才の指先
空峯千代
ささくれなんて、できることあったかな
「痛っ」
夕飯に鍋の日が続く、ある冬の日。
食べ終わったあとの食器を才がキッチンまで運んでくれて、俺はテーブルを拭いている時だった。
「どしたの? 大丈夫?」
小さい悲鳴が聞こえてきて、様子が気にかかった。
才は自分の指先をじっと見つめたままで直立している。
「怪我した?」
「いや、大したことないよ」
皮膚と骨の目立つ、肉づきの薄い手。
よく見てみると、才の親指には皮膚の捲れた跡がある。
どうやら、ささくれができたみたいだった。
「一人暮らしの頃は、こんなこと無かったんだけどな。なんでだろ」
指先を見つめたままの才がぼやく。
彼は不思議そうな顔で指を擦ってから、また何もなかったかのように洗い物に戻った。
テーブルを拭き終わった俺は、才の隣に立つ。
彼が洗い終わった食器を自分が受け取り、食洗機にかけていく。
この役割分担は、なんとなく自然な流れで定着していた。
「そういえば前にケチャップこぼした服、今日洗ったらシミ取れた。洗剤入れた水に浸けてたから落ちやすかったのかも」
言いながら、才は最後の皿を洗い終えて俺に渡してきた。
俺が会社でキーボードを打っている間に、彼の手は朝食分の洗い物と洗濯もこなしてくれていたのだろう。
彼の指先にできたささくれが、ここ最近の彼の努力をたたえているような。そんな気がする。
「最近、才がいろいろ家事やってくれて助かってる。ありがと」
「......別に、自分のためでもあるし。このまま何もできなくなったら困るだろ」
自立心。
彼と同じ家に暮らす日々でどれだけ鬱々とした様子を見ても、才からこの三字が失われることはなかった。
もっと頼ってくれていいのに。
つらい思いをしている人が、その分報われることになんの不思議もない。
そう言いたいけれど、きっと才が首を縦に振ることはないんだろうな。
「僕は…今の生活をあたりまえだと思ってないし、思っちゃいけないと思うから」
タオルで手を拭いた才は、リビングへと戻っていく。
ソファに腰かけた才の背は、前よりも真っ直ぐに伸びている気がした。
俺が何かしなくても、才はどうにかなっていく。
「あ」
「今度はどうした?」
「今日の紅茶は宝に入れてほしい」
才がリビングから顔だけこちらを振り向く。
「宝が入れた方が美味しいから」
そっか。頼ってはくれるんだ。
「いいよ。フレーバー、どれがいい?」
紅茶の缶をいくつか取り出して、才に見せる。
食後のお茶が楽しくなって、いつの間にか種類も増えてしまった。
才は身体ごとこちらを向いて、少し考える素振りを見せる。
指で示されたフレーバーはいつもと変わらないアールグレイだった。
才の指先 空峯千代 @niconico_chiyo1125
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