ストレンジカメレオンと優しい歌

蜜蜂計画

俺はストレンジカメレオン

 ———『服』


 ——「私は流行をつくっているのではない。私自身が流行なの」


 いつの間にか山中葵やまなかあおいは虜になってしまっていた。そのきっかけはとても単純なものだった。


 ——「ファッションは毎日を生き抜くための鎧である」


 もはやそれは芸術である。動く芸術。そして己の感情を内外的に爆発させる。『芸術は爆発だ』とはまさにその通りである。


 ——「私は服をデザインするのではない。夢をデザインしている」


 葵にとっての生き様である。

 美しい草木は花を咲かせるという行為によってその本質がわかるようになる。


 人間だって同じである。

 美しく艶やかな人々、歴史の1ページに載るほどの偉大なる人物、目立たないが社会の一角に立つ数多の人々…そのような全ての社会の役割を担う人たちのために見合う服を我々が提供することが使命であり、それが我々にとっての『社会の役割』であると葵は考える。

 服というものはそれだけ力強くて何にも変え難い『武器』なのである。

 男女問わず虜にさせるような美しい容貌、聴衆をうっとりとさせてしまうような艶かしい歌声にも、それを着飾る『服』が正しく着れていないと誰も見向きさえしてやくれない。

 だからひどく美しく、可憐な洋服は『戦え』という意味すらももっているらしい。




 だからこそ葵はそんな着る人自身に自信を持てるような着るだけで勇気づけられる服を誰かに作りたいと思っていた。





 ○


 はっきり言って高校はクソだ。

 クソはクソでも馬糞とかの方のクソだ。

 とんでもない異臭を放ち、放っておくとさらに匂いを増す。

 ある古の人はそれを塗りたくって死んでいったらしい。

 けれども葵が馬糞と定義した意味は馬糞というものはまだ植物の肥料として使えるという点にある。

 高校だって別に『救いようのない人糞レベルのクソ』ではない。

 葵が人糞ではなく馬糞と言った所以はこの『服飾部』の存在にある。


 葵がこの『曳田学園ひきだがくえん』という学校にした理由はどんなに大きく分けてもたった1つしかない。

 それがこの『服飾部』の存在である。



 中学3年生の春、彼はこの学校の新入生募集のパンフレットを見た。

 けれどもこの観閲という葵の行為は少なくとも本人にとってはもはや全く意味のなさない行為であった。

 何故なら彼が行くべき高校はもうすでにこの段階で決まっていたからだ。

 疋田学園には他の高校にはない唯一無二の葵にとっての他の高校の追従を全く許さない圧倒的な魅力があった。

 それは『服飾部』の存在である。

 けども、中学の頃からずっと服を作るのが好きで色んな服を買っては研究して自分なりの工夫をも織り交ぜた品を作り上げていた葵には一つ不満があった。

 それは仲間の存在だ。

 確かに、1人で黙々と自分のペースを守りながら作り続けるのも悪くはない。

 しかし人間元来集団で生活する者で、1人でミシンやら、型作りやらに黙々と作業をしているとやはりどこからともなく寂しさが込み上げてくる。

 その点、服飾部というのは葵の要求にマッチする。

 仲間がいる。さらに、あくまでも部活動なのでそこまで堅苦しくやる必要はない。

 そんな希望に満ち溢れて、まるで将来を約束されてかのような高揚感に包まれながら彼は疋田学園の門を叩いたのだ。


 しかし!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 現実はそう、待ったくもって思い通りにいかないといいうのはこの世界において常識である。

 それはまるで『リアリティ・バイツ』のように、信頼しきっていた仲間が裏切るかのように、彼の理想は虚しく瓦解し、現実は彼の高揚感を完全に、無惨にも奪い去ったのである…



「——服飾部…?」

「服飾部……あぁ、思い出した、そういえば去年になったんだよねぇ〜確か…部員が全員卒業しちゃったんだっけな?まぁ、もともと部員数が少ない部活だったはずだからなぁ…」


 担任の内田とかいうハゲたおっさんは常に額の汗を拭いている。

 対して暑くもないはずの職員室の所でさえ額の汗を拭っていた。

 多分興味すらないのだろう。気の抜けた話し方が葵を苛立たせる。


「えーっと…ではもともと顧問だった先生を教えていただけますか?」


 葵は苛立ちをできるかぎり言葉に出させないように慎重に言葉を選び彼に聞く。


「顧問?うーんと…確か…横田先生だったような…?気がするな…まぁ一応私が顧問の横田先生に話をつけとくからさ、ちょっと横田先生に相談してみたらどうだ?」

「服飾部について。それと、一応他の部活も見てみるといいぞ?葵。案外面白い部活もいっぱいあるからな!」


 なるほど、一応の仕事はできるようだ。葵の中での彼の評価が少しマシになる。

 少しの高揚感と一抹の不安を胸に抱いて葵は職員室を後にする。


 ○


「ったくよぉ………!」


 昼休み、彼は大きくため息をつき彼の友人に不満を漏らすのであった。


「せっかく意気揚々とこの学校に入って来たっていうのによぉ…服飾部に入れるかすら怪しいんだぜ?」


「まあ…しょうがないね。学校で好んで服を作ろうなんて思考に至る人は保護するレベルの貴重な人材だからね」


 優しく宥めるようにそう言った男は成瀬清田なるせせいたと言う。

 短髪で髪も黒く、一眼見ただけで清田は明らかに相手に対して好印象を与える。



「だったらよぉ…先書いとけよ!『この部活はもう直ぐなくなります』って」


 清田と葵は旧知の仲ではあるものの、葵は清田が何故こんな男とずっと一緒にいるのか甚だ疑問に思っている。


「そんなの書いたら余計に誰も入りたがらないでしょ?」


 清田は葵の暴論に苦笑いで答える。


「まあでもさ、この学校400人近くいるじゃない?1年生だけでも」

「だからさ、1人や2人くらいいるんじゃない?服飾部に入る人。大丈夫だよ」


 清田はそう優しく葵を諭す。


「それに何かあったら僕が助けるからさ」


「ああ…ありがとな」


 ○


 放課後、葵は昼間内田が教えてくれた服飾部の部室に足を向けた。その場所は普通教室からとてつもなく離れた部室棟の中でもさらに一番はずれの位置にあった。部室棟といえども、じっさいにこの棟に入っている部活は指折りで数えるほどしかない。ほかの文化部は別の教室であったり、ほかの特別教室を使う、もしくは何かしらの倉庫として使われている。ましてや運動部なんてなおさらである。

 はっきりいって葵は部室棟からはある種の希望のような、明るい未来を描けそうになかった。窓を見れば埃まみれで、薄汚れて窓ガラスの四隅にはきれいに蜘蛛の巣が張ってある。床を見れば得体のしれないゴミがあちらこちらに落ちている。その隅を見るとなぜかシケモクが…。これは見なかったことにしておこう。

 ほかの部室の扉にはなぜか20世紀少年のあのマークがあったり、かとおもったら狂おしいほどの数の猫の写真が貼られていたり…全体的に統一感のない部室棟の一番奥に葵の目的の部室は存在する。


 二回ノックをして、葵が声を発する前に、


「入って構わんよ」


 という声が中からあった。

 葵はそのドアをゆっくりと開けるとそこにはソファーに浅く座り、新聞にふけっている老人が一人居ただけであった。


「君が、入部したいといっていた葵君だね?」


 優しい口調でその男は答えた。


「ええ、そうです」


「私は服飾部の顧問の横田だ。—―今は現代社会を主に担当しているから、一年生ではあまりかかわることは少ないかな?」


「…よろしくおねがいします」


 葵はどうしても横田先生の思惑がつかめなかった。なぜあまり服との関わりがなさそうな彼がこんな部活の顧問を務めているのか。


「藪から棒なんだけど、葵君は服をどうしたいのかい?」


 葵は横田先生の唐突な質問に面食らった。もちろん、何にも理由がなくただ単純に服を作っているわけではないのは確かである。けれど彼の頭脳ではそれを言語化することができなかったのだ。


「僕は……」

「あまり考えたことは…なかったですね」


「大丈夫だよ。そんな、すぐに見つかるもんじゃない。急いで見つける必要もないし、無理に答えを葵君に聞き出そうとしているわけではない」


 彼は葵に優しくそう言った。そして、開いていた新聞をとじて彼は続けた。


「でもね、葵君、君はこの部活を受動的に活動してほしくないんだ。ファストファッションの時代の中で、人々が真剣に考えて作る服というのはより貴重なものになってくる。その服は大量に作る必要はない。誰か一人、たった一人のために嬉しいと感じてもらったり、着る側の人にとって一番大切だと思えるような服を作ってほしい。服っていうのは何にも代えがたい重要な看板であり、広告塔であるのだからね」


「というわけで、今日は葵君は仮入部でいいのかな?」


「いえ、もうここ以外の部活に入る予定はないのでここで本入部です」


「あら、それはありがたいね。だけどここで部活動を行うにはあと二人人呼んできてね」

「多分担任の先生にも聞いているとは思うけど、この部活は去年の三年生の卒業をもって誰もいなくなっちゃったからね。新しく人を呼び込む必要がある。まあ人学年400人もいるような大所帯の学校だから、一人や二人位、直ぐに入りたいといってくるような人もいるんじゃない?」

「まあとにかく、この高校においては最低4人の部員の確保が必要だから、そこは宜しくね」


「はあ…」


「まあ今日はここらへんでお開きにしようか?誰かいい感じに入部してくれそうな人がいたら教えてここに連れてきてね」


 そう言い残すと横田先生は部室の扉へ向かっていった。


「あ、そういえば明日は暇?」


「ええ、特に何もやることはないですが…」


「いいね」

「じゃあ明日も業後にこの部室来てね。もう一人の入部予定の子を紹介するから」


「じゃあ戸締り忘れないように。鍵は机の上においてあるから。なくさないようにね」


 そう言い残すと彼は足早に去っていった。


 部室には服飾部としての最低限の設備はあった。ミシンや、裁断するための十分な大きさの机、いくつかの種類のはさみや、大量にある糸や膨大な量のメリケン針、果てには和針までその部室にはあった。


「―――いったい誰がこんなところで着物作ろうとしたんだよ…」


 その設備の充実しているさまに、思わず葵もため息を漏らしてしまう。


 葵はさっきまで横田先生が座っていたソファーに座ってみる。

 茶色い皮張りのソファーは傷や謎のシミがついていた。一つ言えるのは確実にそのソファーは古いということだ。


 葵は少し目を閉じる。今まさにこれからの高校三年間においての一番重要なイベントが己の手の中で決められようとしているのだ。

 とはいえ、彼はここでの部活動を想像するというのができなかった。そもそも本当に人が集まるのだろうか。もし集まったとしてもこれからやって行けるのだろうか。いくつもの不安が葵の頭の中で駆け巡る。


「はあ…」


 ため息とともに目を開けてもう一度部室を見回す。本校舎の裏手にある部室棟は日差しが良いとはお世辞にも言い難いが、まだ最上階なので何とか明るさは保っている。


「……あいつに聞いてみるか」


 そう言って葵はソファーから離れる。

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