【KAC20244】ある種の信用

ながる

男爵、狙われる

 さて。預かると言ったものの、どうしよう。

 男爵のモノクルは古びてシンプル。だからといって雑に扱っていいものでもないだろう。本来ならケースに入れて引き出しにでもしまっておけばいいのだろうが……


「部屋の鏡台じゃあ、ちょっと心許ないし……」


 鍵もついていなければ、自分の物でもない。理由をよく知っていそうな館長に預ければいいのに、と、思わなくもないけど。

 部屋に戻ってから、全体を柔らかい布で拭いてランプの明かりにかざしてみる。

 レンズを覗いてもあまり世界は変わらない。度もそうきつくないようだし、装飾もない。刻印も、家紋も見当たらない。あの箱にたくさん入っていた、量産されたものの一つに見える。

 どうしてこれが『当主を継ぐ証』なんだろう。

 どれだけ角度を変えて眺めて見てもわからなくて、しまいには自分の指のささくれの方が気になる始末。

 水仕事多いしね……こんなんで、いくら着飾ったとしても誤魔化せるわけがない。

 ダンスのステップくらいは師匠に習ったからわかるんだけど、男爵はダンスのダの字もださないな。何か、理由をつけて踊らないつもりなんだろうか。それならそれで気が楽なんだけど。ステップを知っているのと、上手く踊れるかはまた別物だから。

 あれこれ悩んで、ベルトに下げる小物入れに入れておくことにした。ドレスを着た時は……また考えよう。




 夜の営業中は基本、いつもの人たちが清掃に入る。私はシーツの在庫を確認したり、アイロンをかけたり、手の空く時間も多い。そうして、日付が変わる前には滞在部屋に戻れる。

 今日は泊まり客が多いので、早々に「上がっていいよ」と言われてしまった。変な話だが、男爵の城にいる時より断然いい食生活と待遇な気がする。あっちを辞めて、こっちで働いた方がいいのでは?

 そんなことをつらつら考えながら曲がり角まできて、人の気配に慌てて数歩下がった。もう一度そっと窺ってみれば、若い男性客がキョロキョロしている。

 酔っぱらってて、部屋が判らなくなったんだろうか。ってか、なんで部屋から出たの?

 酔客は意味不明な行動をとる人もいるけれど……

 男は意を決したように、とあるドアに手をかけた。もう一度辺りを窺ってから、そっとノブを捻り、素早い身のこなしでその中へと消えて行った。


 反射的に男の後を追う。

 そこは男爵の部屋だ。まだ起きていればいいけれど、意外と早く寝てしまうこともあるから。

 勢いのまま押し開こうとしたドアは、ガタリと音を立てただけだった。引いてももちろん開かない。

 鍵をかけられてる!?

 ドアの向こうで「ぐっ」と男のくぐもった声が聞こえて、妙な焦りが湧いてくる。


「男爵!」


 私は彼の護衛まで任されているわけではない。

 それでも雇い主の生死は今後の身の振り方に大きく関わるわけだし。

 一度ドアから少し離れ、蹴り開けようと足を振り上げる。

 と、さっきまでびくともしなかった扉が、するりと開いた。足の勢いは止まらない。


「……ちょ……」


 盛大に踏み込みをした人みたいになって、バランスを崩す。そのまま二歩三歩と部屋に入り込んでいって、誰かにぶつかった。


「あれぇ? 今夜はいやに情熱的だね? 僕は添い寝はいらないけど、寂しいなら一緒に寝てあげても……」

「そうじゃない!!」


 のんきな男爵を押しのけて、部屋の中を確認する。ベッドに机、クローゼット。机の前の椅子が斜めになっているので、そこに座っていたんだろうか。その椅子のさらに手前に男が倒れていた。うつぶせで顔は見えないが、さっきの男だろう。手にナイフを握ったままだ。

 男爵を振り返れば、彼は悪戯が見つかったのに白を切る子供のように肩をすくめた。


「……うーん。酔っぱらってるのかな?」


 念のため確認すれば、額の真ん中に小さな穴が一つ。

 私が言うことじゃないけど、のほほんとしながら容赦はないのよね……


「心配して来てくれたんだろう? ピアは優しいなぁ。まあ、でも、もう遅いから、部屋に戻ってゆっくり休むといいよ。また明日ね」

「……これ、どうするんですか」

「うん。地下から運び出すから」


 今男爵がかけているモノクルは量産品のそれだけど、ぱっと見は判らない。その奥でにこにこと細められていた目が、わずかに横を向いた。

 音を立ててドアが開き、ごつい手がモノクルに伸びてくる。

 私がスカートの下のナイフに手を伸ばすより早く、男爵の手は引き金を引いた。

 

 強盗の足を狙ったのかとも思ったのだけど、倒れかかってくる男をひょいと躱した男爵の手にはもう何もなく、男の額には小さな穴がひとつ。

 背筋に寒いものが駆け上がって、小さく震えた私を見ていた男爵は、薄く笑んだままドアを押さえ、その外へ向かって優雅に腕をひと振りした。


「今日は客が多いね。落ち着かなくてごめんよ。おやすみ」


 誰も見たことがないという男爵の射撃。見た者は全員額に穴を開けられたのでは?

 それを私に見せるのは、脅しの意味もある、ということ?

 ぎくしゃくと彼の前を通り過ぎる時、不意に腕を掴まれた。反射的に振り払ったのだけど、男爵はきょとんと間抜け顔でもう一度手を差し出した。


「な、なに?」

「手。ちょっと見せて。だいぶ荒れちゃってるよね? 手袋は用意するけど……」


 うーん、とささくれた指先を見つめて、しばし考え込む。


「あ。ごめん。明日は仕事お休みさせてもらうよう言っておくよ。ドレスの試着もしなきゃだしね」


 そう言って私を押し出すようにしながら自分も出てきて、そのまま行ってしまった。今しがた二人の人間に襲われたとは思えない、のんきな足取りで。

 気の抜けるような雰囲気が戻っているけど、たまに見せる得体の知れなさはなんだろう。『歌わない歌姫』もだいぶトリッキーだと思っていたけれど、アレはそれ以上だ。

 じっと荒れた手を見つめる。


 銃口を突き付け合うような緊張感?

 そうじゃない。

 私がどれだけそれを突き付けても、彼の銃口は私に向かない。向かいないのだ。

 私が彼のメイドでいる限りは。……なぜ、という疑問と隣り合わせで。




 ベッドにもぐる寸前、館長がやってきて、娼館で使っているというハンドクリーム(高そう)を分けてくれた。

 男爵のおかげなんだろうけど、館長もそうとは言わないし、お礼は館長だけに言うことにする。




*ある種の信用 おわり*

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