第8話:枯れずの花

この世界で一等美しいものがあるとしたら、

どんな姿をしているのだろう。


+++


リフ・カーフィラが清蘭に到着した翌日。バザールを開くと、大勢のお客でごった返した。

皆一様に、グロワールやスールエでしか手に入らない貴重な品々を買い求め、滅多に見られない異国の品物に目を輝かせた。美味しそうな食品、見慣れない機械、砂漠の向こうの国でしかとれない宝石。中でも女性客の目を引いたのが、グロワールの最新技術を詰め込んだ化粧品の数々だった。美しい装飾が施された陶器のコンパクトに綺麗におさめられたアイシャドウをはじめ、化粧下地やファンデーションなどのベースメイクアイテムも充実している。彩り豊かなアイシャドウのサンプルに、女性客の目が釘付けになった。

「なんて綺麗な色味なの!?さすが、グロワールは技術が進んでいるわ!」

「青のアイシャドウまであるのね!夏場によさそう!!」

「こっちのボルドーも綺麗よ!今の時期にぴったりね!」

「ありがとうございます!グロワールの新作から定番まで、様々なアイテムを取り揃えてますよ!

 今の時期は乾燥しやすいですから、こちらのハンドクリームもおすすめです!お好きな香りをお選びいただけます」

化粧品類を担当するセリンが、陶器の蓋を開けると、ふわりと薔薇の香りがした。中にはハンドクリームが入っており、セリンがサンプルをスパチュラにとり、お客の手の甲に塗布すると、ほんのりと薔薇の香りが上品に花開いた。

「まあ、いい香り!!しっとりしているけれど、ベタつきもないし、とても使いやすそうね!」

「はい!私もつけてますが、夜も乾燥しないので重宝していますよ!」

「そうよね、この時期は乾燥がひどくて……ううん、買いたいものが多くて困ってしまうわ……!!」

一部の女性客が化粧品に夢中になっている一方で、知識を求めるお客はグロワールの最新の書籍に注目した。

「グロワールの魔法科学や、機械技術に関する新刊はありますか?」

グロワール語で書かれた書籍を眺めながらお客が尋ねると、衛士が1冊の書籍を紹介した。

「ええ、こちらですよ。たとえばこちらは、つい最近、グロワールで発明された統計機の仕組みを綴った書籍です」

「統計機……ですか?」

聞き慣れない単語に、お客は首をかしげた。

「ええ。統計機はグロワール王城の技術士が発明した最新の機械で、国勢調査の集計から印刷までを自動で行ってくれるものです。昨日も、清蘭王宮に統計機を納品したところですよ」

「国勢調査の集計を、自動で?!」

「あんなに大変で面倒くさい集計を、機械がやってくれるんですか?!」

「ええ、しかも印刷機能までついています。印刷に関しては、アルファベットを使うグロワールだからこそできる発明ともいえますね」

衛士は手元の紙を1枚とって、お客の前に示した。

「まず調査の際に、穴を開けられる紙を用意します。本当はもっと厚い紙で、グロワールでは『パンチカード』と呼びます。

 国勢調査の際に、それを国民に配って、答えに該当するところに穴を開けてもらいます。男性か女性か、という質問でしたら、男性なら『男性』と書かれたところに穴を開けるんですね。

 そうして回答が終わったパンチカードを回収し、統計機にセットすると、統計機が穴の開いている場所を判別して、その数を数えてくれます。そうして集まった回答を集計して、印刷してくれるのです」

「なんと……!そんなことができるのですか?!」

「ええ。機械は『0』か『1』か、『はい』か『いいえ』かであれば自動で判別できますので、その仕組みを応用した発明です。

 グロワールで行われた実験では、この統計機で集計したところ、結果が出るまでの時間が従来の半分以下になったということです。

 こちらの書籍はグロワール語で書かれていますが、同じ書籍を翻訳士に納品いたしましたので、近いうちに清蘭漢語版も刊行されるでしょう」

「そ、それは素晴らしい……!!グロワール語版で構いません!売っていただけますか?!」

「わ、私も!グロワール語は読めますので、1冊お願いします!!」

「承知しました。こちらは1冊2,500鈴です」

「安い!!友人の分も買おう!!2冊お願いします!!」

「ありがとうございます。では、ご用意しますね」

衛士は在庫を入れた木箱から、真新しい書籍を取り出して、紙袋に包んだ。その奥では、ユバが帳簿に売れ行きを記録していた。

ほとんどのお客は、グロワールが生み出す最新の技術を求めていた。清蘭は自然豊かで、食糧には困っていないものの、教育格差がグロワールよりも激しく、知識は上流階級の国民たちが占有している状態だった。グロワールは50年前に活版印刷が発明されて以降、知識の大衆化が進んでいるが、清蘭や光煌は文字の種類が非常に多いため、印刷が普及していない。書籍も全て手書きで刊行され、手間がかかるため、清蘭では書籍は高級品である。清蘭王宮も国をあげて技術革新に注力しているが、まだまだ発展途上であった。

会計を済ませ、お客に商品を渡すと、お客たちはうれしそうに笑った。

「ありがとうございます、また来ます!!」


+++


そうして何日か営業を続け、本格的に年末が近づいてきた頃。ある日の朝、営業開始前に、ひとりの少女が店を訪ねてきた。身なりのいい少女で、清蘭の漢服をグロワール風にアレンジしたワンピースを着ていた。

「あの、営業開始前にすみません……」

その声に、商品の準備をしていたセリンが振り返った。

「おはようございます、いらっしゃいませ!何をお探しですか?」

元気な声でそう言って笑顔を向けると、少女は少し安堵した表情で微笑んだ。

「え、えっと……私、蒼龍そうりゅう区の林杏シンリンと申します……

 リフ・カーフィラさんに、お願いしたいことがあって、来ました……」

「ご依頼ですね、承知いたしました。込み入ったお話でしたら、よろしければ中へお入りになりますか?」

「は、はい。お願いします……」

林杏はこくこくと頷いた。セリンは借家の応接間に林杏を通すと、ユバに声をかけた。

「ユバ、お客様よ。蒼龍区の林杏様。ご依頼ですって」

「ああ、承知した。まだ営業開始まで時間がある、セリンも同席してくれるか」

「はーい、了解!」

セリンはお茶を淹れに台所へ向かう。ユバは応接間に入り、少し緊張した様子で椅子に座っていた林杏に挨拶をした。

「お待たせいたしました。リフ・カーフィラ、リーダーのユバと申します」

「は、はい!蒼龍区の林杏と申します……!」

林杏は椅子から立ち上がって頭を下げた。ユバはおかけください、と椅子を勧め、林杏はおずおずと座り直す。間もなくセリンが清蘭茶を持ってきて、同じく挨拶をして席についた。

「朝早くから当キャラバンにお越しいただき、ありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか」

ユバがそっと微笑みながら話を促すと、林杏は勇気を振り絞って言った。

「あ、あの……『枯れずの花』を探して、売ってほしいんです」

枯れずの花、その言葉を聞いて、セリンは少し驚いた顔をした。

「セリンは知っているのか?」

ユバがセリンの方を向くと、セリンは真剣な表情で頷いた。

「ええ。『枯れずの花』は清蘭の北、天界山脈のふもとの森のどこかに咲くといわれている花で、『枯れずの花』を使って作った薬は、あらゆる病を治すといわれているわ。いわゆる、万能薬の材料ね」

「万能薬……」

「そうなんです。弟の浩然ハオランが、生まれつき体が弱くて……寒くなって病状が悪化して、お医者様は、もう余命幾ばくもない、来年を迎えられるかも怪しい、とおっしゃっていて……

 あらゆる治療法を試しても、ダメだったんです。でももし、『枯れずの花』が手に入れば、もしかしたら治るかもしれない、と思って……」

林杏はハンカチを両手で握りしめて、懇願するように言った。

「浩然は、ずっと外の世界に憧れているんです。元気になって、一緒に出掛けて、外の世界を見せてあげたいんです。

 お願いします。清蘭に着いたばかりでお忙しいのはわかっているのですが、どうか『枯れずの花』を探して、売っていただけませんか。

 前金も、いくらか用意しています。リフ・カーフィラさんの、グロワールでのご活躍も聞いています。他のキャラバンや冒険者さんには断られてしまって……リフ・カーフィラさんが頼りなんです。お願いします!」

林杏はそう言って、頭を下げた。ユバは考え込んでいたが、セリンはユバに顔を向けた。

「ユバ。私はこの依頼、受けたいわ。もしバザールに影響するなら、私ひとりでもいいから」

ユバはセリンに目を向けて、そうか、と頷いた。

「セリンがそう言うなら、私も付き合おう。バザールはふたりに任せる形になって忙しくなるが、あのふたりならうまく捌いてくれるだろう。

 それに、セリンも林杏様も、昼間でも女性の独り歩きは避けるべきだ。誰かがついていた方がいい」

そう言って、林杏に向き直った。

「林杏様。お話、委細承知いたしました。『枯れずの花』のご依頼、我々でよろしければ、承りましょう」

「ほ、本当ですか!!」

林杏は希望に顔を輝かせた。ユバはそっと微笑んだ。

「当キャラバンでどこまで貢献できるかは計りかねますが、できる限りのことはさせていただきます。可能な限り、至急で対応いたしましょう」

「ありがとうございます!!」

林杏は再び、頭を下げた。ユバが契約書を取り出し、必要事項を書き留めて、サインをする。林杏も契約書に自分の名前を書き、控えを受け取って、前金を渡した。セリンが林杏に尋ねた。

「林杏様、恐れ入りますが、まずは浩然様の症状を確認させていただけますでしょうか。

 私は医師ではありませんが、薬師の免許は持っております。もしよろしければ、いちど現状を確認させていただけますか」

「は、はい!もちろん、大丈夫です。このまま向かいますか?」

「ええ、よろしくお願いいたします。ユバ、いいかしら」

「ああ、構わない。しばらく店を離れることになるだろう、ライテルと衛士さんに話してくる」

「ごめんなさいね、ありがとう」

ユバはライテルと衛士に事情を伝えに外に出た。セリンは外出の準備を整え、カバンを肩にかけて、借家から出て行った。


+++


蒼龍区は、北西の王宮区と東の港区に挟まれた商業区であり、清蘭の中では裕福な家庭が多く居を構えている。港から出た海の先には光煌帝国があり、港には光煌からの交易品が多く出回っていた。

林杏は王宮区と蒼龍区の境まで来ると、そこに建つ大きな家の門を開き、ユバとセリンを中へ招いた。敷地には何棟かの建物が並んでおり、清蘭の中でも裕福な家庭であることが見て取れた。

おそらく母屋であろう2階建ての建物に案内され、中へ入る。まっすぐ2階へあがり、手前の扉を開けると、窓際のベッドに横になるひとりの少年がユバたちに視線を向けた。

「弟の浩然です」

林杏は少年を手で指した。浩然は笑顔を向けるが、その顔にはあまり力が入っていないように見受けられた。林杏は浩然に向けて言った。

「浩然、お客さんだよ。浩然も聞いたことあるでしょ、最強のキャラバン『リフ・カーフィラ』さん。リーダーのユバさんと、同じ清蘭人のセルリタさんだよ」

「……わあ……!」

浩然は目を輝かせた。林杏に促され浩然のベッドのそばに歩み寄るユバとセリンを、ヒーローを見るような憧れの眼差しで見上げた。ユバはそっと微笑んで、お辞儀をした。

「浩然様、お初にお目にかかります。リフ・カーフィラのユバと申します」

「セルリタです。セリンで構いません、よろしくお願いいたします」

「は、はじめまして……!浩然です……!!わあ、リフ・カーフィラさん……本物だあ……!!」

浩然が感激して、ベッドに横になりながら両手を伸ばす。セリンはその手をそっと包み、元気な笑顔を向けた。

「私たちのこと、ご存知なのですね!」

「はいっ……!!リフ・カーフィラさんが、グロワールの黒龍を倒したって聞いて、どんな人たちなんだろうって、ずっと想像してて……!!」

「まあ、ありがとうございます!ユバ、もしかして衛士さん連れてきた方がよかったかしら」

「さすがにバザールをライテルひとりに任せるのは荷が重いだろう……後ほど時間ができたら、衛士さんを呼ぼう」

「えいじさん?」

浩然がきょとんとすると、ユバは優しく微笑みかけた。

「ええ。唐沢 衛士、光煌から当キャラバンに入隊した剣士で、もとは光煌で教師をしていた者です」

「グロワールの黒龍は、彼がトドメをさしたんですよ!!」

「わあー……!!」

浩然はきらきらと顔を輝かせた。林杏は興奮する弟の顔を見て、ため息をつきながらも、その顔はどこかうれしそうだった。

「さ、浩然。リフ・カーフィラさんはお仕事で来ていただいてるんだから、その辺にしましょうね」

「はあい、えへへっ」

ひとしきりセリンと握手をすると、浩然はその手を離した。そしてセリンが自分の体を見ていることに気付くと、掛け布団を開いてどかそうとした。しかし、その手にはあまり力が入っていないようで、うまく腕が動かせない。林杏が掛け布団を剥がして、浩然の足元に寄せた。

「ありがとうございます。ユバ、部屋を暖めてもらってもいいかしら?」

「ああ、承知した」

セリンが浩然の腕の状態を確認している隣で、ユバはすっと目を閉じた。ふわりと、空気が暖かくなる。春の訪れのような気持ちのいい室温で、林杏と浩然は首をかしげた。

「あれ……?なんか、お部屋が暖かい……」

「うふふ。当キャラバンにフラワシがいることは、内緒にしておいてくださいね」

浩然の身体を診ているセリンがそう言うと、姉弟は驚いた顔をした。セリンはそのまま浩然の上半身を開けてみせてもらい、身体に触れて感触を確かめると、礼を言って服を元に戻した。

「林杏様、今までの治療の記録はありますか?もしあれば、直近3か月分の記録を拝見してもよろしいでしょうか」

「は、はい!えーっと……」

林杏は部屋の本棚から記録を漁り、一番新しいノートを取り出した。日付を確認し、それをセリンに差し出す。セリンは礼を言い、ノートを開いて、診療記録をじっくりと読み込んだ。

「……うん、症状に対するひととおりの薬は試されているわね。でも、どれも対症療法で、根本的な治療には至っていない……この薬もダメか……」

「他の治療法では難しそうか?」

ユバが診療記録を覗き込むと、セリンは頷いた。

「ええ、考えられる限りの対策は施されているわ。かかりつけの医師は真っ当な人のようね。清蘭では医療費ばかり高くて治療の質が低い医師も多いけれど、この医師は信頼していい。適切な価格で、浩然様の病状もよく観察されているわ。

 そのうえで、この容態……たしかに、あとは『枯れずの花』を試すことくらいしか、できることはなさそうだわ。

 もし万が一『枯れずの花』でもダメだったら……その時は……」

「……そうか……」

ユバは顎に手をあてて考え込んだ。セリンは診療記録を返し、そのまま林杏に言った。

「ありがとうございました。できる限り急いで、『枯れずの花』を調達してまいりますね」

「は、はい!!ありがとうございます!!」

林杏は希望に顔を紅潮させて、頭を下げた。


その後、少し姉弟と談笑を楽しみ、さっそく『枯れずの花』の情報を集めに家を出た。姉弟の家が見えなくなったところで、ユバはセリンに顔を向けた。セリンはユバの目を見ると、自分と同じことを考えている、そう感じた。

「……やっぱり、よく考えてみたらおかしいわよね」

「ああ。もしも本当に『枯れずの花』が万能薬になるなら、今の清蘭であればとっくに量産体制が整えられているはずだ。

 それが、今の今まで自生したものしか存在しない、となると……よっぽど量産が難しいか、あるいは……」

「……『枯れずの花』の万能薬には、何らかのリスクや、副作用がある」

セリンがぽつりと呟くと、ユバも頷いた。

「そういうことになるだろう。『枯れずの花』は北の天界山脈のふもとにある森の中。それくらいであれば、占いを使えば場所はすぐにわかるだろうが……その前に、『枯れずの花』について、もっと情報がほしい」

「ええ、同感だわ。同時に、『枯れずの花』の万能薬の製法も知りたい。もしかしたら、製法を変えればリスクを回避できる可能性もある」

「そうだな。ではひとまず、王宮区の図書館をあたってみよう。ある程度の情報が集まったら、北区……玄翠げんすい区で少し聞き込みをしてもいいだろう」

「ええ、玄翠区は静かなところだから、古い言い伝えなんかも残っているかもしれないわ」

「ああ。できる限りのことをしよう」

ユバとセリンはまっすぐに、王宮区の通りを歩いていった。


+++


大清蘭王国では、知識は上流階級のもの。清蘭の図書館は、グロワールのように誰でも利用できるわけではなく、利用するには図書館会の会員になるか、会員でない者は入館料を支払う規則になっていた。

入館料を払って、図書館へ入る。広い敷地には、思わず圧倒されるような数の本棚、書籍が並び、図書館独特の紙の匂いで満たされていた。

「私、この国のことは嫌いじゃないけど、グロワールや光煌のように図書館が誰にでも利用できる環境じゃないところは嫌い」

セリンがぼそっとそう呟くと、ユバはふっと微笑んだ。

「そうだな。清蘭はそのあたり、まだまだ伸びしろがあるのだろう」

「ユバって前向きよねえ……じゃ、情報を探すわよ。

 私は薬学の本をあたってみるわね」

「承知した。では私は、植物としての『枯れずの花』について調べよう」

「そうね、お願いしまーす」

ユバに手を振って、セリンは薬学の本が並ぶ本棚へと足を運んだ。この図書館は清蘭国内で最も大きな図書館だが、それでも薬学に関する書籍は、本棚ひとつ埋まらない程度の蔵書しかなかった。清蘭には薬師の数そのものが少なく、そのため非常に多忙である。仕事の合間に本を書いている暇などないのだ。清蘭の薬師は免許をとって以降、ほぼ独学で薬の知識を修めているのが現状である。

セリンはざっと本棚を眺めて、その中でも古びた印象のある書籍を見つけた。それを手にとり、目次を開く。目次の最後の項に、「『枯れずの花』の万能薬」の記載を見つけた。

(―――当たり!)

さっそくそのページを開くと、『枯れずの花』の万能薬の製法が記されていた。セリンはその項を、じっくりと読み込んだ。『枯れずの花』は、茎に薬効があるようだった。茎を乾燥させて粉末にし、そのまま粉薬として飲むか、他の薬にも使われる一般的な丸薬の材料と一緒に練り込んで口に入れる。至ってシンプルな製法だ。他の薬草などと併せて飲むのではなく、本当に『枯れずの花』だけで効力を成しているようだった。

セリンは最後のページに目をとめた。

『枯れずの花の万能薬を使用した者は、みな数日もせず姿を消し、その後見かけた者はいない。ただ残された花だけが、美しく咲き誇るのみである』


植物関連の本棚に向かうと、ユバが分厚い図鑑を開けて読み込んでいた。近づくと、ユバは顔をあげた。

「その顔は、収穫あり、だな」

「せいかーい!そっちは何かあった?」

「ああ。『枯れずの花』の絵が描かれている」

ユバは開いていた図鑑を見せた。説明書きとともに、薄桃色の花弁が何層にも開いた大輪の花が大きく描かれていた。

「これが、『枯れずの花』……まるで牡丹のような花ね」

「ああ、実際に牡丹の仲間だそうだ。茎に薬効があり、茎を切って花を放置しておくと、切り口からまた茎や根が生え、永遠に咲き続けるという」

「えっ……それって……」

セリンが言葉に詰まると、ユバも考え込むような顔をした。

「……ああ。どう考えても、ただの花ではない。魔性のものでなければいいが……」

ユバは図鑑を閉じ、本棚に戻した。セリンが見つけた製法をユバに話すと、ユバは頷いた。

「なるほど。製法にはとくにおかしなところはなさそうだな」

「ええ、製法はとてもシンプルだったわ。……最後の文面も気になるし、やっぱり『枯れずの花』には、何かあるんだと思う」

「ああ、そうだな。玄翠区での聞き込みで、何かわかればいいが……

 今から玄翠区に行けば、着く頃には夕方になってしまう。今日のところはバザールに戻り、明日の朝早くに出発しよう。天界山脈には魔物も出る、セリンは槍を持って行くこと」

「そうね、了解」

ユバに頷いて、ふたりで図書館を後にした。


+++


翌日。ユバとセリンは朝早くに北へ出発し、森のそばにある村まで足を運んだ。

静かな農村で、眼前に聳える天界山脈から流れる水を使い、様々な作物が育てられている。至る所にある畑で、村の人々がそれぞれ作物を収穫したり、畑の世話をしたりと、仕事に精を出しているのが見えた。息を吸うと、冬の冷たい空気の中に、畑の香りを感じた。

セリン辺りを見渡して、近くにいた農夫に声をかけた。

「こんにちは!恐れ入ります、少しお話を聞かせていただきたいのですが」

農夫は畑の土を荷車に乗せる手を止めて、顔をあげて微笑んだ。

「ああ、アンタらはキャラバンの人だな。こんな隅の村になんの用だい?」

「お仕事中恐れ入ります」

セリンはぺこりと頭を下げて、本題を切り出した。

「私たち、『枯れずの花』を探してここへ来たのですが……」

そう言うと、農夫の表情がすっと消えた。

「……アンタら、『枯れずの花』をお探しかい」

「え、ええ。お客様のご家族が重い病で、『枯れずの花』を探して売ってほしいとご依頼を……」

「そうかい。そのお客さんには気の毒だが、悪いことは言わない、やめた方がいい」

農夫はスコップを荷車に立てかけて、くいっと親指で道の先を指した。

「村長なら、『枯れずの花』についてよく知ってる。知りたいなら、ついてきな」

「あ、ありがとうございます!」

セリンとユバが礼を言うと、農夫は村長の家へふたりを案内した。


村長の家は、小高い丘の上に建った立派な屋敷だった。屋敷の後ろには果樹園が広がっている。農夫はセリンとユバを玄関まで案内すると、家の脇の窓を叩いた。

「そんちょおー!『枯れずの花』をとりに来たキャラバンが話を聞きたいってよー!!」

農夫が家の中へ向かって声を投げかけると、家の奥からぱたぱたと、足音が玄関に近づいてきた。

「じゃあな、俺は仕事に戻るよ」

「はい!ありがとうございました!」

敷地を出ていく農夫に、セリンとユバは一礼して礼を言った。ほどなくして玄関の扉が開かれ、40代ほどの女性が顔を出した。セリンはぺこりとお辞儀をした。

「お忙しい中恐れ入ります。私ども、キャラバン『リフ・カーフィラ』のセルリタと、こちらはユバと申します。

このたびお客様から『枯れずの花』の採取依頼を受け、この村へ参りました。

村長様が『枯れずの花』についてお詳しいとのことで、よろしければお話を伺わせていただきたいのですが、いかがでしょうか」

女性はそれを聞き、あらまあ、と声をこぼすと、家へ招き入れた。

「キャラバンの方がこんな隅の村まで、ようこそお越しいただきました。

 どうぞ、お入りください。温かいお茶をご用意いたします」

「ありがとうございます!」

女性はふたりの足元に、内履きを差し出した。清蘭では基本的に靴は脱がないが、この辺りは農村のため、土汚れが家に入らないよう、靴を脱ぐ慣習があるようだった。ふたりは靴を脱いで、内履きに履き替えた。

上質な赤茶色の木目が美しい廊下を往き、女性はやがてひとつの扉を開けた。

「お父さん、お客様ですよ」

そう言って、ふたりを招き入れた。応接間らしき部屋には、顔に深い皺が刻み込まれた70代ほどの老人がひとり、真剣な表情でこちらに視線を寄せていた。セリンはそっと左手の拳を右手で包み、軽く頭を下げた。

「失礼いたします」

そうして、部屋に入った。ユバも同じく拱手をして一礼するが、その手は袖で隠していた。

改めて挨拶をすると、村長が椅子を勧める。ふたりで礼を言い、静かに着席した。先ほどの女性が温かい清蘭茶を出し、下がっていくと、村長はふむ、とひとつ唸った。

「キャラバンが『枯れずの花』を求めてくるとは。目的は商品化かね?」

「いえ、お客様からのご依頼です。ご家族の病気を治すために、『枯れずの花』をお求めとのことでした」

「……そうか」

村長はまっすぐ、ふたりの目を見つめた。少しだけ静けさが顔を出し、やがて村長は頷いた。

「……どうやら、その言葉に嘘はないようだな。商品として世に出すというのなら、村をあげて止めにかかっていたところだ」

「……と、おっしゃいますと、やはり『枯れずの花』には、何か危険があるのでしょうか」

おずおずとセリンが聞くと、村長はうむ、と頷いた。

「単刀直入に言おう。

 『枯れずの花』を摂取した者は、数日後に魔物と化す」

「えっ?」

「…………!」

セリンとユバは、目を見開いた。村長は、ゆっくりと話し出した。

「たしかに、『枯れずの花』には薬効がある。あらゆる病を治し、病人に束の間の希望を与えるだろう。

 だが、あれは悪神アルワムの加護を受けた花。摂取した者は数日の後に植物の魔物と化し、『枯れずの花』を持って森へ帰っていくのだ。

 そうして森の中で、永遠の時を過ごす。北の森には、かつて人間だった魔物たちがひしめいて、『枯れずの花』を守っているのだ」

「そんな……」

セリンは声を詰まらせた。『枯れずの花』を使えばたしかに病は治るが、数日後には魔物と化す。林杏が聞いたら、きっとひどく悩むだろう。セリンが服の裾をきゅっと握りしめていると、ユバが口を開いた。

「……お話しいただき、ありがとうございます。

 いずれにせよ、『枯れずの花』は採取し、お客様のもとへお渡しします。効能と……『副作用』について充分に説明し、あとはお客様とご家族の判断に委ねる所存です」

「ああ、それがいい。北の森はかなり広い。迷わないようにな。

 生息する魔物たちも強いが、リフ・カーフィラは強いキャラバンだと聞いている。問題はないだろうが、用心して行くといい」

「承知しました。お気遣い、ありがとうございます」

ユバの言葉を受けて、セリンは顔をあげた。そうだ、選ぶ権利があるのは林杏と、浩然本人なのだ。あの家族が、浩然が、後悔しない選択をすることができるように。

(『枯れずの花』を、持ち帰ろう)


+++


道を切り拓きながら、セリンとユバは森の奥へと入っていく。人々もあまり出入りしない森は荒れ放題で、背の高い植物が雑然と生い茂っている。冬の森の冷えきった香りが鼻を掠めては離れていく。鳥の鳴き声ひとつしない、静かな森を進んでいく。ユバの占いであらかじめ目星をつけた『枯れずの花』の咲く場所へ、迷わずまっすぐに向かっていく。

ふと、魔の気配を感じた。同時に、眼前の木がひとりでに動いて、道を塞いだ。

セリンは、その木の姿に息を吞んだ。ゆらゆらと枝を揺らすその木の幹には、人の顔が埋め込まれていた。その顔の表面は木の皮に覆われているが、その表情は苦痛に満ちており、僅かに揺れ動いているようにも見えた。

気づけば、周囲の木々や植物の塊は、皆一様に人の顔が浮かび出ていた。その表情に深い苦しみを抱えて、眼球のない目はふたりをじっと見つめているように見えた。

「なんなの、これ……!!もしかして、この魔物たちは……」

「……ああ。『枯れずの花』で病を治し、魔物と化した人々だろう……」

槍を構えながら、セリンはぞっとした。これほどの数の人々が、万能薬を求めて、魔物に姿を変えてしまったのだ。気づけば、視界を埋め尽くす植物その全てが、『枯れずの花』の魔物たちになっていた。

魔物たちは、ふたりを囲んで動かない。しかし、そのうちの1体がゆっくりと動き出し、セリンに向けて枝をのばした。

「っ!?」

セリンはその枝を斬り落とそうと構える。しかし、ユバがそれを制した。

「待ってくれ、セリン。少し様子を見てほしい」

「えっ?」

セリンは驚いて動きを止めた。その間に、枝は槍の穂先を絡めとった。

そして魔物は、自分の顔のある場所へ、その穂先をあてがった。眼球のない目の窪みから、樹液がほろほろとにじみ出て、頬を伝う。それは涙のように見えた。

「―――――っ!!」

セリンは心臓を掴まれたような心地を覚えた。泣きそうになるのを、必死でこらえた。周囲の魔物たちも、襲いかかる様子は見られない。

殺してほしいのだ。もう終わりにしてほしいのだ。魔物と化した者たちが、死という救いを求めているのだ。

セリンは、槍をおろした。目の前の魔物はなおも、槍の穂先を自分に当てている。魔物たちは小さく、うめき声をあげた。救いを求めるうめき声だった。

「……ユバ、お願い。あなたの炎で、焼いてあげて」

「……いいのか?」

「ええ。フラワシの炎は聖なる炎。あなたの炎で焼いてあげた方が、きっとみんな幸せになれるわ」

「……承知した」

ユバは魔力を高める。セリンは絡みついた枝をそっと取り、目の前の魔物の頬を撫でた。

「大丈夫。あなたたちの魂は、フラワシが天へ導いてくれるから」

やがて、魔物たちの体の葉が、ひとりでに発火した。その葉に灯った炎が、紙を燃やすようにゆっくりと、魔物たちを包んでいく。魔物たちは動かなかった。ただじっと、聖なる炎が、救いの炎が己を焼くのを、待ちわびているようだった。

ぱちぱち、火のはじける音とともに、周囲から声が響いた。

「……あリ、ガトウ」

「アリガトウ」

「ありがとう―――」

魔物たちは涙を流して、身を焼く炎を享受した。その顔からは苦痛が晴れ、救われたような笑顔を浮かべていた。セリンは耐えきれず涙を流し、しかし燃えゆく彼らを目に焼き付けるように、最期までしっかりと見届けた。


やがて炎が燃え尽きると、辺り一帯が灰となった。一帯を覆いつくすほどの魔物がいたのだ。

魔物たちの灰は風に乗って、静かに舞い上がっていった。

道が開けたその先には、牡丹のような大輪の美しい花が1輪、ぽつんと佇んでいた。


+++


『枯れずの花』を挿した一輪挿しを林杏に届け、事の次第を説明すると、林杏は顔を青くした。

「か、『枯れずの花』で……魔物に……?!」

「ええ。……北の森には、『枯れずの花』で魔物になった人々が、苦しみの表情でひしめいておりました。

 その身が焼かれるその日まで、魔物として苦しみながら、永久に近い時を過ごしてきたのだと思います」

「そんな!だって、『枯れずの花』がなければ……浩然は……」

林杏はがたがたと震えて、『枯れずの花』を凝視していた。セリンは心苦しさを覚えながらも、動揺する林杏に、丁寧にお辞儀をした。

「林杏様。ご依頼の『枯れずの花』、たしかに納品いたします。

 ……どうか、慎重に。よくお考えください」


リフ・カーフィラが去ったあと、林杏は手にした『枯れずの花』から目を離せずにいた。服用した者が魔物になるなんて。どうしたらいいのだろう。このまま残り少ない日々を過ごして、人として死んでいくか。束の間でも病を治して、魔物と化すまでの間、幸せに過ごすか。

(浩然にとって、どちらが幸せなんだろう)


林杏は浩然の部屋の扉を開ける。ベッドの上の浩然は、横になりながら、ぱっと顔を輝かせた。

「わあ……きれいなお花だね……!それが『枯れずの花』なの?」

林杏は、浩然のその笑顔を見て、自分もうっすらと笑顔を浮かべた。

「……そうだよ。これが、『枯れずの花』。これがあれば、どんな病気も治るの―――」


+++


それから数日が過ぎ、1月1日。新年を迎えた朝、リフ・カーフィラは4人で顔をあわせ、挨拶をした。

「おはよー!!あけましておめでとうございます!!」

「あけましておめっとー!!」

「やあ、あけましておめでとう。今年もよろしく」

「みんな、あけましておめでとう。今年もよろしく頼む」

「さーて!張り切って餃子作るわよー!!」

セリンは腕を捲って気合を入れ、台所へ向かおうとした。それと同時に、借家の扉がノックされた。

「ん、お客さん?はーい」

ライテルが玄関の扉を開けると、そこにいたのは林杏だった。

「お、おはようございます……」

「これは林杏様、あけましておめでとうございます」

ライテルの後ろからユバが挨拶する。林杏の声を聞きつけて、セリンも台所に向かおうとした足を返して、玄関に向かっていった。

「あけましておめでとうございます。昨年はありがとうございました。

 ……今日は、ご報告に」

林杏は挨拶をすると、ユバとセリンを見て、少しだけ微笑んだ。

「……昨日、浩然が、天へ旅立ちました」

「…………!」

セリンは少し、息を吞んだ。

「『枯れずの花』は、結局使いませんでした。

 浩然の部屋から、私たちの会話が聞こえていたみたいで……浩然は『枯れずの花』の美しさを愛でながらも、『薬は飲まない』と言って、人として最期を迎えることを選びました」

「そうでしたか……」

ユバとセリン、ふたりから話を聞いていたライテルと衛士も、哀悼の意を示した。

「ご冥福を、お祈りいたします」

「ありがとうございます」

林杏はぺこりと頭をさげて、うれしそうに微笑んだ。

「やれることは全てやりました。『枯れずの花』も取ってきていただいて……でも、浩然が人としての死を選んで、天国に向かったなら、私も浩然も、後悔はありません。

 このたびは依頼を引き受けてくださり……本当に、ありがとうございました」

「……それはよかった。後悔のない死を選べたならば、それはとても幸福なことです。

 林杏様も、浩然様の分まで、多くの幸せを掴んでください」

「はいっ!!」

林杏はユバの言葉に、笑顔で応えた。大切な家族を失っても、懸命に前を向いて生きようとする。その姿は、どこか眩しく見えた。


+++


『枯れずの花』は今日も美しく、一輪挿しに挿されて大輪の花を咲かせている。薄桃色の花弁が、林杏の書き物机の上を彩っていた。

リフ・カーフィラから買った『枯れずの花』は、林杏の家で大切に飾っておくことになった。この先『枯れずの花』を求める者が現れても、人か魔物か、病に伏せる者がその最期を選べるように。

人を魔物に変える呪いの花も、こうしてみれば、ただの一輪の美しい花。そこに悪神の加護があろうとも、『枯れずの花』はただ静かに、瑞々しく咲き誇っていた。

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リフ・カーフィラ 静絽鏡 @Arknawayor

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