ヘリテージ

宮野優

ヘリテージ

 灰色の空に火球が輝き、落ちてくる。箱が伝えてくれたとおりだ。

 わたしの寿命が尽きる前に、降臨してくれてよかった。

 ようやく使命を終えることができる。この世界の人間を代表し、この箱を継承する役目を。



「十歳の誕生日おめでとう。今日からおまえがこの箱を受け継ぐんだ」

 昔の子供たちは毎年の誕生日にプレゼントをもらっていたという。その他にも、例えば信じている宗教の祝い事の日なんかにも、贈り物をもらえるのが当たり前の時代があったのだそうだ。

 でもわたしがパパから何かを贈られた誕生日はその日だけ。仕方ないことだ。わたしたちの周りには贈り物に相応しいものなんて何も残っていない。

 それにプレゼントならこの箱があれば十分だ。パパから受け継いだヘリテージ・キューブには、この世界の全てが詰まっているのだから。



 昔、大統領という国で一番偉い人がこう言ったそうだ。

「国で一番大きな図書館の情報を、角砂糖一個分の大きさの機械に収める」

 その目標が結局実現できたのかどうかははっきりしない。人類が滅ぶ前後の時代に関する情報は、絶対数が激減するだけでなく真偽が不確かなものが多く、科学技術がどこまで発展していたかも諸説あるようだ。

 はっきりしているのは、わたしの頭より少し大きいくらいのこの立方体に、人類の歴史・技術・文化が詰め込めるだけ詰め込まれたということだ。

 箱の蓋を開けると、蓋の裏がモニターになっている。キーボードやマイク・スピーカーにカメラが付いていて、文字でも音声でも映像でも情報を検索して引き出せるようになっている。これだけならもっと平らな板のような形状の機械でも十分事足りただろうが、ヘリテージ・キューブは残りの体積のほとんどを膨大な記録媒体によるアーカイブと、外部からの電源に頼らずに今後数世紀使用を続けられるエネルギー源にあてている。

 人類がその最後の一人まで滅びても、いつか誰かに受け継ぐことを目的とした遺産ヘリテージ

 でも十歳のわたしにとっては、それは単純に最高の遊び道具だった。

 それまでパパと遊んだり話をしたりするしかなかったわたしの日常は変わった。わたしは結局文字の読み書きは覚えなかったけれど、この箱に話しかければ何でも答えてくれたし、映像を見せてくれたし、音楽を聴かせてくれた。

 わたしが生まれるずっと前、この世界は美しい場所だったのを知った。パパが語って聞かせてくれたとおり、見上げる空も、果てまで続く海も、かつては青く澄んでいた。大地では草木や花がそよ風に揺れ、虫だけでなく鳥や獣が息をしていた。その様を初めて映像で見たとき、わたしの目からは自然に涙がこぼれた。



 箱が見せてくれる素晴らしい光景の数々に魅了されながら、わたしはパパに尋ねた。

「どうして十歳になるまで見せてくれなかったの?」

「この箱には、人類のあらゆる営みが記録されてる。当然よくない行いも。子供に自由に使わせて、そういう情報ばかり見てしまっては……わたしたちの使命を疑ってしまうかもしれない」

「どういうこと?」

「つまり、私たちの歴史や文化は伝える価値のないものだという、間違った考えに取り付かれてしまうかもしれない。それを防ぐために、おまえにはまず私自身の言葉で使命の意味を伝えたかった」

 パパは何度も繰り返し語っていた。人類は争いの果てに滅びてしまったけれど、決して愚かで救いようのない存在などではない。世界が滅んだのは、人々の総意がなくても権力者が使えてしまう、広大な大地を消し飛ばすような殺戮兵器が存在したせいだ。

「全ての人間が愚かだったわけじゃない。最後まで争いを避けようとした人、互いの違いを認めて共に生きようとした人の方が多かったんだ。だが結局、あまりにも大きな破壊の力に全て飲み込まれてしまった」

 最終戦争が始まる前の映像を見ていると、人々は美しく、完璧な存在に見えた。互いに殺し合わなければ、百年の生を謳歌できたはずの人間たち。わたしとはかなり姿形が違う。身体が左右対称だし、上下の歯が概ね一列に生えていて、常に身体中のあちこちの皮膚が破れ出血している様子もない。

「世界をこんなふうにしてしまったが、それでも人間の――人類の本質は善であり愛だ。そう伝えられてきたし、私自身もそう信じてる。人類は過ちを繰り返しながらも、少しずつ世界が良くなるよう歩んできた。だが最後の過ちを犯したとき、人類は力を持ち過ぎていた」

 パパは最期まで何度もそれをわたしに伝えた。人類の歴史にどれだけ血塗られたページがあろうと、わたしたちの使命には絶対に意味があると。

 一人きりになったわたしは、ただ待ち続けた。わたしが箱を受け渡す相手を。パパの生前、わたしとパパで子供を作ってその子に継承することも考えたのだけど、パパにはもう子を作る機能が残っていないようだった。

 少しずつ朽ちていく身体を薬で繋ぎ止めながら、わたしは箱のアーカイブを、人類の歴史を見続けた。

 直接箱を手渡せる存在が、この地上に降りてくるまで。



 長い時間が流れた。わたしは箱が教えてくれる日付を覚えないけど、大雪の時期が二十七回訪れたから、二十七年が経ったのだろう。

 身体の皮膚のうち二割ほどは再生しなくなっていて、常に傷がむき出しになっていたが、薬のおかげで痛みは感じない。ただこの肉体が刻一刻と限界に近づいているのは感じていた。

 それが降臨したのはそのときだった。

 ああ、間に合ってくれた。わたしの身体がもつ間に。

 パパとわたしがねぐらにしていた建物には、細長い塔が建っていた。それもまたわたしたちに受け継がれてきたもの――宇宙にメッセージを送るための電波塔だ。

 深宇宙の先にいる、知性を持った何者か。彼らに送る情報はシンプルなものでよかった。即ち「わたしたちはここにいる」。

 見つけてもらえれば、探訪してもらえさえすれば、あとはヘリテージ・キューブがある。

 光年の距離を超えて地球に来られる知的生命体なら、言語などわからずとも必ずこの箱の情報を解読できる。

 それができれば星々を超える種族の、その記憶と記録の中で、人類の記録も生き続ける。



 大気圏突入の熱で燃え盛りながら、その物体は落ちてくる。

 映像で見たことのある、海岸の波打ち際に設置する消波ブロックに似ていた。あれの四脚の先端をより細長くして先端を鋭くしたような、そんな形の巨大な鈍色の物体が、速度を落とし、重力を無視するようにゆっくりと降りてくる。

 轟音と共に地面に先端を二メートルほど突き刺すようにして着地すると、地面より少し上の位置が開いて、そこから“それ”が現れた。

 足の多い、ムカデを思わせる下半身というか土台から、滑らかな胴体が上に伸びて、その上の方に頭部と思しき部位。そこから二本の腕が更に上に伸び、関節で下の方に曲がった先はカニの爪のように尖っている。胴体の真ん中からも左右に短い腕が伸びていて、こちらの先端はイカの吸盤を思わせる。

 頭部の真ん中に球状の盛り上がりがあって、全体に黒っぽい体色の中でここだけが真っ赤に輝いているので眼球に相当する部位だと考えた。だがそこから何か感情のようなものを読み取ることはできなかった。

 三体のそれが、扉の外に降り立つ。よかった。少なくとも彼らは今のわたしと違いひとりぼっちの種ではないようだ。無数の足を器用に動かし先頭の一体がゆっくりわたしに近づいてくる。わたしも彼らを刺激しないようにゆっくりと――元より片足を引きずっていて速く歩くことなどできないのだが――歩み寄る。

 わたしは両手でそっと箱を差し出す。わたしたち人類の営みを詰め込めるだけ詰め込んだ箱をプレゼントする。

“それ”の目の色が赤からやや赤黒く変化した。と同時にわたしの視界の右側が消失する。

 薬で痛みを感じないせいで、腕の爪で私の右目が切り裂かれたのがすぐにはわからなかった。

 もう一方の腕が左肩に突き刺さり、わたしは箱を取り落としながら倒れた。

 上から容赦なく、両の爪がわたしの身体のあちこちを切り裂き、貫く。逃れるように身体を丸めながら、わたしは今日が人類最後の日であることを理解した。



「ねえパパ、やって来る宇宙人が、もしも友達になれない人たちだったらどうする? 人間の中にもいたんでしょ? 平気で他人を傷つけて殺してしまう人が?」

 昔そう問いかけた記憶が蘇る。

「そうだね。たしかに友好的でない種族、愛を理解できない、ただ科学技術だけが進んだ種族が来てしまうかもしれない。でも彼らがこの箱に触れたら――私たちの生んだ芸術や愛の物語を目にして、彼らが知らなかった尊いものに目覚める可能性はゼロとは言えない。ヘリテージ・キューブを作った人々はそこまで考えていた。この箱にはそれだけの希望が詰まってる」

 頭蓋が砕ける音を聞き、薄れる意識の中で思う。

 あなたたちはかわいそうな種族だ。

 真っ暗な宇宙を旅して、ようやく出会えた知的生命と、友達になろうとすることなく攻撃する。臆病で哀れな生き物だ。

 わたしたちは、人類は違う。

 外宇宙に進出する前に滅びてしまった種族だとしても。最後の一人が無残に殺されるとしても。わたしたちは哀れな生き物なんかじゃない。

 わたしたちは最後まで希望を捨てなかった。わたしたちが築いたものを誰かに継承できると。わたしたちの愛がいつか伝播すると。

 もしあなたたちが最後までそれを理解してくれなくても構わない。直接プレゼントできないのは残念だけど、小型ロケットで方々に打ち上げられたヘリテージ・キューブは百を超える。

 ここの電波塔に比べれば微弱な電波しか発していないけど、悠久の時を超えて、また別の種族に見つけてもらえる可能性はゼロではない。

 わたしたちは滅びない。最後の一人まで死に絶えたとしても。人類の意思は、千二百億の命が紡いだ歴史は、宇宙の果てで生き続ける。


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ヘリテージ 宮野優 @miyayou220810

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