだろうな、と察したが、彼を救う道は無く、死刑の判決を下した。


 平民が喧嘩の末に貴族を殺した場合、本来は縛り首である。だが、ヨハンはまだ騎士の位を抹消されていなかった。

 名誉ある打ち首と、刑は定まった。


 よく晴れた春の日の断頭台で、ヨハンとフランツ親方は再会した。

 ヨハンはしみじみと良い笑顔をフランツ親方にむけた。

 天に遠く、烏が舞っていた。


「出来ることは上手くいきましたか?」

「はい、なんの悔いもありません」

「ほとんどの市民にとって、あなたは、ただの粗暴犯ですが、解る人には尊敬すべき人です」

「私はただの罪人です。何をしても、どんな事をしても、胸のつかえは取れる事はありませんでしたよ」

「私も尊敬しております、騎士様」

「……その一言だけで、報われた気がします」


 そういってヨハンは静かに笑った。顔は汚れ、苦労は皺に現れていたが、晴れ晴れと清い表情をしていた。

 フランツ親方は長剣を抜き、ヨハンの後ろへ立った。

 ヨハンは断頭台にあごを乗せて、フランツ親方の方へ振り返った。


「一つだけ聞きたいことがあるのですが」

「はい」

「神の御許に行けば、マルガとヴィラに会えるでしょうか、そして二人は、こんな私を許してくれるでしょうか」

「許しますとも」

「マルガとヴィラと私の三人で優しく笑い合いたいのですが、かなう事でしょうか」

「かないますとも。きっと二人はすぐに仲の良い友達となり、笑い合う二人をみて、あなたは目を細める事でしょう」


 ヨハンの目から涙がこぼれ落ちた。


「ありがとうございます、親方」


 一瞬、銀光が閃いて、フランツ親方の長剣は、ヨハンの首を落とした。

 ごとりとバケツが首を飲み込み音を立てた。

 フランツ親方はヨハンの遺体に向けて十字を切った。


「私はあなたを誇りに思います。これからのニュルンベルグ市民も、きっと誇りに思う事でしょう」


 フランツ親方はゆっくりと断頭台を降りた。


 その後も、西欧世界では魔女狩りの嵐が吹き荒れ、アメリカのセイラムズロットでの事件を最後にようやく鎮火した。

 だが、ニュルンベルグでは、現代に至るまで、一度も魔女が焼かれた記録はない。

 

(了)

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