ささくれたつのは指先だけじゃない。

メイルストロム

ササクレ と 私 。

「痛っつ……またかよ、くそっ」

 また、この季節がやってきた。あの頃よりも保湿したりしていたわっているというのに、こいつは毎年律儀にやってくる。


「おやおヤ、大変ですネ」

「……どーも」

 いつの間にやってきたのやら。ディオレが持参した絆創膏を受取り人差し指に巻いていく。出血は殆ど無いが、触れれば多少の出血はするし何より痛い。体の末端は痛覚が鋭敏とはよく言ったもので、ジンジンと芯に響くような痛みが続いている。

「そう言えばヨル? 貴女先程『またか』と仰っていましたネ? そのササクレと言うやつはよく出来るのですカ?」

「そーだよ。なんでか知らないけど、冬の終わり頃になるとしょっちゅう出来るんだ」

「あらラ。それは何とも嫌なものデ」

「そー言うアンタは出来ないの? ササクレの一つや二つ」

 生憎と一度もありませン、だなんて言葉を残して彼は去っていく。全く、来るのも去るのも本当に自由な男である。

 猫のように自由気ままでありながら、所々で強烈な印象インパクトを残していく謎の人物。加えてなんの仕事をしているのか不明だが、稼ぎも目茶苦茶に良いと来た。師匠リヴラと同様に容姿も良いし……そう言えばあの二人は一体何時からの付き合いなのだろうか?



「──私と彼の付き合いですか?」

「そう。あのディオレとかいうオッサンとどこで知り合ったのかなと思いまして」

「貴女と大差ありませんよ。彼もまた、自力で私のところへ辿り着いた者ですから」

 食後の休憩時間に尋ねてみると、少々予想外な答えが帰ってきた。何がきっかけで興味を持たれたのかは不明との事であるが、ある日突然訪ねてきたと言う。スーツにアタッシュケースという如何にも、といった出で立ち故に師匠は彼を訪問セールスと勘違いしたそうだ。そして一度は追い返してしまったのだとか。

 なぜ追い返したかと言えば「胡散臭さしかなかった」からと言うのだから笑える話である。

「それはそれとしてヨル、その指はどうしたのですか?」

「あぁ、いつものササクレですよ。この時期になるとしょっちゅう出来るもんで困ってるんです」

「──成る程。だからこの時期は極端に作成スピードが落ちるのですね」

 そこまで落ちてはないと思うのだが──師匠に言われるとそんな気もしてくる。最近は制作時間を気にする事も少なくなっているし、ここいらで一度計測する必要がありそうだ。

 なんて事を考えていると、師匠は席を立ち自室へと向かっていく。お気に入りだというオレンジ・ピール入りのスコーンを食べ切らず席を立つなんて、なんだか師匠らしくない行動だ。


「ヨル。よかったら使ってください」

「えっと……なんです、コレ?」

 二杯目のコーヒーを飲み終えた辺りで、師匠が小さな包みを手に戻ってきた。手渡されたそれはかなり軽く、中身の見当がつかない。師匠の方を向くと、どうぞ開けてくださいと言わんばかりの表情でこちらを見ている。流石にドッキリの類ではないと思うが、正直開けるのが怖い。

「中身は私が普段愛用している作業用の手袋です。これならササクレも気にせず作業出来ますよね?」

「…………いやいやいや?! そんなモノ貰えるわけないじゃないですか! ってかソレ結構な高級品でしたよねぇ!?」

「それが何か?」

 心底理解出来ない。そんな言葉が聞こえてくるような視線を送られても困る。師匠からしたら消耗品として許せる値段なのかも知れないけど、私からしたらとんでも無い贅沢品だ。

「……そもそも畏れ多くて使え無いっすよ。値段もそうだけど、アタシみたいな半人前が師匠と同じモノを使うとか失礼極まりない!」

 だから受け取れないと返品を申し出たのだが、案の定アッサリと断られてしまった。

「他でもない私の下で頑張っている貴女が、少しでも作品造りに集中してもらえるのならそれで良いのです。つまらないササクレ程度で貴女の作品造りに支障が出るなんて勿体ない。それにこんなモノはお金さえあればいくらでも入手出来ますし、いざとなれば自分で作れますから──これを使って、貴女は少しでも多くの時間を創作に充てなさい。話は以上です」

 そう言い切って最後のスコーンを口にした後、師匠は自室アトリエへと戻って行ってしまった。ああ言ってくれるのは嬉しい。素直に嬉しいのだが……やはり気遅れしてしまう部分もある。


 使いたい気持ち半分、使っては駄目だと思う気持ち半分。他人からしてみれば至極どうでも良い葛藤に悩まされていると、対面の席にディオレが座っていた。

「心底しょーもない事で悩んでますネ」

「うるせぇ」

「贈り主が良いというのですかラ、気にせず使えばよいのでス。それにどうせなら使ってしまわないト、その手袋にも失礼ですヨ」

「わかってるよそんな事」

 ──いちいち言葉にしなくてもわかる。

 わかっちゃいるけど、どうしても自分を許せないのだ。

 あの技術力が欲しいと願う程に実力差を痛感してしまう。

 あんな風に人の心を惹きつけられるものをこの手で創りたい。

 一目見ただけで記憶に残るような芸術品を私の手で創り上げたい。


 ──なのに、どれだけ努力しても足元にさえ辿り着けない。


「そもそも貴女、本気でアレに近づけると思ってまス?」

 普段よりもツートーン低い声が、私の思考を寸断する。届いた言葉の意味を考えるよりも先に、どす黒いものが湧き上がっていた。

「……どういう意味だ、オッサン」

「おやおヤ、ささくれが酷くなりましたネ」

「はぁ? からかってるのか、アンタ」

「だとしたラ?」

「──…………悪趣味にも程があるよ」

 正直な気持ちを言うのなら、今すぐにでもあのツラをぶん殴りたい。いつでもヘラヘラ笑ってるのが無性にムカツク。だが暴力沙汰はご法度。次にやらかしたら問答無用で破門すると師匠に言われているのだ。


「──アレを越えようとカ、上回ろうとカ、そういうのは止めたほうが良いのですヨ。惹かれるのは自由ですガ、そういう気持ちは捨ててしまった方がいイ」

「諦めろっていうのか?」

「Non! その様な意図は全ク! これっぽっちもありませんヨ!!」

 馬鹿みたいな声量で否定されたからか、ほんの少しだけ心の中のどす黒いものが引っ込んだ気がする。

「私からすれば貴女は立派な人形師でス。そしてそれは世間の皆様も認めているのですヨ」

「どうしてアンタがそんな事を────」

 こちらの言葉を遮るようにして、眼前にスマホを突きつけられた。そこに映っていたのは数々の西洋人形であり、師匠の造ったものも並んでいる。

 ……これはどうやら、人形の通販サイトらしい。

「こんなの見せてなんのつもりだよ」

「よく見てくださイ。SOLD OUTの文字が付いているものがあるでしょウ?」

 彼はわざとらしく、画面の一端を指差す。どれも見覚えのあるものだが、師匠の造ったものもとは少し違う。誰かの贋作だろうか……?

 画面を凝視していると、なんの通告もなしにスマホをしまわれてしまった。

「この売れている物は主に貴女の作品でス。自分の作品すら忘れてしまいましたかァ??」

「……は? ってかまて、なんで私の作品が出品されてるんだよ!?」

「アレは私のサイトですからネ! 出品許可は勿論とってありますヨ?」

「アタシは出した記憶もねぇし、聞かれた覚えもねぇぞ!」

 席を立とうとした瞬間、再びスマホを突きつけられてしまう。そこに映っていたのは泥水した私と上機嫌なディオレ、いつもの仏頂面な師匠の三人だった。

「この家を購入した時の映像ですガ、覚えてますかネ?」

「……覚えてる。それがなんだ」

「貴女はこの時に契約したんですヨ。作品を私に譲渡する代わり二、書籍や酒といった嗜好品を譲り受けるト。身に覚えはありますよネ?」

 …………思い出した。確かにそんな契約を結んでいた気がする。でなければあんな高級酒がアタシの部屋にあるわけがない。諸外国の珍しい製法書だってそうだ。


「思い出して頂けたようで何よりでス、ヨル」

「…………それで。なんでアタシのがそんなに売れてるんだよ」

「値段────……というつまらないジョークはさて置キ。売れるのは貴女のファンが居るからですヨ」

「……はぁ?」

「製法技術は同じだとしてモ、細かな所に作り手の拘りというものは宿るものでス。それは配色であったリ、表情であったリ、服のデザインであったリ。実に様々な所に宿っていまス。そういうところに価値を見出シ、好きだと思うからこそ購入していただけていル」

 そこから彼は、私の作品を買ってくれた人からのメッセージをいくつか読んでくれた。熱量高めなものも混じっており、少々恥ずかしくもあったけれど──悪い気はしない。むしろ嬉しい気持ちで一杯だった。


「……なんだよ、ニヤニヤしやがって」

「ニヤニヤしてませんヨ? コレはハッピーなスマイルでス。それに表情の事を言うのなラ──……貴女も随分と良い顔をしていますネ?」

「うるせぇ、アタシはいつだって良い顔してんだよ。……けどまぁ、ありがとな」

「Oh……これはすぐにでも洗濯物を取り込まねばなりませんネ!」

 私がお礼を口にしたのがよっぽど意外だったのだろうか。わざとらしく瞬きを繰り返した後、ぽんと手をうち踵を返してベランダへと向かっていく。

「はぁ? 天気予報じゃ今日は快晴のは……ず……──テメェこの野郎!」



 

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ささくれたつのは指先だけじゃない。 メイルストロム @siranui999

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