うん、無理

山田とり

引っ掛かりは無視できない


 今日は三回目のデートだった。お試しでいいからと告白された、会社の男とだ。

 四年先輩のその人は品質管理部ひんかんに相応しい細やかさを持っていて、私の所属する開発部の男たちとは少々違う。

 開発には、ヒラメキ全振りだったりコミュ障だったりみたいな人材ばかりが揃ってる。好きなのは図面とCAD、嫌いなのは会議とプレゼンだ。


「港も気持ちいいな。たまに横浜に出るのも悪くない」

「ほんとですね。建物もあるけど意外と見晴らしよくて。私、大さん橋って初めてです」

「あんまり横浜は来ない?」

「ほとんど知らないかも」


 じゃあ案内は任せて、と彼は笑顔だ。ろくに来たことがないのは本当だし、ここは立てておこう。

 くじらの背中、と呼ばれる横浜港の大さん橋。豪華客船の飛鳥Ⅱあすかツーが停泊していることも多いそうだけど、今日はいなかった。おかげで赤レンガ倉庫やランドマークタワーが望め、振り向けば山下公園。めっちゃ観光地だ。


「わ、ウェディングフォトですね」

「ここ、映えるからな」


 大さん橋の屋上は板張りでゆるやかにうねり、歩けるようになっている。その頂上で白いドレスの女性とグレーのタキシードの男性が写真を撮られていた。

 港の景色も素敵だし、あおりで撮れば空が背景になる。確かに映える。


「きれい……なんだか御利益ありそうです」


 いいもの見たな、と私は微笑んだ。幸せのおすそわけをもらった気分だ。彼はそんな私にフ、と小さく笑った。


「あせる歳でもないでしょ」


 は? ああ、結婚に憧れているように見えただろうか。

 そういうつもりじゃなかったけど、確かに試しにデートしている段階の相手とするには重い話題だったかもしれない。


「あせったりしてませんよ。誰かが幸せなのはいいことです」

「いや、人生に計画性は大切だし」


 うんうん、とうなずかれた。何となく話がかみ合っていないのはともかく、諸々考えていかなきゃなのはその通り。

 私は大ざっぱな方だ。それでもホケホケ生きていたのなんて小学生ぐらいまでで、その後は進路、進学、就職。そしてもう、結婚するのか子供を持つのか決断しなくてはならない年齢になってきた。

 彼はキチンとした人みたいだから、結婚相手も慎重に選ぶのだろう。私たちはまさに今、互いが俎上にいる。デート三回目って、続けるか断るか決断する頃合いだったりするから。


「赤レンガ行ってみない? 夜は関内に魚の美味しい居酒屋があるから連れて行きたいんだ。それにはまだ時間早いよな」

「わ、お魚ですか。じゃあそれまでブラブラしたいです」

「お腹すかせておこう」


 気をつかってくれる人だと思う。私が魚を好きなのもリサーチ済み。予定は立てつつ私の意向も気にしてくれる。悪くないと思う。見た目だってそこそこ好み。

 だけど何だかひっかかるんだ。

 その理由がわからないまま、私たちはくじらの背中のゆるやかな坂を下りていく。


「赤レンガ、今は大きなイベントやってないから、そんなに混んでないはずだよ」

「ちゃんと調べてくれてるんですね」

「一応は。物事が円滑に進むに越したことないだろ? 予定とか期日とか気になるんだ。開発の人たちは、そのへんもう少し頑張ってくれないかなあ」

「あはは、こだわり強い人が多くてすみません」


 私は笑ってごまかした。

 開発と品質管理はしょっちゅう揉めている。それを丸く納めようと奔走する私を見て、お付き合いを申し込んだそうだ。でも別に私だって調停したくてやってるわけじゃない。私しかいないだけ。


 休日の横浜にはたくさんの人がいた。家族連れも多い。このくじらの背中でも、不規則な傾斜にはしゃぐ子どもが何人も走り回っていた。

 この人とお付き合いして結婚なんてことになったら、きっと子連れで横浜にお出かけしてきたりする未来もあるに違いない。なのにそんな将来は、頭では考えられても明確なビジョンとして私に迫って来なかった。何故。


「あ、コケた……親は何やってるんだ」


 走っていた小さな子どもが目の前でズベタンッと派手に転んで、彼は顔をしかめた。泣き出した子に、私はとりあえず声を掛ける。


「痛かったね、だいじょうぶ?」


 びええーん、と泣くばかりで返事はない。その子が座り込む場所は、よく見れば床板が毛羽立っていた。手や膝は無事だろうか。

 やっと親が飛んできて、泣き叫ぶ子を抱えていく。何もできずに取り残された私の横で、彼が嫌な顔をして吐き捨てた。


「看板も出てるだろ。転がったり這ったりすると木材が刺さって危険だって。どうして目を離す。親の責任範囲だよな」

「怪我してないといいですね」


 不思議な寂しさを感じて私はつぶやいた。小さな違和感が胸の中でふくらんでいく。彼はそんな私の肩に手を触れて優しく笑った。


「子ども好きだってアピールしてくれなくてもさ、わかってるよ。いいお母さんになりそうだよね」

「え?」


 アピール? 誰がそんなことしたの。子どもが泣けば気になるものでしょう。


「仕事であちこち気をつかってるの見てたから。家のこと子どものこと、しっかりできる人だと思ってる」

「そんなつもりじゃ」

「もちろん任せきりにはしないよ。これからは平等に協力してやっていかないと」


 明るく言い切るこの人は、たぶん何も疑っていないのだろう。今日の私は彼との結婚を見据えて行動していたと。


 私と子育てすること。

 二人で家庭を管理すること。

 この人と私が同じ物を見、同じように考えるだろうこと。

 今も私がこの人に好意を持っていると思い込んでいるんだ。だって、

 

「私、人からどう見られるかで行動したりしないです」


 あなたに良く思われたいとか、そんなことで私を変えられるわけないの。私は私でしかいられない。


「え、普通は他人の視線を気にするものだよ?」

「それ、あなたの普通です。私の普通とは違う」


 ああそうか。この人といて感じるもどかしさ。条件とかそういうことじゃないんだ。

 この人の常識。思い込み。あるべき姿。

 そして、そこから外れた時にこの人がどうなるか。


「――ごめんなさい。私、帰ります」

「え、ちょっと。何だよ!」


 ペコリと頭を下げてきびすを返したら、後ろで毒づくのが聞こえた。


「クソッ!!」


 ――ほら。きっと憤怒の表情をしてると思う。うまく行かない時にこそ本性が出る。やんわりと何もかもを押し付けてくるあの人の中で、正しいのは自分の価値観だけ。

 直感は大切。私もヒラメキに生きる開発部の人間なのだと納得した。違和感しかなかった彼との時間を、これ以上続ける意味はなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うん、無理 山田とり @yamadatori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説