【KAC20244】あなたが塗ってくれたハンドクリーム

下東 良雄

あなたが塗ってくれたハンドクリーム

「さてと……夕ご飯の準備でもしようかな」


 私は山田やまだ澄子すみこ、もうすぐ四十路。

 黒髪ボブでちょっとだけぽっちゃりかな?

 高校二年生の娘・幸子さちことふたり暮らし。

 でも、最近は週末だけ三人暮らしなのです。


 ぴんぽーん


 あっ、来たかな?


「はーい」


 ガチャリ


「こんばんは、澄子さん」

「いらっしゃい、高橋くん。さぁ、どうぞ」

「お邪魔します」


 笑顔で家に迎え入れたのは、幸子の彼氏・高橋たかはし駿しゅんくん。

 幸子の同級生で高校二年生。身長一八〇センチの長身で、少し茶髪のポニーテール。誰がどう見てもイイ男でイケメン。

 彼は両親がおらず、一人暮らし。身体にちょっとした問題を抱えており(通常の生活は問題なく送れる)、私からの提案もあり、今は週末だけウチに来て、家族の一員として接している。


「ごめんね、さっちゃん今買い物に行ってもらっていて」

「あぁ、そうだったんですね」

「私が買い忘れたものがあって、そしたら『私が行ってくるからいいよ』って……高橋くん、来ちゃうよって言ったんだけど……」

「はははっ、お母さん想いのさっちゃんらしいですね」


 キッチンのテーブルで高橋くんとおしゃべりする私。

 高橋くんは、私のようなオバサンが話し相手でも嫌な顔ひとつしない。

 本当に優しい男の子だ。


「そうそう、実は今日、澄子さんにプレゼントがあるんです」

「えっ、私に?」

「はい、澄子さんに」


 にっこり微笑む高橋くん。

 バックパックから淡いピンク色のギフトバッグを取り出した。


「はい、どうぞ」


 高橋くんは、私の前にギフトバッグを置いた。


「開けていいかしら……?」

「もちろんです」


 笑顔の高橋くんを前にギフトバッグを開ける私。

 中にはミルキーライン(化粧品メーカー・個性堂の高級ブランド)のハンドクリームが入っていた。

 私は、何となくそのまま手を隠した。


 普段は在宅ワークの私だけど、時折会社に出勤する。

 その時、隣の部署の課長さんに必ず言われる言葉がある。


『いつ見てもガッサガサでババァの手だな。気持ち悪ぃ』


 そんなの自分が一番分かってる。

 ガサガサで、あかぎれだらけで、ささくれ立ってて、シワシワで……


「澄子さん、手を出して」

「えっ……わ、私の手は……」

「いいから。早く」


 高橋くんの前に恐る恐る手を出す。

 私は震えを止めることができなかった。

 そんな私の手にそっと触れる高橋くん。


「オレ、やっぱり澄子さんの手、すっごい好きだな」

「えっ、こんなシワシワの――」

「娘にお金を回すために化粧品も買わず、毎日一生懸命仕事に、家事に頑張ってきた優しいお母さんの手。すごく暖かいです」


 彼は何の下心もなく、私を肯定してくれる。

 ババァの手、課長さんの言う通りだと自分でも思う。

 でも、そんな手を愛おしく触れてくれる高橋くん。


「こんなオバサンおだてたって、何も出ないわよ」


 笑う私に、高橋くんは不満気だ。


「澄子さん、自分のことをオバサンって言わない約束ですよね?」

「あっ……」

「澄子さん、もっと自分に自信をもってください」

「わ、私は美人じゃないし――」

「とても魅力的な女性ですよ」


 歯の浮くようなセリフを高橋くんは真剣に言ってくる。


「じゃあ、もっと魅力的になるようにしましょうか」

「えっ?」


 私の右手を取り、手の甲にハンドクリームをそっと出した。


「はい、じゃあ塗りますねぇ」

「えーっ! だ、大丈夫だから!」

「はいはい、じゃあ塗りますよぉ」


 高橋くんは私の右手を両手ではさみ、クリームを優しく塗り込んでいく。

 ぬるりとしたクリームの感触が右手全体に広がり、手の甲から手のひらに。そして、そのまま一本一本の指に伸ばしていく。まるで壊れ物を扱うかのように、優しく優しく擦り、揉み込んでいく高橋くん。


「ちょっとささくれてますね。痛くしないように厚めにクリーム塗りますね」


 もうこの時点で私はノックアウト寸前。高橋くんのなすがままだった。

 ささくれているところへ少し厚めにクリームをつけ、優しくマッサージするように伸ばす。

 私の意識は指先に集中。大切な宝物を愛でるように、そしてまるで私を愛撫するかのように、高橋くんは私の指先に優しく何度もクリームを塗り込んでいく。


「んっ……」


 思わず声が漏れる。こんな恥ずかしいところ、これ以上娘の彼氏に見せられない!


「んんっ……んっ……」


 そうは思いつつも陥落。高橋くんは名マッサージ師だった。


『オレ、やっぱり澄子さんの手、すっごい好きだな』


 きっとお世辞ではなく、彼の本音なのだろう。

 こんなオバサンのがさがさの手を優しく念入りに愛でる高橋くん。

 この心地良さは、言葉には言い表すことができない。


「はい、終わりましたぁ」


 明るく終了を宣言した高橋くん。

 私は完全にノックアウト状態。

 ようやく終わった……


「じゃあ、次は左手ですね」

「えっ?」

「右手だけじゃ変ですよね……?」


 高橋くんの頭の上にはハテナマークが浮かんでいる。

 そういえば、幸子のお友達のギャル・ジュリアちゃんが言ってたわね。


『駿って、天然の女たらしですよ』


 あぁ、何か分かる気がする……


「はい、じゃあ左手に塗っていきますねぇ」

「んんっ……んっ……んんっ……」


 右手に続き、左手も天国行き。

 私は左手もされるがままだった。

 彼に身も心も委ねる私。その心地良さに溺れていく。

 もう好きにしてちょうだい……


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ガチャリ


「ただいまー」


 幸子が買い物から帰ってきた。

 背中に届く位の黒髪、くせっ毛で所々髪が跳ねている。


「あっ、駿くん、いらっしゃい! お待たせしてごめんなさい」

「さっちゃんこそお買い物、お疲れ様でした」


 身長一五〇センチもない小柄な幸子と笑顔を交わす高橋くん。


「お母さんは……どうしたの?」


 私はテーブルでぐったり。

 徹底的にハンドクリームを塗り込まれてグロッキー状態。


「さっちゃん……高橋くん、プロ級のマッサージ師よ……」

「肩でも揉んでもらったの?」

「……手にハンドクリーム、塗ってもらった……」


 不思議そうな顔をしている幸子。

 ゆっくりと身体を起こす私。


「……さて、夕ご飯作るから、ふたりはお部屋でゆっくりなさいな」

「お手伝いは?」

「今日は大丈夫よ。高橋くん、さっちゃんと仲良くね」

「はい!」

「じゃあ、駿くん。数学教えてもらっていい?」

「あいよ、一緒に課題やろうか」

「うん!」


 キッチンを出ていく高橋くん。

 幸子がすすっと私に耳打ちする。


「……お母さん、駿くんと仲良くできた……?」


 にっこり微笑む幸子。

 まったくこの子は……


「おかげさまでね」

「ふふふっ、良かった!」


 幸子は嬉しそうにキッチンを出ていく。


「さっちゃん」


 私の声かけに振り向く幸子。


「恋をたくさん楽しんで」


 ちょっと驚いていたが、そのまま嬉しそうな表情に変わっていく。


「うん!」


 二階に上がっていく幸子。


 孤児みなしごだった私は中学卒業後に就職。夫と見合い結婚。でも、すぐに夫を亡くし、それからは幸子を育てるのに必死だった。私はまともに恋愛をしたことがないのだ。男女の関係だって、ほとんど経験がない。

 だから、私に出来なかった分、幸子にはたくさん恋を楽しんでほしい。


 でも――


 下心や偏見なしに私自身を見てくれる高橋くんに、私は惹かれている。

 初めて感じる熱い想い。しかも、相手は娘の彼氏で高校生。まいったわね……


 二階から楽しげなふたりの声が聞こえる。

 そんなふたりの様子に、心が暖かくなっていく。


 やっぱり私は母親ね。別に高橋くんに手を出そうだなんて思わない。あのふたりが仲良くしていることが何よりも嬉しい。こんな幸せは他にない。

 でも、この気持ちを否定することはできない。だから私は、あのふたりをこれからも応援しながら、私だけの秘密のこの気持ちを大切にしていこう。


「四十手前で、初恋……か……」


 私は微笑みを浮かべながら、ハンドクリームが塗られたささくれをそっと撫でた。



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