青く、広く、息が詰まるような箱の中

暁太郎

僕は一人のホームレスに腕を掴まれた

「ここから出してくれぇ……」


 ホームレスの男はそう言って、縋るような目で僕を見る。

 仕事場に向かう途中、遅刻しそうになった僕は近道になる公園を通る事にした。浮浪者が住み着いてて危ないと言われていた公園に……。

 ……で、こんな状況に陥っている。


 ホームレスは初老といった所だろうか。服はボロボロで髭もボーボーに伸び切っているため顔の皺で判別しただけだが。

 ツンと鼻につく臭いに顔をしかめながら


「は、離してくれます?」


 と、お願いした。


「この箱から出してくれぇ……!」


 だが、ホームレスは聞く様子もなく、語気をさらに強めて僕に詰め寄った。僕は恐怖心を感じ、振り払おうとする。


「意味がわかんないですよ! 箱から出してくれって……ここ外ですよ、しかも公共施設っ」

「うう……出してくれぇ……」


 僕がいくら言ってもホームレスはうわ言のように「出してくれ」と繰り返すだけだった。こんな雲一つない青空の下で、何に囚われているんだろう?

 妄想に取り憑かれているんだろうか? それとも、最近流行りの意味深なホラー的なやつ?


「どこか痛むんですか?」

「ち、違う……違うぅぅ……」

「じゃ、じゃあ何でそんなに苦しそうなんですか……」

「うっ……うう~~~」


 とうとうホームレスは泣き崩れてしまった。これはマジでやばい奴だ。いよいよ警察か救急車を呼ぶ判断が僕の選択肢に浮かぶ。明らかに具合が悪そうだから救急車の方がいいのだろうか……?


「あれ?」


 ホームレスの懐から一枚の紙がひらりと落ちた。僕は思わず「あっ」と叫んだ。それは僕がとてもよく見知ったものだからだ。





 僕はいつも通りの時間に職場に着いた。漂う匂いを嗅ぐと、気持ちが引き締まる。開館時間になり、僕は表の門を開けに外に出る。

 すると、門の前にすでに男が立っていた。


「坂下さん!」

 

 男が、僕の姿を見て破顔する。かつて、あの公園で会ったホームレスだった。

 ホームレス――坂下さんは、持っていた紙袋に手を入れ、一冊本を出した。


「オススメしてくれたファンタジー小説、すごく良かったです。世界が広がるようだ……」


 坂下さんはうっとりと手に持った本を眺めた。表紙には広大な草原に幻想的な生物が躍る絵が描かれている。


 坂下さんはかつて僕と同じく本好きが高じて図書館に勤めていたのだが、震災のせいで無一文になってしまい、流れ着いた街でホームレスをしていた。

 金がない上に図書館に行っても通報されるような身なりになってしまい、本が読めない生活が続いたせいで一種の禁断症状に陥っていたのだという。

 僕はあの時、坂下さんが持っていた貸出カードで全てを察した。恐らく坂下さんは僕から漂う古本の匂いを嗅いで、僕に縋りついたのだろう。

 箱から出してくれ……この意味が、ようやくわかった。


「僕らにとって本は一つの世界のようなもの。それが読めないなんて、現実という箱の中に閉じ込められたも同然です」

「いや……その節はご迷惑をおかけしました」

「いいんですよ。さぁ、立ち話も何でしょうから……」


 僕らは存分に語り合いながら、図書館の中に入っていく。

 無限の世界が広がる箱の中へと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青く、広く、息が詰まるような箱の中 暁太郎 @gyotaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ