【KAC20244】ささくれの痛みはAIにはまだ理解できない

こなひじきβ

ささくれの痛みはAIにはまだ理解できない

 瓦礫と埃にまみれたとある地区。何かの仕事を終えた男と女らしき二人は大きな瓦礫を背にして座り込んでいた。軍服に武装をガッチリと固めた男に対して、女は一切装備をしていない。白すぎる肌に加えて体の所々につなぎ目のような線がある。その上仕草全てに機械的な動きが垣間見える女は、AIシステムで動く機械なのであった。


 二人は体を休めながら自分の体についた煤を落とし、次の仕事について確認している所だった。男が地図を広げるために手袋を外すと、彼は張り詰めていた空気にそぐわない声を上げた。


「っ痛……」


 マスターの異常を感知、という機械音声が女の口から発せられる。彼女は男に確認のため首を回して目線を向ける。

 

「いかがされましたか、マスター」

「ああ、ささくれが出来ていたみたいでな」

「ささくれ?」


 どうやら彼女のデータベースにはささくれという単語が存在していなかったらしい。人間の情報はどんな些細なことでもインプットする、というコンセプトの元に作られた彼女は、男に情報を掘り下げるための質問を開始する。

 

「ささくれ、とは何でしょうか?」

「ほら、ここのところの皮がちょっと剥けちまってるだろ? ほら、指の爪の横っちょのこれの事だ。地味に痛いんだよ」

「軽微な皮膚の剥離の事を人間の間ではささくれと呼ぶのですね、理解しました。私には皮膚が無いので理解不能の感覚です」

「AIにはそうだよな、この辛さはわからないだろうな」


 男は苦笑しながら、鞄に入れておいた軟膏を取り出してケアを始める。男としては話は終わりのつもりだったのだが、彼女の質問はまだ終わらなかった。


「具体的にはどの程度の痛みなのでしょうか?」

「ん? いざ説明するとなると難しいんだよな……何と例えれば良いのかがちょっと浮かばないな」

「それは残念です」


 ささくれの痛みはどうにも他の物には代えがたい独特の痛みを伴う。激しくというよりもじんわりと痛むし、指先は何かと使う事になるため無視できない。その上すぐに直す方法もあまりないといういざなってみると厄介なものである。色々と思考を巡らせていた男だったが、彼女に対して根本的なことに気が付いた。


「つーかお前、そもそも痛覚無いんだからいくら俺の例えがあっても理解できないだろ」

「はい。損傷があった場合は状態の確認及び今後の行動への影響を計算する程度です。四肢を欠損したとしても、作戦に支障が無ければそのまま継続致します」

「……それは俺が嫌だから流石に直すぞ?」


 女の身体は人間と同じ形や作りになっている。いくら行動に支障が無かったとしても、自分の連れの腕が無いままついてくるとなったら流石に気分がよくない。少々痛がりながらも軟膏を塗り終えた男は、ふうと一息つく。その様子を見て、女は更なる疑問を彼に尋ねた。


「しかし……マスターが普段負っているような損傷と比較すると、大したことは無いかと予想されるのですが」

「それがな、実はこれがかなり痛手なもんなのさ」

「手が痛いから痛手、という事でしょうか?」

「……近頃のAIは冗談を言えるようになったのか」

「いえ、冗談で発言したわけではありません」


 AIは基本的に表情が変わらない。今の発言が例え冗談であったとしても、眉一つ動くことはないとされている。数秒間無言の時間が過ぎてから、男が笑い始めた。


「……ははっ」

「私は今、何かおかしなことを言ったのでしょうか?」

「いや、今の漫才みたいなやり取りはちょっと人間臭くて良かったと思うぞ」

「!」

 


 この世界において、量産型のAIロボットは感情を持たない。けれど今ここにいる彼女はどうだろうか。表情は動かないはずなのだが、一瞬だけ彼の発言に目を見開いているように、口が少しだけ空いているように見えた。男の言葉に、人間のような反応を返しているのだ。そんな彼女の様子を慈愛の目で見つめる男に、質問はもう少しだけ続く。


「マスターの喜びの気持ちも、指先に抱えている痛みも……いつか理解できるようになれるでしょうか?」

「そんな風に思えてるお前なら、いつかわかるようになるさ。まあ、俺としては痛みとか辛い気持ちはあんまり知らないままでいてほしいんだが」

「いえ、マスターが感じている事は私も同じように感じたい。それが私の目標です」

「……そうか」


 そろそろ行くか、と立ち上がる男に女は続けて歩き出す。二人の旅路はきっとまだまだ長い道のりになるだろう。



「私のボディにもささくれ機能の実装を検討してみましょう」

「それはいらん」

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