ささくれの人

低田出なお

ささくれの事

「ささくれの定義ってなんだと思う?」

 女は自分の隣にいる男へ尋ねた。

「ささくれ?」

「ささくれ」

「……指にできる?」

「そう、そのささくれ」

 女は手のひらを男に向け、つまらなさそうに人差し指をくいくいと動かす。対象的に男の顔は困惑に埋もれていた。

「うーん、爪のところの皮が剥がれた、傷?」

「違う」

「えー? じゃあ皮が捲れ上がったところ」

「違う」

 男は後ろは倒れ込んだ。

「分かんないって。そんなの其々の人間の裁量だろう」

「そう!」

「わ」

 女の声に驚く。女は立ち上がり、頬を高揚させながら見下ろすと、男の困惑はより強まった。

「ささくれなんて人間の気分次第、つまりいくらでも解釈のしようがある!」

「はあ……」

「どれくらいの傷からささくれなのか、どの状態がささくれなのか。解釈の幅はいくらでも広げられる!」

 突如始まった力強い演説があたりに響き、小さく反響する。何もないこの空間では、その現象は日常的なものだ。男は跳ね返った声に目を細める。

「みんな好きだろう!? 下らないと一蹴されるようなもので、大きく予想を覆すのが! 知識と発想で、あらゆる困難へと立ち向かうのが!」

「……はあん」

 男は女の言いたいことを察した。正確に言うなら、彼女がどんな目に会ったのかを察した。

 彼女の目論見は、上手くいくの方が多い。そういう立場の発想なのだから、ある意味必然なのだろう。しかしながら、必ずという訳ではない。当然、上手くいかないこともある。今回は、どうも後者の事らしかった。

 男は起き上がり、優しく彼女へ声を掛けた。

「上手く使ってもらえなかったんだね、その能力」

「……うん」

 彼女はどこからか一枚の紙きれを取り出す。そして、伏し目がちなまま、男へと手渡した。

 目を通し、男は苦笑する。

 転生者の男は人並みに幸せで、人並みに苦心し、人並みに死んでいた。71歳だった。与えられた能力は一度として、己の指先のわずかな傷以外に用いられることは無かったという。

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ささくれの人 低田出なお @KiyositaRoretu

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