テープちゃんとはさみちゃん

水白 建人

第1話

 テープちゃんったらべたべたしてくるの。

『わぁぁん……! はさみちゃぁん!』

『はー、またおとこのこにたのね。なちゃけないこと』

 涙なんかちっとも出ない文具のくせに泣き虫で、ちょっと助けられたからってあたしのことお友達みたいに思っちゃって。

 お指がささくれたテープちゃん。

 心がささくれたあたし。

 まるで合いそうにないでしょう?

 なかなかそうでもなくってよ。

『あなたたち、まちなちゃーい!』

『でたーカニおんなだー! ひゃーっ!』

『なんでグーじゃかてないんだよー!?』

『あたまをおだあそばせ! パッツパツンにちゃあげてよ!』

 おかげで幼稚園では楽しませてもらったわ。

 小学生になってからは、そうもいかなくなったのだけれど。


 左手の甲を差し出して、テープちゃんはお願いしてたわ。

「こっちがまだ使えるから……利き手は、やめて」

「おう。ありがとなテープちゃん」

 そう言って男の子はテープちゃんのお指のささくれをめくる。

 テープちゃんはセロハンテープの文具だから、めくられたささくれはじゃない。

 きちんとくっつくテープでしてよ。

「あ、テープちゃん。ワタシもテープ、使わせてほしいなー」

「おれもおれも!」

 また始まったわ。

 テープちゃんったら泣き虫じゃなくなったのはいいのだけれど、すっかり気弱な女の子になっちゃって、断れないのよ。ああいうの。

 一年生の頃からずっとささくれをめくられてたわ。

 めくられすぎて、いつの間にか左手の小指がなくなってたわ。

 左手の薬指がなくなった次の日には、学校を休んだこともあったわ。

 たったの一回だけでしてよ。

 それっきり、テープちゃんは毎日欠かさず登校してるの。

 今日は――左手の人差し指をめくられてるわ。

 血は出ないし、痛くもないの。文具だから。

 セロハンテープがたくさんほしい人には、ああやって、

「いっせーのー……でっ!」

 肩に届くくらいささくれをめくられるのよ。

「サンキューな」

「う、うん」

「次はワタシね?」

「というかさー、テープちゃんえらいよねー。みんなが使いやすいように服装にも気をつけてるんだもーん」

「それな」

「いいノースリーブだね……」

 あとからやってきた男の子がふとテープちゃんの肩に触ろうとしたわ。

 がまんできるわけない。それだけは、だめ。

「ごめんあそばせ」

 あたしは座ってた椅子を倒しながら立ち上がったわ。

 そして、あとからやってきた男の子のお指をチョキではさんだの。

「ささくれがあるのはお指のほうじゃなくって?」

「ひぇ、はさみ……!?」

「いやらしいこと」

「やめなよはさみー」ふまじめな女の子が笑う。「文具にそういうの通用しないってー」

「どんなものにも間違った使い方はあってよ」

「というかさー、テープちゃん見習ったら? はさみが使わせてくれないせいで、図工のときいっつも先生に注意されるんだけどー」

「むかっ!」

「ぁ、あのっ、はさみさん……」

 あとからやってきた男の子がおどおどしてる。

「ぼく、テープちゃん使わなくても大丈夫になったから、さぁ……ね?」

「あらそう」

 あたしはチョキをやめたその手でテープちゃんの左腕をつかむ。

「じゃあ次、あたしに使わせてちょうだいな。こっちよテープちゃん」

「え、でもはさみちゃんは別に――」

「いいから来て」

 あたしはテープちゃんを連れて教室から廊下に出たわ。

 チャイムが鳴ってもお構いなし。

 女の子のトイレの手洗い場に着いたらすぐにあたしはテープちゃんに言ったわ。

「もうやめたらどうなの? 返す気もないのに使ってくる子たちばっかりじゃない」

 テープちゃんは首を横に振ったわ。

「私、文具だもん。使われないのはおかしいよ」

「そんなことなくってよ。はー、ひどい肌荒れ……」

 このままささくれをめくられ続けてたら、どうなるのかしら。

 お指どころか、左腕――いいえ、もしかしたら左半身がなくなってしまいそう。

「見てられないわ。あたしに頼って、テープちゃん」

「はさみちゃん……できないよ」

「そんなはずなくってよ!」

「私、ひとり立ちできるようになりたいの。私を助けてくれたはさみちゃんみたいな、かっこいい文具に」

「テープちゃん、あなた……」

「授業始まっちゃう。先に戻るね」

 あたしの手を優しくほどいて、テープちゃんは来た道を戻ってしまったわ。

 テープちゃんったら無理にほほえんだりして、あたしをごまかせるわけないじゃない。

「……どうして離れようとするのよ」

 お指がささくれてくテープちゃん。

 心がささくれてくあたし。

 二度目のチャイムが廊下にひびく。


 あたしは職員室でうったえたわ。

「セロハンテープくらい学校で用意できませんこと!?」

「静かにしなさい。職員室だぞ」

 教頭先生は机に向かったまま言ったわ。

「用意なんかとっくにしている。忘れた生徒にはきちんと貸し出されているはずだ」

「そんなのっ、うそに決まってますわ」

「なぜだね?」

「テープちゃんですわ」

「――ほぉ」

「あたしのクラスのテープちゃんがあんなにも使われてますもの、教頭先生だってひと目見ればおわかりになりましてよ」

「見なくてもいい」

 教頭先生がゆっくり、あたしに冷たいまなざしを注いだ瞬間でしてよ。

「必要とする生徒に使われている。正常だ。おかしいかね?」

「本気で、言ってますの?」

「とても文具らしいではないか」

 ひどい。

 文具は涙を流さないし、出血もしないわ。

 けれど、けれど! みんな文具に対して血も涙もないわ! 人間なのに!

「ああ、それと……使えない文具は捨てるしかないんだ。気をつけるんだぞ?」


 放課後までどう過ごしてたのだろう?

 とにかくあっという間だったわ。

 あたしはスニーカーにき替えたところのテープちゃんをつかまえて、逃げるように学校を飛び出したの。

「はさみちゃん? ねえ、はさみちゃん!?」

 答えてあげることもできなくて。

 ようやくテープちゃんに話ができるようになったのは、あたしのおうちの玄関を後ろ手に閉めたあとだったわ。

「はっ……ぁ……おどろいた、でしょうね……」

「はさみ、ちゃん……どうして急いでたの? はさみちゃんのパパとママは?」

「お父さまはお仕事……はー」あたしは息を整える。「今日はお母さまもそう。急いでたのは、その……テープちゃんのせいよっ」

「私?」

「階段上がって。ほら、電気はつけたから」

 テープちゃんはあたしのお部屋をわかってる。

 だからあたしは先にテープちゃんを二階に上げて、しばらくしてからあたしのお部屋で合流したわ。

「お待たせテープちゃん」

「はさみちゃん、それは?」

 あたしのベッドの上に腰かけてたテープちゃんが不思議そうに聞いてきたわ。

「ビニール袋がはちきれそう。けて見えるのってタオル?」

「バスタオルよ。夜のお外は寒いもの」

「なんのこと?」

「いい? テープちゃん。これからあたしたち、旅に出るわよ」

 テープちゃんがきょとんとしてしまったけれど、あたしは思いきって続けたわ。

「ひとつはこれ以上、誰にもテープちゃんを使わせないため。もうひとつはテープちゃんがなくしてしまったお指を治すためよ」

「……どうして?」

「それはあたしのせりふよ! ささくれをめくられて平気? いいえ、ずっとそばで見てきたあたしの心がこんなにもささくれてるのっ。好き勝手に使われ続けてるテープちゃんがつらくないはずなくってよ!」

「私は……でも、文具だもん」

「文具でもっ!」

 あたしはいたたまれなくなってテープちゃんに迫る。

 手にげていたビニール袋を横に投げて。

「お友達なの! いっつも優しくて、守ってあげたくなるくらい愛らしい子だからっ、だからあたし……」

「はさみちゃん、どうして怒って――――」

 しょせん人間のまね。

 文具がふたつくっついただけ。

 彼ら彼女らはそう思うでしょうけれど、あたしの知ったことじゃないわ。

「――――キスなら、わかっていただけて?」

 ささくれてた心がうるおってくのを感じる。

 だからそれは、好きな子にささげる告白とおんなじなのよ。

「テープちゃんのささくれはあたしがチョキで整えてあげる。誰にもめくらせないわ」

「あ……はさみ、ちゃん」

「近づこうとする人はみんなパッツパツンにして差し上げてよ?」

「私にべたべたされるの、いやだって言ってたよね……?」

「いやよ。ただ、テープちゃんがつらい思いをしてるのはもっといや。お願いだから、あたしだけをくっつけて……?」

 あたしはキスを繰り返したわ。

 気がすむまで言葉のいらない愛を伝えてから、あたしたちがやるべきことを話したの。

「テープちゃんのおじいさま――ニテバンさんならきっとお指を治してくれるわ。セロハンテープだけじゃなくって、ばんそうこうも作ってるお人だもの。会いに行くわよ」

「私とはさみちゃんだけで?」

「そうよ」

「おじいちゃんのところまでは遠いよ?」

「準備ならすぐにできるわ」

 あたしはバスタオルを詰めたビニール袋に視線を走らせる。

「そのために選んできたのよ。テープちゃんはバスタオルあれをかけてあるバッグに移して」

「う、うん」

「あとは非常用の持ち出しリュックをあたしが背負っていけば完璧だわ。中に片道切符を買うくらいのおかねもあってよ」

「本当に……ふたりで行くの?」

「誰にもじゃまされたくないもの」

「はさみちゃんのパパとママが心配するよ?」

「書き置きしておけば充分でしょう。わかってくれるわ」

 それからあたしたちは持ち物をそろえたわ。

 テープちゃんにはあたしのクローゼットからよく似合う長袖を選んで着せて、お指のささくれがめくられないようにしたわ。

 そんなあたしたちがお外に出たのは夕暮れどき。

 燃えるような空に見送られるなんて、愛のとうこうにはぴったりでしてよ。




「教頭先生」

「朝っぱらからなにかね? ……セロハンテープの補充? もう使いきったのか」

「いえ、それがみたいでして」

「ほぉ? まあ、仕方ない。追加の発注をしておきなさい。いつものニテバンさんなら安くすむだろう」

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テープちゃんとはさみちゃん 水白 建人 @misirowo

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